HAPPY END は 二度 訪れる 19




――――Will you marry me?
珠貴の耳に、彼の声が残る。
珠貴が目を覚ましたのは、お昼前だった。
「……だるい……」
頭痛がするし、節々が痛い。
普段使わない関節や、下腹部にも鈍い痛みが走る。
彼が寝入ったのを確認して、彼を起こさないように気をつけて、すぐにホテルからこの部屋に帰宅した。
あのまま彼と眠ってしまったら、眠って目が覚めた時に彼がいたら、離れていたくないという気持ちが、更に増したに違いない。
アルフォンスは優しいから。
珠貴が素直に甘えたら自分の本当の気持ちを隠して、珠貴の傍にいてくれる。
――――でも、それは愛じゃない……。
責任とか、同情とか、そういった類だ。
――――Will you marry me?
あの言葉だってあの場合は、彼なら云う。
例え珠貴じゃなくても。
――――……わたしじゃなくても……誰にでも云うの?
ギュっとベッドの中で、珠貴は自分で自分の腕を抱えて膝を曲げて丸くなる。
――――彼の人となりを見て、そう思う? 一夜の行為の度に、相手にそんなに軽くプロポーズをする人だと思う?
そんな軽薄な人ではないと、この数カ月の付き合いでちゃんとわかっている。亡くなった奥さんを大切にする人だ。
云いよる女性達もたくさんいただろう。実際に、今の会社でもアプローチしている女性はたくさんいるけれど……、アルフォンスは吉野のように鼻の下をのばして、それぞれに気のあるような甘い言葉を吐くこともない。
やんわりと、でも執拗な誘いはぞっとする冷淡さではねのけている。
なら昨夜のことは……あの言葉は……。
――――期待しちゃだめ。私は特別だなんて。
頭痛の為に、思考がまとまらない。
これから先、独りで生きていくと決めた決意が、崩れそうになる。
考るというよりは、自分自身を納得させる作業が難しい。
暖かった彼の肌も荒い息も、まだ、身体に残っている気がする……そのせいだと思った。
 

ピンポンとドアチャイムの音で珠貴は目が覚めた、ギョっとしたのは室内は真っ暗だったでカーテンの向こう側はすでに日が沈んでいるようだ。
サイドテーブルにある時計に視線を向けると、6時だった。
ドアチャイムはあるけれど、インターフォンはないので、用心を兼ねて、ドアを半開きにする。
廊下の薄暗い蛍光灯に照らされたブロンドの髪に、はっとする。
半開きにしたドアが外側からググっと引っ張られて、珠貴はドアノブから手を離してしまった。
いかにも会社帰りといったスーツにコート姿のアルフォンスが、ドアの内側に身体を滑り込ませ、珠貴の腕を引っ張って、抱きすくめた。
力強い腕と、彼の体温と、コロンの香りに包まれて、珠貴はものすごく安心してる自分に気がつく。
そして、すっぴんでラフなパジャマ代わりのスウェットの自分にも気がついて、慌てて彼から離れたい気持ちになった。
「アルフォンス、ごめん、ちょ……離して」
「NO」
きっぱりと拒否されて、珠貴は腕の中で身じろぎしようとするけれど、がっちりとホールドされている。
「髪ぼさぼさだし、化粧してないし、部屋着だし」
「初対面の時は、ほぼノーメイクだった」
痛いところを突かれるが、珠貴はもう少し抵抗を試みる。
「寝起きなんです、頭が働かない……」
コツンと珠貴の額に、アルフォンスは自分の額を当てる。
「仕事が終わったら、真っ先に、珠貴に文句をつけたくて急いできたんだ」
「も、文句って……」
文句って何? と思うが、アルフォンスは珠貴の額と自分の額を合わせて珠貴の瞳を見つめる。
「……熱がある……」
「少しね」
「もしかして、昨日から具合は悪かったのか? 病院には?」
珠貴はなんとかアルフォンスの胸に手をあててググっと距離をとろうとする。アルフォンスは携帯を取り出して、下にいる梶本に電話をする。
「梶本、ここの近くに病院はっ? 珠貴が熱を出して……」
珠貴はアルフォンスから携帯を取りあげる。
「梶本さん、大丈夫、ちょっと疲れただけ、熱も微熱。市販薬で大丈夫」
それだけ早口でいうと通話を切った。
「わたしは……あなたの奥さんみたいに病弱じゃないの。大丈夫よ、インフルエンザならともかく、ただの疲れからからくる熱」
アルフォンスは眉間に皺を寄せる。
「そんな勝手に自己診断を……」
アルフォンスの苛立った口調に、珠貴はちょっとたじろぐ。
でも、ここで病院に担ぎ込まれるのはごめんだ。
そんな珠貴の気持ちを見透かしたように、アルフォンスは譲らない。
「少しぐらいは、いうことをきいてくれ」
「……」
「心配したんだ」
「……アルフォンス……あなたは、わたしの親でも兄弟でもないわ。心配する必要はないわ」
「じゃあ云うが、キミも僕を心配しないというのか?」
アルフォンスはそう云って、噛みつくように、珠貴の唇にキスをした。
荒々しくて、呼吸が止まりそうなキスだった。
それでも、珠貴はそのキスを自然と受け入れ、アルフォンスの唇が離れると、唇の温度が少し低くなる。
「そんなキスしてくれるのに。嘘つきだねhoney顔も赤い」
――――それは、今のキスのせい。
アルフォンスが、もう一度珠貴の唇にキスを落とす。
さっきの奪うような激しいキスじゃなくて、今度は触れるだけの、優しい宥めるようなキスだった。
さっきのキスよりも、静かな分、気持ちが落ち着いていた。
そこへ、アルフォンスから取りあげた携帯が鳴る。
その音に驚いて、珠貴は彼から離れようとしたが、アルフォンスは腕を外すことはしなかった。
片手で携帯の通話をオンにする。
「Hi」
「……」
誰からなんだろうと、珠貴は思うと、通話の声がかすかに漏れる。
声から梶本のようだった。
「OK、そうしてくれ」
通話を終えると、珠貴の肩と膝の裏に手を通して、珠貴を抱きかかえる。
狭い玄関スペースだがタタキがあるのでそこで靴を脱いで、珠貴を抱きかかえたまま部屋へあがる。
そして、ベッドへ珠貴を下した。
ベッドの端に腰かけて、珠貴の頬を手の甲でなぞる。
「アルフォンス……」
珠貴はそのままアルフォンスの胸に頭を寄せたくなるが、かろうじて堪える。
「梶本が以前、重倉の家でハウスキーパーをしていたミセス園田を呼び出したらしい、あと30分もすればここに来るよ」
「園田さん?」
「病院へ行かないなら、彼女のいうことを訊いて……きちんと食事して、薬を飲んでよく休んで」
「……わかった」
アルフォンスの心配は杞憂に終わると珠貴は思うのに、こんなに心配するのは、亡くなった奥さんと一瞬重なったからだろうか。
「ほんとうにキミは、生意気だよ」
「……」
「男をベッドに置き去りににするなんて十年早い」
そう云われて、珠貴は昨夜のことを思い出す。
キスもそれ以上の行為も。
「今度そんなことしたら、熱出して倒れ込むだけじゃすまなくなるよ」
「今度?」
彼とベッドで一緒に一晩過ごすことが、あれっきりではないという意味なのか、それとも……ただ、珠貴の行動を窘めるための言葉なのか、考えるところだった。
珠貴がいろいろと考え込んでる様子を、アルフォンスは見つめる。
熱さえなければ、このままベッドに押し倒して、昨夜のように激しく彼女を求めたかった。
「今度はないでしょ?」