HONEYMOON5
「時間よ、起きて」
奏司はビクッとして、枕カバーを握り締める。
いつも移動中に居眠りをして起こされる時と同じ声、同じ科白に、今、自分が何処にいて何時で、この先のスケジュールを頭の中に表示させるのに時間がかかった。
彼女の顔と部屋の中。
今、自分は彼女の寝室で目が醒めた。
芸能活動をオフにして、教育実習期間二日目の朝。
そこまで記憶をハッキリさせる。
「今何時?」
「6時」
「……」
「シャワー使って、頭ハッキリさせてご飯食べて、学校へ行きなさい」
「早くない?」
「ギリギリまで寝てるのは駄目。オフで、ココにいる限り、体調管理は怠れないと思いなさい」
昨夜、あんなに腕の中で甘えてくれた彼女は、いつものポーカーフェイスだ。
「じゃ、おはようのチュウ」
ビシッと奏司の額のど真ん中に、デコピンが入る。
「痛い、今のは痛い!」
「痛くない、早くなさい」
ちぇーと呟いて、ベッドから起き上がる。下はパジャマだけど、上半身は裸だ。
その見慣れた肩を見て、静は呟く。
「ごめん」
「何が?」
「今日、体育は?」
「へ?」
「肩に……その……」
「うん?」
ヒョイと奏司は自分の肩の後ろを見る。爪の引っかき傷が少し生々しい。
「いいよ、どうせ、オレの身体傷だらけじゃん。わかんないって」
それは確かにそうなのだけれど……この手の傷は違うだろうと静は思う。
奏司は小学生の時に交通事故に合っている。
その時の傷が身体のそこかしこにある。
右掌の傷もそうだ。
前回のDCジャケットは、プロデューサーの石渡由樹とカメラマンの意向で、コスプレ的な要素がふんだんで、海賊衣装なんかは、この身体の傷すらも逆手にとって撮影したぐらいだ。
――――だけど、その傷は違う……。
今日、早く起きて正解だった。
スケジュール管理同様に、自分の行動も自重しようと思う静だった。
「いただきまーす」
身支度を整えて、奏司はダイニングテーブルにつく。
朝は洋食。普通にパンとハムエッグとサラダ。ヨーグルトにコーヒー。
夜は別にTVをつけなくてもいいのだが、朝はニュースを視聴する習慣がある。
リモコンのスイッチを押して、ニュースを流した。
「量、少ない?」
「いいよ、このぐらいで。静もちゃんと食べなよ」
「……はいはい」
「今日は昨日と同じぐらいかな? 明日は早めに帰れると思うから、明日、一緒に買い物にいこうね」
「そうね、必要なものはちゃんと書き出すか、メールで送って」
「えーいいよー」
「買い忘れるとだめ」
「……はいはい」
奏司は静が云った科白をそっくり真似て返事をする。
ムっとして、顔を上げる静を見て、奏司はニヤリと笑って、コーヒーを飲んだ。
朝食を済ませ、スーツの上を着ると、鞄を持って、玄関へ行く。
都内だけど、郊外といっていい土地柄、最寄駅からの距離が徒歩20分はあるという。
車で送った方が早いのだが、奏司は、電車で通勤するといってきかなかった。
「じゃね、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
彼を見上げると、不敵な笑みを浮かべている。
雑誌やCDジャケットで見せるあの笑みだ。間近でされると見慣れている静でもドキリとする。
瞬間、ガシッと右腕で身体をホールドされて、キスされた。
唇を開けさせて、舌を吸い上げてくる。イキナリの苦しさに酸素を求めて口を開くけれど、それも彼のキスに塞がれる。
強引な強さが次第になくなって、静自身からキスを求めさせるように促したところで解放された。
「おはようのキスがなかったから、行ってきますのキスね」
方腕の力が静の身体を解く。
朝からいきなり、こういうキスはないだろうと、静は思う。
奏司は多分、朝からビジネスモードで接してくる静を崩してみたかったのだろう。
「あとね」
静の首筋、鎖骨のあたりに何度かキスをしてくる。
「こら、ちょ」
「せっかく、静がオレに虫除けつけてくれたんだから、オレもつけておかないとね」
「何が虫除け」
「肩の爪痕。だから静にはキスマーク」
フレームの太い、伊達眼鏡をかけて、静の頬に最後にもう1度キスをするとドアの外に姿を消した。