極上マリッジ 28






体調は、菊田さんや、かかりつけの産婦人科の先生の云うことを訊いて安静にしていたのが効いたのか、激しい吐き戻しは減ってきていた。
体調が戻って、ほっとしたのもつかの間、慧悟が結婚式について決めてきたことをあたしに告げる。

「あのね」
「文句あるのか?」
「……」
「お前の意見が出るのを待ったら一生式なんて挙げられない」

確かにおっしゃるとおり、具合が悪くてダウンして結婚式について何がしたいとか、そんな具体的なプランはたてられませんでしたけれどね。

「莉佳は出席してほしい人の住所を、俺に渡して、プランナーの方で招待状を作成してくれるから『Frutti di mare paradiso』の従業員の分は渡部経由ですでに入手してる。製菓学校時代の友人とか高校の友人とかいるなら」

いるけど……出てくれるかな、就職したら疎遠なんだよね。年賀はがきの挨拶ぐらいしかしない程度なんだけど大丈夫かな。
アドレス帳から住所を書き出して、慧悟に渡す。

「それでウェディングケーキなんだが、レシピだけ書いて、業者に回せ」
「……」

あたしの不満そうな顔を見て慧悟が溜息をつく。
わかってるんだよね、あたしが作りたいって思ってるの。

「自分の結婚式のウェディングケーキを作れなくて何がパティシェ」
「云うと思った、お前の腕がいいのはわかってるよ、作りたい気持ちもわかるけど普通の状態じゃないだろ、また無理して当日へろへろで、お色直しでもないのに途中退場を繰り返す花嫁がどこにいる?」
「……」

いちいちごもっともですよ! わかってるよ!! 癇癪起こして「もういい! 式なんて挙げないんだからっ! ウワーン」とか泣き叫んだら、小学生以下、優莉状態ですよねっ!?
けど、けど、云い方ってものがあるじゃない? そんな一刀両断でスパンと云わなくてもいいじゃん。
うう、おなか痛くなってきた。
赤ちゃんが、あたしに怒らないでって云ってるの? 
あたしが押し黙ったから、慧悟は何を思ったのか小さな子供を抱えるようにして、あたしを自分の膝の上に乗せる。

「りーか」
「……」

コツンってあたしの頭頂部に慧悟の顎があたる。

「莉佳の身体が大事なの、わかってるだろ?」

わかってるよ。
でも、そうやってなんでもかんでも慧悟の意見ばかりを、はいはいなんて訊いてるの、あたしらしくないって思う。わかってるよ、つまらない見栄だって。慧悟には敵わないのに、挑戦したくなる。
結婚したら、こうした小さな喧嘩っていうか言い争いっていうか、あたしが勝手にへそを曲げちゃうようなこと、たくさん出てくるだろうな。
それがプライベートで筒抜けなんだよな、結婚ってそういうところがあるんだよね。
ギュって抱きしめられて、誤魔化されたって感じるのはあたしが天邪鬼だからかな。
あたしの左の薬指を触って、そーっと慧悟はリングを外す。
何?
「いうこと、ちゃんと訊けたら、返してやるよ」
「!」
慧悟のこういうところ、嫌いだわ。ほんと、俺様。
あたしは慧悟の腕から身体を離す。
天邪鬼な心があたしを支配する。
「そう、わかった」
「莉佳?」
結婚指輪も外してまで、あたしを従わせたいのか?

「適当になんでも決めて」

たったひとつ、自分の誇れるものに、手をかけられないなら、総てが色あせて見える。
適当にすればいいでしょうと思う。
結婚式なんて挙げる気はなかったんだから。そもそも、結婚だって、する気なかったんだから。

