ENDLESS SONG6
信号が赤に変わる。
「さっきも訊いたけれど、答えてもらってない」
静はゆっくりとブレーキを踏んで、車を止める。
「絶対、歌向きの人だと思うんだけど」
「歌向き?」
「あー……オレ的な印象でさ、楽器の人と、そうじゃない人といるの。石渡さんは根っから楽器の人、声も綺麗だけど楽器の人だよね」
彼のその感覚的な表現は、わからないでもない。
「音楽は聴くのは好きだけど、別に演ろうとは……思わないわ」
「えーそうなのかあ……でも、オレ、静サンの声好き」
どうして彼はこうやって、自分の中に踏み込んでくるのだろうと、静は思う。
忘れかけていた―――――忘れようとしていた歌いたかった気持ちとか、歌を、諦めなければいけない気持ちとか、そういうこを、静の中から少しずつ、引っ張り出してくる。
彼に対してどこか距離を起きたがっているのは、こういうどうしようもない葛藤が、自分の中で処理できなくなりそうだからだろうか?
静は、カーラジオに手を伸ばしてFM局を流す。
ラジオのDJの声が車内に流れ出す。
『本日、クルス・マリアの武道館ライブがあったみたいですね、「行ってきました、超カンドー」のE―mail、たくさん届いてます、じゃ、曲いっとく? クルス・マリア「ここに、おいでよ」』
イントロが流れ出す、アンコールで流れたスローバラード。
ピアノの旋律が、ゆっくりと流れ出す。
しばらく、車内は沈黙が訪れた。そして、歌恋の声が流れる。
「訊いてもいいかしら?」
「何を?」
「その掌の傷は、どうしたの?」
彼は自分の掌に視線を落とす。
「あ、コレなんかしなきゃ駄目? 整形外科に通って皮膚移植とかすんの?」
「キミ自身が気にならなければ、別にいいわよ、由樹さんもそういうところには拘らない人だし」
「そうなんだ、コレ10年前の交通事故の時の傷、気がついた時には、バックリ切れてた」
「……」
「プロフィール、読んでるんでしょ? オレに両親がいないのも、知ってるよね?」
「知ってる……怖くないの? 私の運転……事故って、凄かったんでしょ?」
「凄かったよ……」
彼はポツリと呟く。
「15台の車の玉突きだから、自分の乗ってる車が、いつ爆発してもおかしくないし、回りはガソリンとか、なんか焼ける臭いとか鉄の臭いとか、多分血だと思うけど……そういう臭いしたし……車の原型はもうないし……だけど、そんな中でなのによく聞えたんだよ、カーラジオ……。
優しいDJの声と……R&B……」
「……」
「ひしゃげて小さくなった窓枠から見えた月が、白くて綺麗だった……」
「……」
「あんまり綺麗で、オレも死ぬのかもなーって思った」
彼の歌声を聴いて、静を動かしたのは、こういう鮮烈な過去を持つ人間しか、顕わせないものかもしれない…。
普通に日々何事も無く両親健在のもとに生きていた静には、想像もつかない過去だろう。
「でも、車は怖くはないよ」
「そう……」
「静サン、運転上手いしね」
「ありがとう」
「オレも免許欲しい」
コンビニの駐車場に止めて、静は飲み物を買いに行く。
奏司もシートベルトを外して、静の後についていく。
コンビニの店内で静は、奏司の好きなお茶のペットボトルを購入、静はドリップコーヒーを買う。
「いただきます」
彼はそう云って、ペットボトルのキャップを捻る。
静も紙コップに口をつける。
「免許ね……保護者の方の了解が取れれば手配するけれど、どうする?」
「いいよ、未成年の内は、諦めてるし」
多分、保護者の方が、了承はしないだろうと静は思う。
そんな静の表情を見て、奏司は静に話しかける。
「別に、反対はしないよ、最終的にはね、許してくれるよ。音楽もそう。楽器がやりたいとか云えば、多分揃えてくれただろうし、ただ、オレ自身がなんだかそうしたくなかった。静さんが考えてるような、複雑な家庭環境じゃないよ、叔父さん夫婦には子供がいなくて、オレはすごく可愛がられていたし、それは今も変わらない」
「だからこそ余計に自立したい?」
奏司はほんの少し微笑む。
その整った顔立ちに、静は一瞬見惚れる。
彼の年齢よりも、どこか大人びた表情。
普通にしていても、彼が未成年だろうとは判別しがたい。
最近の10代の子は成長がいいとは云うけれど、それは見た目の体格においてであって、精神面ではまだまだ幼い部分を残している子は多い。
だけど、ふとした表情に、どこか老成している印象を受ける。
だからだろうか、今まで静は誰にも云わなかった事を話したのは……。
「どうして、私が歌うとか思ったの?」
「歌わないでいられなかったと思ったんだ。それだけ、声が綺麗なら」
自分も、そう思っていた。そう、今の彼ぐらいの年齢の時に……。
今ここに、当時の自分が目の前にいたら、裸足で逃げたくなるだろう。
自分の力はどこまでも果てがないんだという思いあがりが、鼻について、今思えば恥ずかしい。
実力があると思い込むのは、若いから、自分よりももっと他の世界があることを知らない。
小さな子供がアイドルを夢見るのとレベルはなんら変わらなかったのだと、今なら思える。
「歌いたかったけれど……私の声は届かないらしいから……」
「届かない?」
「ここに」
拳を握り締めて、自分の胸に当てる。
「キミの声は駄目だと……由樹さんに云われたのよ」
ペットボトルから口を離して、奏司は静を見る。
「10年ぐらい前にね。由樹さんも、きっと憶えてはいないと思うわ。あの人の前には、たくさんのアーティスト志望の人間がやってくるもの」
「辛かった?」
彼が小さい声で、静に囁く。
10年前の自分は、あの綺麗な音楽を作り出す人に、駄目出しをくらっていた。
それで総てが終ったと思っていた。
でも、10年前の彼は、たった1人で、車の中で、カーラジオだけを支えに、生き様としていた。
総てが終るかもしれないと、怯えながら……。
心に響かせる声の差は、その違いはこういうところによるのかもしれない。
「奏司?」
「なんか、すごく嬉しい……静サンが、自分の事をオレに話してくれるの、初めてだよね」
「……そうだった?」
「そうだよ」
ペットボトルを両手で包むように持つ彼を見る。
コンビニのドアから塾帰りの女子高生が、奏司をちらりと見て、少し離れてはもう一度、振り返る。
その様子を、静は見逃さない。
普通にしていても、やはり騒がれるタイプのルックスだと、静は思う。
奏司本人は自覚しているのか、無自覚なのかは、わからないが……。
「オレにはいつも、スケジュールのことに限定で。スタッフとだけ、相談してて、オレは本当に、商品としか見られてないんだなって、思っていたから」
切れ長の、どこか鋭くて冷たいカンジがする瞳が、柔らいでいて、さっきまでの大人びた表情はなく、どこか子供で幼い印象も与える。
母性本能は皆無だと自覚しているけれど、やはり、この少年は人を惹き付ける魅力を持っているんだと、静は思った。