Delisiouc! 18
なんだか頭がガンガンするし、鼻は苦しいし、視界ははっきりしないし。
ここは男らしく。何があってもあなたが好きだからと言い切りたいのに言葉も出てこない。
「じゃあ、帰ります。今日はありがとう。ご馳走様」
課長は云う。
送りますって云えばいいのに、言葉がでてこない。
パタッと涙が掌に落ちる。
オレは杏仁豆腐をおいしそうに食べている課長を見て、涙腺が決壊したらしい。
本当に、ヘタレだ。
あそこまで言い切ったなら、せめて課長が帰るまで、我慢すればいいのに、オレの涙腺は我慢できなかったらしい。決壊した。
「送りますよ」
倉橋がオレの代わりにそう云う。
カッコいいよな倉橋。
課長は断るのに、ぜんぜん躊躇うことなく、スマートに課長を送り出す。
オレは椅子に座り込んだまま、泣いているだけ。
あの、美緒子ちゃんが後片付けをしてくれているのに、反応できなかった。
―――――他の誰もがあの人の敵でも、オレは味方になりたいんだよ。
でも、オレの身体は全然、動かなかった。
杏仁豆腐を食べてる課長を見ていたら、不意に、胸が苦しくなった。
オレは、この人が好きだけど……。
この人はあの男をずっと想い続ける。
友達を裏切って、申し訳ないとか想うと同じぐらいには、あいつを想ってる。
だから、お腹にはそういう結果があるんだ……。
そう想ったら、何も完璧に振られなくても、すでに振られてるも同じ。
オレが頑張っても迷惑かも……。
恋愛ってなんだよ、オレ、最初は見てるだけでよかったんだよ。
見てるだけでよかったのに……。
時計の秒針の音だけが、室内に響いてる。
「最後まで頑張れないところが、誠ちゃんらしいっていうか……」
食器を洗い終わった美緒子ちゃんがため息まじりに呟く。
わかってる。自分がどんだけヘタレだってことは。
「ショックだろうけどさー」
「……」
「だけど、課長が独身だから、好きになったわけでもないでしょ?
誠ちゃん、相手バージンじゃなきゃヤダってタイプでもないんでしょ? 相手コドモがいてもOKじゃなかったの? だって、好きなんでしょ?」
そうだけどさ。
ああ、そういえば、倉橋と美緒子ちゃんに課長のことを相談した時、課長はバツイチなのかとか、子供がいるとか二人に質問されたんだっけ……。
そういうプライベート情報知らなかったんだよな。
ただ見合いするって、それだけで落ち込んでさ。
でも、今日はあの日の比じゃないよ。
片想いで泣いた比じゃない。
どうしてこんなに苦しいのかっていうと、ヘンに期待とか希望とか持っちゃったからなんだよな。
身の程知らずにも。
あの人に自分を見てもらいたくて、告白までしてさ。
そしたら思いがけずに、ほんの少し、あの人はオレをプライベートに踏み込ませてくれた。だから、期待したんだ。
もしかしたらの万が一、オレを―――――見てくれるかもって。
でも、コドモができたら、違うでしょ?
