HAPPY END は 二度 訪れる 20




「今度はないでしょ?」
彼女の一言に、アルフォンスは整った眉を片方だけ上げる。
「珠貴、自分の云ってる意味わかってる?」
アルフォンスこそ、今度なんてないでしょう?
「昨日のは、アルフォンスも私も、たまたまそういう気持ちになっただけで、深い意味はないのよ、アルフォンスは自分が手に入れた会社を立て直して、また別の仕事へ海外へ戻る。私は、期待に応えるべくシゲクラを護る。今までと同じように」
「そういう気持ちになったからって、キミはバージンを僕にささげるわけ?」
ゾクっとするようなアルフォンスの口調だった。
いつものふざけてるような軽口をたたくような、明るさはそこにはなかった
「シゲクラを買って、わたしを変えてくれたんです。わたしに返せるものがあるなら……」
「会社の為だというのか? もし、会社を立て直したのが僕じゃなくて、他の男でもそうしたのか?」
「……」
「昨夜の行為に気持ちはなかったと?」
泣いちゃだめだ……。ここで泣きだしたら、わたしは、責任感と同情でアルフォンスを縛り付けてしまう。
「僕の目を見て、そう云って、珠貴」
青い彼の瞳を見たら、自分の気持ちを全部告白したくなる。
アルフォンス、大好き、愛してる、ずっと傍にいて――――。
そんな彼の自由を阻むような言葉を。
珠貴は俯いて、ギュっと目を閉じたまま、唇を引き結ぶ。
その言葉は、珠貴をせっかく手に入れたものを捨て去るぐらいの情熱があるから云うわけにはいかない。
アルフォンスは、珠貴の肩を掴んで、珠貴をベッドへ押し倒す。
彼の青い瞳を見つめたら、全部をさらけ出してしまいそうで怖くなった。
「……アル……」
「好きでもない僕に、抱かれたの?」
その声は、昨夜と同様に、甘くて、珠貴の決意を鈍らせる。
 
――――ピンポーン……。
 
ドアチャイムが鳴る。
アルフォンスは立ち上がり、玄関のドアノブに手をかける。
ドアチェーンもないの気がついて、セキュリティがやっぱり甘いなと思う。
ドアを開けると、中年の女性が立っていた。
「梶本さんから連絡をいただいて……」
「ミセス園田?」
「はい」
ドアをちょっと開けて、彼女を部屋へ招き入れる。
部屋の奥へ入り、ベッドに座りこんでいる珠貴を見て、慌てたように傍に寄る。
「お嬢様っ……! こんなにお痩せになって」
「園田さん」
「これじゃ旦那様がお嬢様をお引き取りになられた頃に逆戻りじゃありませんか。きちんと食べてます?」
「……食べてる」
「嘘おっしゃい! なんでシンクに埃がたまってるんですか!?」
園田の存在に、珠貴は安堵のため息を漏らした。
アルフォンスとあのまま二人だったら、自分自身の感情がコントロールできなかったに違いないから。
「……帰るよ、珠貴。おやすみ」
珠貴が顔を上げると、アルフォンスの後ろ姿で、彼は振り返りもしないで玄関を出て行った。
「……園田さん……」
「先ほどの方がシゲクラを買い取られた方ですね、こんな私ですが、シゲクラに関するニュースは耳に入れております」
「もう、おじいさまはいないし、わたしも、園田さんに何もできないのに、気にかけてもらっていたんですね……ありがとうございます」
「旦那様には恩がございますから」
園田は腕のいいハウスキーパーだ。
その彼女がこの夕食時の忙しい時間にこうして、ここにくるなんて……。
「園田さん、仕事は……」
「吉野の家は住み込みではなくなりました」
「どういうこと?」
「指定の曜日にお仕事をさせていただく状態で……」
吉野の家はそこまで切迫しているのかと、珠貴は思う。
「ここだけの話ですが……、旦那さまから譲られた不動産も少し処分されたようで」
「……そう」
「あの家だけは、お嬢様に残されてほんとうにようございました」
「でも、あれも今は、不動産管理にまわしてるけどね」
都内にあれだけの庭と建物を賃貸で貸し出すと、借りてはなかなかいない。
日本に仕事で長期滞在してる欧米人にあてて、探し出すとは管理会社の担当者もいっていたが、なかなかそんな借りては現れない。
「お嬢様がそこへ住めばいいのです! ここも確かに旦那様の持ち不動産の一つでしたが、かつて社屋を立て直す時にデザイン部門に使用していたものですよ。ちいさなオフィス用で、立地から云って住居ではないです!」
「アルフォンスと同じことを云うんですね」
「……お嬢様、先ほどの方……」
「アルフォンス・カートライト氏。幾つもの企業を買収したり、傾いた会社を再生させてる人だよ」
「……そうですか」
「アルフォンスがどうかした?」
「いえ、その、わたし、お邪魔しました?」
園田の言葉に、珠貴はカアアと赤面する。
両手で顔を覆い隠す。
「邪魔じゃないよ」
助かったと云っていい。
自分の感情にブレーキをかけてくれたのだから。
「でも、よかったです」
「何が?」
「お嬢様にそういう人がいて」
「……」
「ここだけの話。吉野様よりは断然お似合いですよ」
園田はうんうんと頷いて、エプロンをして立ち上がり、夕食を作るために小さなキッチンへ立ち、仕事を始めたのだった。
 
「ねえ、梶本」
「はい?」
「なんであんなに頑固なの?」
「お嬢様ですか?」
「他にいるか!?」
「……先代と一番血が濃いと思わせる部分でございます」
――――まったくもう、あそこであのハウスキーパーが一秒でもドアチャイム鳴らすのが遅かったら、襲いかかってたぞ! 身体にいうこときかす……なんてことを危うくしそうになった!!
後部座席で、小声でひとしきり英語で悪態をついてるアルフォンスに、梶本は尋ねる。
「カートライト様」
「Why?」
「きちんと、告白されました?」
「したよ! きちんと! ……やっぱ結婚歴がある男がダメなのか? 僕がアメリカ人だから?」
「そういったことがお嬢様が拒まれる原因ではないのは、カートライト様も、察しておいででしょ?」
「わからないよ、もともと、女性のことは、ただ、好きになる女性は、遠ざかって、そうでないのばっかり寄ってくるってだけだよ」
「……」
この人、さりげなく自分モテます的なことを発言したなと、梶本はハンドルを握りながら思う。
「お嬢様は……欲しいものは欲しいとあまりおっしゃらないタイプですからね」
「唯一の例外が『シゲクラ』なわけだ」
「旦那様に懐かれるのも、一年はかかりました。カートライト様は数ヶ月です。お嬢様にとって、間違いなく例外に含まれるかと」
アルフォンスはハーと溜息をつく。
「いいんだけどね」
「……」
――――相手を思って、切なくなるのが、恋愛の醍醐味っていうなら、そうなんだろうけどね。
アルフォンスの携帯に着信音が鳴る。
「YES……いいよ日本語で、うん。金額はそれでいい。かまわない近日中に頼むよ」
それだけいうと、電話を切って呟いた。
「好きな子の笑顔が見たいだけなんだけど、たったそれだけのことなのに、難しいね」
「仕事の方が簡単ですか?」
「感情がないから、簡単だよ。数字だけ見ればいい」
「……」
「でも。『シゲクラ』のみんなを見てると、それだけじゃないんだって思い始めてる。多分これも、珠貴の影響力なんだろうな……」
表情には出さないものの、梶本は内心ほくそ笑んだ。
先代の自慢の孫娘ですからと、心の中で付け加えて……。