「ケーキも適当でいいじゃない」
「莉佳」
「具合悪いし、横になってもいいですか?」

他人行儀的な敬語に、彼は眉間に皺を寄せる。

「好きにしろ」

好きにするわよ。
あたしは、メゾネットの上にある寝室じゃなくて、玄関に近い客間のベッドにもぐりこんで不貞寝を決め込んだ。
菊田さんが、夕食の用意ができたことも云うけれど、気持ち悪いからって理由で断った。
子供じみていると自分でもわかってる。
慧悟はあたしの事をかんがえてくれていることも。
だけど、全部が全部、先回りされて、保護されて、それがとても息苦しい鬱陶しい。
あたしは贅沢なんだろうか?
そんななんでもかんでも与えてくれる男を、鬱陶しいと思うなんて。
でも、何もかも、慧悟の云いなりなったら、あたしじゃなくなりそうで、それが嫌。
この先、仕事も認めてくれそうにもない気がするのだ。
あたしは、焦っている。
この妊娠を機に、自分が今まで携わってきた仕事から、遠ざかっているように感じるのだ。あの重度のつわりがあったからかもしれないけれど。
慧悟のご両親にケーキを作ってる時にはほっとした。ああ、あたしの腕はまだ菓子を作れる。手順をまだ手が記憶しているって。
でも、ここ最近、姉の店で出す二、三点のスィ―ツだって手掛けられない。
そんなことをつらつらと思いめぐらしていたら、いつの間にか本当に眠ってしまった。




そして目を覚ますと、客間のベッドで眠っていたはずなのに、いつもの大きな主寝室のベッドにいることに気がついた。
「起きたのか?」
「……」
あたしの隣で慧悟が肘をたてて、あたしの顔を見ていた。
あたしは慧悟に背を向けて沈黙した。
こんな子供みたいな拗ねかたをする自分も嫌いだ。
そんなあたしの身体を慧悟は腕一つで、引き寄せる。

「やだ、離してよ」
「離さない」
「……」
「莉佳」
「……」
「ケーキだって、莉佳が作れなくても、莉佳のオリジナルなら、莉佳のケーキだろ?」
「腕が鈍る」
「お姉さんの店にケーキを卸してるだろ」
「……」
「子供が産まれたら、また作れるし、お姉さんの店で作ってもいいし、俺の店で手伝ってくれてもいい、渡部の店でもこの際いいだろう」
「……」
慧悟の店?
ゲンキンにも慧悟の方に向き直りそうになる。
そんなあたしの気配を察知してか、慧悟はあたしを抱き寄せる腕に力を込めた。
あたしが男だったら、こんなめんどくさい女と結婚しようとは思わないわよ。
「慧悟……」
「うん?」
「ごめん……、ヘンな拗ねかたして」
抱きしめられる背中越しに、慧悟が笑っているような気がした。
「こんなに、扱いづらい女が奥さんで、慧悟、苦労するよ」
「殊勝だな。こんな俺様が旦那で、苦労するーと云わないところが」
「……」
あたしは慧悟に向き直る。
「レシピを業者に回すよ。でも、あたし……試作したいな」
「……俺の店で雇ってパティシェにやらせるつもりだから、一緒にやってみるか。試作の段階で一緒にやったら、安心して任せられるだろ?」
「……ありがとう……慧悟」
「……」
あたしは慧悟に手を伸ばす。
「何?」
「リング……」
「ああ、今、手元にない」
「何!?」
「莉佳が寝てる間に、店に行ってイニシャルと式の日付を刻印してもらうために出した」
「……そうなんだ……」
「入籍の日付は忘れないだろ?5月5日」
「うん」
「結婚式の挙式の日も、忘れないようにリングに刻印しておけばいい」
「……」
「何?」
「自分で自分の首を絞めてない?」
「うん?」
「記念日、増やして」
男なんて記念日なんて、いちいち憶えてないじゃない?
毎年、その日にお祝いなんて、しなくなるでしょうに。
それなのに、慧悟は、忘れないようにリングに記したり、祭日に合わせたり。
「記念日は、増やしたいんだ」
「……」
「そして忘れない」
「なんで?」
「俺、最近結婚したんだけど」
本人を前に、そんな話し方に噴き出しそうになる。
「恋人期間がなかったから、逆に記念日にこだわりたいわけ」
「……」
「俺の奥さんはどう思ってるかわからないけどね」
あたしは云う。

「奥さんはすごく嬉しいと思うよ」