そっち優先だよ。
ああ、片想いのくせにまるで、コドモができて、嫉妬する旦那みたいな気持ちに、なってどーすんだよ。
みっともないことに、そんな心の狭さが今のヘタレっぷりに反映してる。
「美緒子ちゃん……オレ。駄目かな」
「……あのさ」
「はい」
「すっげー、ありきたりで、恥ずかしい言葉をいっちゃうけど、まあ、今の誠ちゃんなら、ちゃかさないで聞くとは思うけど」
「何……」
「諦めたら、そこで終わり」
「……」
「恋愛だろーとなんだろーと」
「……」
「最後の最後を除けば、今日の誠チャンはカッコ良かった。あたしは。ずっと薫ちゃんを好きな誠ちゃんがカッコいいと思う。あたしがナニしたって、ふらつかない誠ちゃんはかっこいい」
「迷惑とか思われない……かな?」
「あたしが、誠ちゃんを襲っても、誠ちゃん迷惑とか嫌いだなって思ってる?」
「困るけど、迷惑とか嫌いとかは……」
じゃあ、課長もそうかな……。
「あのさ、最後に云ったの、カッコよかったよ。できれば最後まで、それを貫いて欲しかったけれど、誠ちゃんヘタレだもんね、それはわかってるからさ、課長だって、そこまでは期待しないよ、だって、自分のことでいっぱいだもん、今。妊娠、出産なんて女しかできないんだから」
「……」
「だから、支えてあげなよ」
「……」
「不器用でもかっこ悪くても、いいんだって。気持ちがあれば。大丈夫、課長に伝わらないってことはない」
「明日、課長のお弁当作ってもいいかな」
「いいっすよ」
「食べてくれるかな」
「うん、食べなかったら、あたしが食いに行くから、電話しなさい」
「美緒子ちゃんって」
「いい女でしょー?」
オレは噴出した。目じりの端にこぼれてくる、涙を、ゲンコツでぬぐいながら。
翌日は、泣きはらした目を大垣主任にばっちり見られたときは、やばいなとは思ったけれど、とにかく仕事に集中した。
新作メニューの企画も通ったし、試作を作って部内で意見交換をしていた時だった。
外線の電話が入り、比較的事務系の仕事をしていた尾崎さんが外線電話に出る。
「FFCの尾崎です。あ、はい、お疲れ様です。え? 調理スタッフに欠員? しばらくお待ち下さい、大垣主任、深澤課長からです」
名前を聞いただけで、ドキッとする。
……課長は……いつもどおり、仕事してる。あ……身体、体調、大丈夫かな、先日、つわりひどかったみたいなのに……。
食品関係の仕事だから、いやでも匂いはついてまわる。
中華だから、駄目だったって、わけじゃないかも、ほら、なんだっけ、ドラマでいうじゃん、ご飯の炊いた匂いでも駄目だって。
尾崎さんから電話をつないでもらった大垣主任が受話器をとる。
「はい。オープニングスタッフに欠員……、はい、はい、わかりました、うちから一名そっちに向かわせます、11時にはそっちに」
大垣主任の言葉に、オレは手を洗って、コックコートを脱いで身支度をはじめる。
電話を切った大垣主任がオレを見る。
「降矢、行ってくれるのか?」
「はい」
ファイルからA4サイズの資料をオレに渡す。
「場所はそこにかいてある。ランチ前には絶対に来て欲しいそうだ」
オレは頷いて、大垣主任に弁当箱を渡す。
「ナニ?」
「今日の昼飯、処分しておいてください」
「なんだ、降矢、手弁当か、にしては量が多くね?」
「二人分です」
こんな状況じゃあ、課長も昼飯どころじゃないだろう。
オレは二人分の弁当箱を主任にまかせて、会社を出た。
なるだけ早く、目的地につくように、早足で……。
「FFCから来た降矢です」
店頭には準備中の札がかかってるので、オレが店舗に入るなり、従業員がやってきた。かつてこんだけ早く名刺を相手に渡したことがあったかって、いううぐらい、てきぱきしていたと思う。
「助かりました、調理スタッフの応援の方ですね」
そういいながら、厨房のほうへオレを案内してくれる。
なんか営業のときよりも精神的に楽だ。
すぐに厨房に通してもらえるからだろう。
営業の時は事務所オンリーで打ち合わせが、多かった気がするし。
そんな時は一回ぐらいは厨房をのぞかせてもらったりして。
オレははたっと気がつく。
「更衣室は? 服は個人でもってきてるんで、着替えたほうがいいですよね」
「わあ! すみません!!」
案内してくれる従業員はかなりテンパってるみたいだ。
新店舗オープンはどうしたって、そういう雰囲気があるよな。
現在10時40分をまわったところ。オープンはまであと一時間もない。
下ごしらえにかかる時間としてはぎりぎり……。
深澤課長は多分ホールスタッフやオーナーと事務所だ。着替えて厨房に案内されると、和田が立っていた。
「和田……」
「降矢、助かった。課長は今ホールスタッフの最終確認に入ってるから、俺はディナー前までには、厨房に入れるかるスタッフに連絡をとるから」
「わかった」
「山辺さん、うちの調理スタッフ入るので、よろしくお願いします」
料理長と思われる男性に声をかける。男性は無言でオレを手招きする。
オレは和田をここはいいからと促して、料理長の傍へいき、状況を確認し、作業にとりかかった。