HAPPY END は 二度 訪れる 4




「重倉祥造が、わたしに会社の全権を委任せずに、吉野和也を後継に立てたのは、わたしが吉野と婚約していたからです」
「婚約?」
「吉野はおじいさまにとっては甥っ子の子供で、血縁があるといえばある。本人が『シゲクラ』を経営していく気もある。当時わたしが彼に夢中だったという状態から、それが後継の条件でした」
「……婚約……」
「おじいさまがなくなり、会社の全権が吉野に移行してから婚約は解消。吉野は『シゲクラ』と『シゲクラの財産』が欲しかった。でも、家は……何を思ったのか、おじいさまはそこは譲らなかった」
家は、珠貴の名義のままだ。
だけど、たった一人で住むにはひろすぎて、結局弁護士に頼んで不動産会社に貸し出して、自分は、都内の中古マンションに住んでいる。
「おじいさまは、このことを見越していたのかもしれません」
「……しかし吉野前CEOは、キミを騙くらかして、手に入れた会社にも関わらず、業績は低迷。一年半で倒産寸前にまで陥り、僕に買い取られたと」
「……」
「じゃあ、キミにも責任があるじゃないか」
アルフォンスの言葉を、オウム返しで問いただす。
「責任?」
「世間知らずだったのもあるかもしれないが、吉野に入れ上げて会社をまんまと奴に渡したのはキミだろ? 倒産しかけた責任の一端はキミもあるんじゃないの?」
グっと珠貴は詰まる。
頬杖をついたアルフォンスに「被害者ヅラはできないなー」と云われる。
彼に指摘されるまで気がつかなかった。
――――責任……。
祖父を亡くした悲しみと、吉野に裏切られた悔しさで、気がつかなった。
『シゲクラ』にはまだ沙穂子を始め、最後の最後まで会社にとどまるつもりの人間が残ってる。
彼等は……もしかしたら……自分の感情によって、会社の未来を変えられた被害者……。
珠貴はカップの取っ手を指にかけたまま、静止した。
その様子を見て、アルフォンスは、頬杖をついたまま景色を眺めつつ、彼女の表情や様子に視線を配る。
コレはあまりいい手ではない。
アルフォンスは良心の呵責を抱える。
彼女の傷に塩を擦りこんでいると自覚はある。
23のまだ若い女性だ。
唯一の肉親を亡くして、惚れた男に裏切られた彼女。
できれば使いたくなかったが、こっちも切羽詰まってる。
彼女が、もし、自分の手をとってくれたら、倒産する会社ではなくなるかもしれない。その可能性が高くなる。
「おかげで、平社員は、右往左往」
「……」
「キミは創業者の孫娘、血縁からいったら吉野よりも濃い。そして『シゲクラ』を愛してるはずだ」
「……」
「キミが、手を荒らして生花店のアルバイトをすることが、残った社員の為になるとは思えない。キミは『シゲクラ』に戻るべきだ。残った社員と最後までとどまるべきだろう。そしたら、可能性が出てくる」
「可能性?」
「倒産回避の可能性さ。社員は今のまま、あの会社で働き続けることができるってこと」
ダメ押しに云ってみる。
ここで、彼女が逃げるか否か。
ここまで云って、彼女が逃げたら、それまでの人材だ。
孤軍奮闘で、会社を立て直すしかない。
しかしそうしたら……。多分、亡き彼女が愛した『シゲクラ』ではなくなってるだろう。
アルフォンスが作った『シゲクラ』に、彼女は表面上は労っても心からの感動はしてくれないだろう。
もっともそういってくれる彼女はこの世にはもういないが……。
賭けではあった。
が、この目の前の彼女は……多分逃げない。
創業者の墓前で腕をつかんだ時、彼女の黒い瞳は、一瞬射るような激しさでアルフォンスを睨み据えた。
「わからないわ」
「?」
「ミスター・カートライトは、有名な実業家だし、いくつもの会社の再建を成功させてきているけれど、何故、『シゲクラ』なの?」
アルフォンスは数秒沈黙した。
最初に伝えておいた方が、あとあと問題にならないと、アルフォンスは思った。
「亡くなった妻が、『シゲクラ』のファンだった」
「奥さま……?」
「リナはもし、将来産まれてくる子供ができたら、『シゲクラ』の机を買いたいと云ってた」
「……」
「あんまり云わないように、女々しいと思われるから」
内緒だよと、指を立てて、ウィンクする。
その表情を見て、珠貴は一瞬、どきりとする。
実業家というよりは、モデルみたいな彼のしぐさは、女性を惹きつける。
今もこのティールームで年配の女性から自分と同じ年代の女性が、アルフォンスに注目している。
吉野で痛い目を見て、もう、男性には、期待も何も持ちたくはなった。
けれど、目の前のアルフォンスは、愛した妻の想いを大事にしてる。
世の中にはそんな男性もいるのかと、珠貴は関心した。
「……ロマンチストなんですね」
そういった珠貴の声が、幾分警戒を解いたように感じられた。
「男は結構ロマンチストだよ」
普段、誰にも云わない本音をここでいっておくことが、さっき勧誘の為に彼女の心の傷をえぐった詫びのつもりもあった。
「だから、珠貴が、手伝ってくれると嬉しいな」
 
――――珠貴、見て御覧、この家具。新しいシリーズなんだよ。
皺だらけの長い指が愛おしそうに、新製品のラフデザインを珠貴に渡す。
――――素敵だわ、おじいさま。
――――みんなが作るから素敵な製品になるよ、珠貴。手伝っておくれ。
珠貴は何度も頷く。
家族らしい家族の団欒を持つことができなかった、おじいさまと自分。
家族への強い憧れからつくられるリビングダイニングへのファニチャー。
目の前にいる彼の妻も、そんな祖父の製品を愛した。
 
「……」
「キミが手伝ってくれるなら、僕は君の希望をかなえるよ」
「希望?」
「うん。僕でできる限りのことを。上手に再生できたら、僕は『シゲクラ』を出て、また、つぶれそうな会社を見つけては立て直すために、世界中にでかけることになる」
「……」
「まあ『シゲクラ』を立て直せたら、の、話だけど」
数秒の沈黙の後、珠貴は口を開いた。
「……お願いしたいのは……」
「うん?」
「あなたはいくつも会社を持ってるわよね」
「うん」
「あなたみたいになりたいの」
「?」
「おじいさまみたいになりたいの……ビジネスの世界で、わたしを、独り立ちさせてほしいの。会社をひっぱって、外部からの圧力からにも屈することなく、理想を抱いて、社員を守れる……」
アルフォンスは彼女を見つめる。
珠貴はアルフォンスの言葉を待った。
「いいよ」
珠貴が予想したよりも早く、彼は答えを出す。
頬杖をつきながら、真っ黒い大きな瞳を見据えた。
田舎なまりの礼儀もしらない娘をレディにしたのはヒギンズ教授。
会社を立て直すと同時に、彼女をメーカー屈しのトップに立ててみせるのは、それ以上の楽しみがあるような気がする。
ただ会社を再建するよりも楽しそうだ。
アルフォンスは彼女に手を差し伸べる。
「キミを立派なビジネスウーマンにしてみせよう」
珠貴はアルフォンスの手を握り返す。
ここでまた、珠貴は心臓が跳ねるような心地になった。
大きくて暖かく、力強い手。

――――おじいさまとは違うけど……おじいさまの時に感じた握手と似てる。
くすぐったいような、安心するような。
そんな自分の気持ちを、青い瞳に見透かされていくようで、珠貴は下を俯いたまま、握手を交わした。