HAPPY END は 二度 訪れる 21
翌日から、珠貴は元気に出社した。
先日の一件で、アルフォンスに対して、もっと構えたところを見せるかと思ったが、今までと変わりない態度を示していた。
よくある師匠と弟子、上司と部下、そして年の離れた友人のようなそんな態度を。
そして珠貴からはあの一夜のことは、口にださなかった。
アルフォンスが尋ねてきたことににも触れず、彼がそのことを口にさせないような雰囲気で接していた。
ここで、あのことを二人の関係について、アルフォンスが深く掘り下げようと会話をしたら、多分、彼女は逃げ出すか、泣きだすだろう。
いつもどおりにふるまおうとする珠貴の行動が、全部強がりだということはアルフォンスにはわかっていた。
「じゃ、工場建設予定地の視察に行ってから、アメリカに戻るのね」
「ああ、いろいろと手続きを踏まなければならないこともあってね。一時的な帰国だけど」
「そう」
「戻ってきたら、この会社の経営権をキミに譲るよ」
「アルフォンス……」
それは、この会社を珠貴に任せて彼が日本を離れるという意味だ。
「珠貴」
「はい」
「僕がいなくなるのは、少しは寂しい?」
少しどころじゃなく、とても寂しい。
身を切られるように寂しい。
たった数ヶ月なのに、それまで彼のいなかった時間が思い出せないほどに。
彼に出逢う前の方が、悲しみと喪失感とで一杯だったはずなのに。
彼との別離が近づくのを実感するたびに、もう一度、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになる。
「寂しい……かな」
「どうしたんだ?……何かへんなモノでも食べた?」
珠貴がせっかく素直に自分の気持ちを伝えているのに、アルフォンスが今度はまぜっかえす。
珠貴は苦笑する。
――――わたしが、アルフォンスに特別な感情はないと伝えてしまったのだから、アルフォンスがわたしの態度を受け入れて、そのままアメリカへ帰国してしまうのは当然のことだ。
今更、寂しいと云ってもどうしようもない。
自分が決めたことなのだから
アルフォンスがオフィスから出ると電話が鳴り、珠貴は慌てて受話器をとる
「はい」
「サンライズハウジングの者です。重倉さんをお願いいたします」
「重倉はわたしですが」
「サンライズハウジングの大崎と申します。重倉珠貴さんからご依頼されて、管理している不動産の件でお話がありまして」
管理を委託しているあの洋館の件だった。
借り手が見つかり、来週にでも、借主にキーを渡すことになったという話だった。
電話を終えて、珠貴は暫く動けなかった。
――――私が望めなかった暖かな家庭をここで作ってくれればいい。
亡くなる間際の祖父の言葉を思い出す。
その言葉、祖父の願いを叶えることは、もうできそうにない。
あの家にはもう住むことはないだろう。
けれど、あの家の借り手がついたのはいいことだ。
自分の代わりに……あの家で、誰かが幸せになるなら。
それに、借り手がついたとなれば家賃収入も入る。
自分のことは自分でできるが、園田の空いてる曜日は、自分と契約することも可能だ。珠貴が仕事を依頼して、園田の給与に加算されるなら、彼女の生活も今より少しは楽になるだろう。
祖父が残した会社、祖父と関わった人々を愛して護ることが、何より優先しなければならないことだと、珠貴は自分自身に言い聞かせた。
デスクにある新製品のラフデザインに目を落とす。
ペンを持って、そのデザインをきっちりと形にしようとする。
――――あの洋館に似合う家具を作ろう。
新しい借り手が、自分の会社の家具を利用するとは限らないけれど。
でも、あの家に、一つでもいい。
『シゲクラ』のモノを置いてもらいたい。
沙穂子がスケジュールの連絡を入れるまで、珠貴はずっとデザインのスケッチに集中していた。
珠貴がオフィスを退勤する時、声をかけられた。
「珠貴」
その声には聞き覚えがあった。
振り返ると、吉野和也が立っていた。
この男に熱をあげていた自分が本当にいたのかと思うぐらい、珠貴は彼に対して冷やかな視線を投げていた。
「和也さん」
一応、相手は親族で年上の男だ。
礼儀は守って敬称で名前を呼ぶ。
「元気だった?」
どの面下げて、その台詞が云えるのだろうと思う。
この男はおめでたくも、珠貴が未だに自分に想いを寄せているとでも思っているようだった。
珠貴は一礼する。
その礼儀正しさが、この目の前の男の勘違いを増長させた。
「いろいろと、活躍してるみたで、忙しそうだね」
「おかげさまで。この後も、予定が入ってます」
「そうつれなくしないで、せっかく食事でも一緒にと思ったのに」
冗談じゃない。お断りだ。
「重倉専務」
エントランスに朗々と響くのは沙穂子の声だった。
キリっとまなじりを上げて、吉野和也を睨みつけていた。
「沙穂子さん」
珠貴はほっと息をつく。
カツンとヒールを鳴らして沙穂子は珠貴の傍に寄る。
「お時間迫ってます。オーナーはすでにお店に向かわれてるので、お早く」
珠貴は頷く。
「待てよ、江波、お前が何、しゃしゃり出てくるんだ。俺は今、珠貴と話してるんだ」
コノヤロウ、ふざけんなと、妙齢の女性にあるまじき口汚い言葉が咽喉まで出かかった沙穂子だが……その憤りを沈めるように、珠貴が発言する。
「沙穂子さんは、わたしの有能な秘書です。あなたは、現在この会社となんの関係もない」
この珠貴の一言で、和也に対する態度が、儀礼的なモノにすぎないと本人にも伝わったらしい。
以前の吉野に向けていたほんわりとした甘い表情や声質ではなく、アルフォンスに教えられてきた、ビジネスウーマンの顔だった。
「大事な話なんだよ、ここでは話せない。時間を作ってくれないか?」
「お断りします」
スパンと一刀両断と云うべき即答だった。
かつてのただ自分の云うなりの、人形のような彼女を知ってる吉野にとって、その態度は腹立たしいものだった。
「珠貴」
珠貴に掴みかかろうとする吉野の手を、沙穂子が二人の間に身体で割って入って、阻止をした。
「江波、お前っ……!」
「警備員を呼ばれたくなければ、ここから出て行きなさいっ!」
エントランス内に、沙穂子の声が響く。
エレベーターの音が鳴り、ドアが開いたら数人の社員の雑談がエントランスに響く。
吉野を快く思わない男性社員の声を察知したのか、吉野は舌打ちをして、エントランスから自動ドアへ向かい、社屋のすぐ横に駐車していたポルシェに乗り込み車を走りださせた。
エントランスにたたずんで、ガラスの向こうを見つめる珠貴と沙穂子に、「どうしたんだ?」と男性社員達が声をかける。
わずかに震える沙穂子の手を珠貴はギュっと握り締める。
「ちょっとヘンな押し売りがきたの、沙穂子さんが頑張って追い払ってくれたのよ」
珠貴の言葉に、他の社員達は沙穂子のことを「さすがだねー」と褒め称えた。