掴まえたい五つのモノ たった一つの存在




他には何もいらない……。
たとえ、その身体がもう、2度とコートに立つ事はなくても。
キミが傍にいてくれるだけでいい。
その存在が、そこに在るだけでいい。
お願いだから神様。
彼女を俺の前から奪わないで下さい。



「篠塚君」
「よかったら、クリスマスイブ。あたし達のパーティーに来ない?」
同じクラスの女子の数名から、放課後、呼びとめられた。
去年も断ったのに、どうして、わからないんだろうか?
誘っているメンバーは去年誘った人物なのか、彼女達に興味はないから、記憶もはっきりしない。
「クリスマスイブは、ウィンターカップ大会初日だよーん」
俺の背後で軽い声がする。
振りかえらずともわかる。桜庭だ。
「え? それ、マジ? 桜庭君!」
「マジ。男子バスケ部設立1年目で公式結果出したいんで、篠塚は貸し出せませーん」
「えー、何それー」
「それって、男子バスケ部の部員全員ってコト?」
「当たり前だ」
俺が一言言い捨てると、彼女達は一歩引く。
葛城がこの場にいたら、「そういう云い方したら、女子ドン引きするから」とか云いそうだ。
別に誰に引かれても構わない。
葛城に引かれなければ、それでいい。
「なんで、ごめんよ」
桜庭が手を合わせて、首を傾げる。
こいつの、こういう部分を少しでもあればいいのにというのが、葛城も云っていたが……。
桜庭は彼女達を上手くあしらって、俺の後を追いかけてきた。
「篠塚、しのづか、しーのーづーかってば」
「……」
「ありがとうは?」
なんだ、今のは助け船のつもりか。
俺があの場でキレて、彼女達を怒鳴り散らして追い払っても、別に俺は困らないんだが……やはりクラブの主将としてはそういう展開にならない方が良い。
ただでさえ、去年のことがあるからな。
「助かった」
俺がそういうと、桜庭はにんまりと笑う。
「お前のそういうところは、俺と違って大人なんだろうな」
そういうとところは、葛城にも云える。
だから、葛城と桜庭はウマが合うのか……。
「何どうしたよ」
「葛城がいたらそういうだろうなって、思っただけだ」
「『葛城』……ね、いい加減、名前で呼べば? 俺達みたいに」
「……」
「え……何、なんだ、その沈黙……え――――!?」
桜庭はオレの正面に回り込んで、がしっと肩を掴む。
「まだ雪緒に告ってねーの?」
流石に周囲の目を憚って、声のボリュームも落として訊くところは、こいつにしては気をつかっている。
……というか、考えてみればこういう話を面白がってくるクセに、肝心の部分ではきちんと黙るトコは黙り、指摘するところは指摘するのが桜庭だ。
「一度云ってみたが、スルーされた」
「雪緒のやつめ……」
桜庭は俺の肩から手を離して、自分の頭をくちゃくちゃにする。
「それは蛇の生殺しじゃんか」
「何が?」
「篠塚はそれでいいのか!?」
「それでいいって?」
「雪緒に告白したんだろ? 恋人なり友人なりの位置付けを雪緒から訊いてないんだろ?」
確かにそれはないけれど……。
「別に訊く必要はない」
「なんで!?」
「俺がずっと惚れてるだけなんだ、問題ない」
桜庭はその場にしゃがみこんだ。
「こいつら〜……どーしてこーなんだよー」
「桜庭」
「なんだよ! この朴念仁!」
「お前にしちゃ、良く知っていたなその単語。なんで、お前がそこで悩むんだ?」
桜庭がはあと溜息つく。
「オレが今すげえ長いあいだ好きな子に猛烈アタックしてて、釣れない態度とられていたとする、お前は俺になんて云う?」
「別に何も云うことはない」
「何!?」
「お前の問題だ」
「あーあー。もう、じゃ、云うよ、オレ雪緒に惚れてるから、お前。諦めてって云ったら?」
「ありえない、お前彼女いるの知ってるし」
「彼女はカモフラージュなら?」
それもありえないだろう。
「……俺が葛城を想うのは俺の自由だろ?」
「他の男にとんびに油揚げ状態になってもかよ!?」
そんなこと。
「そうなっても全然おかしくない、俺はあんまりいい男じゃないんだ」
「嫌味か!」
「事実だ。お前や藤咲みたいに、優しくなんかしてやれない」
「だから、お前等いつまでもそうなんだよ!! 何年だよ? お前、7年だぞ!」
「……」
「7年片想いで充分幸せってか? 信じられねえ……オレにはできねえ」
そうか? 
案外できるぞ。
「普通、健全な男子なら、惚れた女が傍にいればあーもこーもしてえんじゃねえのかよ」
ああ。そういう意味。
確かに。
「なんだよ、篠塚、お前、今笑った?」
「桜庭、もし、葛城にそんなことしてみて、葛城に何かあったら殺す」
通常生活だってやっとの人間なんだ、アレは。
「……」
桜庭は考え込む。
「ちょっとまて、篠塚」
「なんだ」
「俺がそういうことシテもいいわけか? その発言は?」
「合意の上なら結構だ」
葛城が俺を望まないなら仕方ないじゃないか。
「はあああ!?」
「ただ、合意の上でやっても、葛城を殺したら、俺は許さない」
あんなスポーツじみたことやって、心臓に負担かかって、万が一があったらどうするんだ。
「いいのか!」
「葛城がいいなら、俺は止められないんだ」
桜庭の目が赤い。
なんだ、泣くことか?
「もう、お前、どっかおかしいよ、お前見ててオレは思った。長い片想いなんかオレは絶対しない……」
「性欲だけなら、なんとかなることだ。気持ちがないと、後悔するだけだろ?」
今度は涙が引っ込む。
なんか、お前がやたら女にモテル理由が今わかった気がする。
そういう表情の変化が楽しいんだ。
「待て待て待て。なんだその意味深な発言は!!!」
「何が?」
「すげえぶっちゃけ訊きたくなったが訊けねえ……」
「なんだ、ヤッたことがあるかないかなら、まあ一応あるが」
「何!?」
「お前はないのか?」
「あるけど、オレはいいの、オレは彼女だから。いやいや、そうじゃなくて!」
「だから、云っただろ? 俺はあまりいい男じゃない。お前も彼女がいるなら、彼女とだけにしておけ後悔するだけだ」
俺は呆然とする桜庭を置いてスタスタと廊下を歩き始めた。
桜庭にはショックかもしれないが、とりあえずこれで暫くはヤツも何も云ってこないだろう。



