Delisiouc! 17




「わー……」

課長がそう呟いたのは、オレの料理に対してではなくて、テーブルにある料理を、遠慮なく、そして、容赦なく平らげるこの目の前にいる倉橋と美緒子ちゃんの食べっぷりに対しての「わー……」である。
二人にはイタダキマス!の言葉が、100メートル走開始のピストルの音なのかもしれない。全力疾走MAXの食べっぷりに、課長はただびっくりしている。
オレはいつものことだと思ってたんだけど、やっぱコレ異常な光景なんだな。

「降矢君が料理上手になったのは、この二人がいたからね」
「……まーそーかもですが……」

小龍包を取り分けて、課長の前に置く。
倉橋と美緒子ちゃんにはもう少し、大きめに作ったほうがよかったかなと思ったけれど、課長は最近少食なんだよね。
この間のお弁当も、もう少し量を少なくした方がいいかなと思ったぐらい。

「誠ちゃん、誠ちゃん、やって、おこげにジューッ!って!」
「はいはい」
海鮮オコゲね。
餡が湯気を巻き上げて音を立てる。
「キャー!」
足をばたばたして。蓮華を掴んで、美緒子ちゃんは大興奮。
「薫ちゃん、ねー! コレ! コレ! すごいよね!」
すでに課長を名前呼び。
オレはその様子を見て、ドキリとする。


課長、顔色、悪くない?


キッチンに餡のなべを戻して、振り返ると、課長は「ごめん」といって席を立って、トイレの方へ行った。
具合悪いかったんだ……。
あーもー、馬鹿、馬鹿、オレのバカー!
もっと早く気づけよ! こういうところは!
「ど、どうしよう、課長、具合悪いのかな……」
オレがそう呟くと、倉橋と美緒子ちゃんは顔を見合わせる。
「……」
「ねー、美緒子ちゃん、課長、来るとき、具合悪そうじゃなかった?」
「……」
「風邪でも引いたかなー?」
「……」
それまで勢いよくガツガツ食べていたスピードは失速してきていた。
もちろん、テーブルにある料理が、この二人の胃袋に納まりつつあるからなんだろうけれど、それだけじゃないような……。
ああ、オコゲ、もうなくなっているし、どうしよう。
そうだ、えーと、お粥、お粥ならちょっとぐらいは食べられるかな?
お粥作ろう。
オレはキッチンに向かってお粥作ろうとする。
そんなオレに倉橋は声をかける。

「降矢、もしかしたらあの人……」
「?」
「できてんるじゃない?」
「何が?」
「子供」


デキテルンジャナイ? 


倉橋、なに…………。
今、何云った? 日本語? どこか遠い異国の言葉?


―――――コドモ……。


「あたし、様子見てくるわ」


美緒子ちゃんは席を立って、課長の様子を見に行った。




「まだ、調べてないから、なんとも云えないけれど……」

テーブルの前に東方明珠が二つタンブラーの中で揺れていた。

「多分」

課長……。
そうなんだ、さっきのやっぱり妊娠する初期の症状の……つわりってヤツなのか……。
気がついていたんだ、そうだよな、自分の体だもんね、わかるよね。

「相手は、知ってるの?」

そう倉橋は尋ねる。
コドモは一人じゃ作れません。
相手が…………。
相手、アレか、あの男か……。
ピンときたね。
あのイタリアンレストランで、課長と一緒にいた男。
課長が課長が、長い間好きだった男。
そうだよね、好きじゃないと、そんなことしないよね?
今はどうであれ、課長は好きなんだ、あいつのこと。
コドモができるようなことをするぐらいには……。そーゆーことも……。
そういう話は訊いてたけれど、そういう行為が、今の状態になるのは……そりゃ、頭ではわかってる……。
わかってるんだけど……。

「相手には……何も……、もう連絡とってないし……」

だよね、オレの目の前で振り切ってくれたんだよ。
相手、アイツ。奥さんいるし!
その奥さん、課長の親友だっていうじゃん。
あー、やばい、泣きそう。
駄目だ、泣いてちゃ、堪えろ、オレ。
泣きたいのはオレよりも多分、課長だ。
課長はあの時、泣いていた。
自分の恋が、他の誰にも認められないものだって、この人は、ちゃんとわかってた。
後悔するって、わかってても……でも一瞬だけでも、あの男が欲しかったんだって……。20代の自分は、自身がなくて、女性としてみてもらえなくて、ずっと仕事だけしてきてたって。オレと同様、コンプレックスの塊だったって……。
それが好きだった人に、優しい言葉とか、かけられたら、グラっときちゃうよ、オレだってそうだよ。
そういう人が一人で、ずっと抱えてきていた想いとか、わかる。
わああ。どうすんの? どうすればいい? 
どうすれば、この人の力にどうやったらなれるんだろう。助けてあげられるんだろう?
オレは、料理を作ることが、それが、ほんの少しのオレの誇りで自信なんだけど、これでどうやって、この人を助けるんだろう。

オレは立ち上がって、冷蔵庫を開ける。
杏仁豆腐を取り出す、マンゴーソースをかけて、人数分、テーブルに配る。

「食べてみてください、頑張って作ったから、コレぐらいなら、食べられると思うんですけれど……」

課長はびっくりしたような顔でオレを見上げる。

「……降矢君……」
「みんな食べてみて、すっげ自信作なんだぜ、杏仁豆腐のマンゴーソースがけ」
「ま、誠ちゃん……」

課長の力に、どうやったらなれるんだろう。
頼りがいのある男になるには、どうすればいいんだろう。
好きになってもらえれば、最高だけれど、せめて、頼れる後輩とかでもポジションは確保したい。

「おいしい?」

オレがそう尋ねると、課長は小さく頷く。

「よかった。今日はあんまり食べられなかったでしょ? だから、今度は、もっと食べやすいもの、用意しますね」
「降矢君?」
「お弁当もね、オレ、毎日作るから迷惑なら、今、断ってください」

お腹にできた赤ちゃんは、産みたいだろう、課長の年齢なら、子供がいてもおかしくないし、まして好きだった相手の子供だ。
親友の旦那さんになった人だし、もしこれが親友にバレたら、友情は木っ端微塵だろうけど……だからといって、安易に堕胎とか考える人じゃない。
他の誰もがこの人の敵でも、オレは味方になりたいんだよ。

泣くのは、オレがこの人に完璧に振られてからでも遅くはないんだから。