これは桜庭がしつこいからはったりをかましたわけでもない。
桜庭がいうから、思い出した。
アレは14の時だ。
そういうことをした相手は教育実習できた女子大生。
誘ったのは向こうからで、俺も精神的に不安定だった。
膝に怪我をして、葛城は手術をする為に留年という話を訊いて、本当にどうかしていた。
見てくれが老け顔(良く云えば大人びて見える)のが、相手もよかったのかもしれない。
俺もその場限りでいいという、言葉の誘惑に逆らえなかった。
行為自体には別に問題はない、身体的快楽が得られた。それによって、メンタルな面が回復するかといわれればNOだった。俺の場合は。
メンタルな面のダメージは強烈だった。
年齢相応に、肉体的快楽の欲求に負けそうになるけれど、あのことを思い出せば、そんなことはとてもできない。
自分が相手に対して気持ちが無いのに、行為自体は良い。
だからこそ終った後が虚しい。
快楽はほんの一瞬だ。
そしてそれにはいろいろリスクがついてまわる。
好きな相手なら盛りあがるかもしれないが、そうでない相手には対処が困る。
だから、もう、想うだけでいい。
葛城は、俺がこんな男だと知ったら失望するだろう。
葛城が俺を嫌って、そんな気持ちを寄せられても困ると云うなら、言葉にも態度にも出さない。
別に、俺に惚れてくれなんていわないし、云える立場じゃない。
だけど―――――想うだけは、せめて許されていいだろう?
俺が想う、たった一人の人間なんだ。
この恋が、叶わなくてもいいから……。

どうか神様、彼女を俺の前から奪わないで下さい。



「どうかした?」
部活が終った時に葛城が云う。
「何が?」
「調整段階なのに、荒れてるから」
そう、昼間のことを思い出して、また記憶の底へ埋めていく為に、身体を酷使してみたのが、わかってしった。
「ちょっと、気分がそういう気分だった」
「そう……」
葛城は笛を吹いて部員を集合させる。
明後日の大会のタイムスケジュールをプリントしたのを部員に配る。
「朝8時に駅改札口に集合。大会の会場に移動、時間厳守、遅刻した場合はその場で置き去りで。キャプテン何か?」
「いいや、以上。解散」
部員がそれぞれに散っていく。
「篠塚、桜庭ヘンじゃない?」
葛城が呟く。
「……終了式後にちょっと口論した。対したコトじゃない気にするな」
「珍しい」
「?」
「だって、いつもそういう時は、篠塚の方が怒ってるじゃない。桜庭のノリにはついていけないって」
「そうか?」
「そうだよ」
「家まで送るから待っていろ、着替えてくる」
「……吉住、それちょっとまって」
倉庫へ片付けようとしていたボールカゴのことを云っている。
葛城は、コートに残っているボールを一つだけ拾い上げて、カゴにむかって投げる。
綺麗な弧を空中に描いてそれはカゴに収まった。
「……ナイス、コントロール」
目の前でそれを見た吉住は呟く。
まさか、葛城の細腕で、そんなコントロールができるとは思っていなかったんだろう。
俺もそうだ。
バスケをやっていた時の葛城を、思い出させるような行動を見せられると、どこか懐かしくて嬉しいけれど、本人はどう思っているのかは気になるところだ。
「何、今の。そんな凝視して。ハズすと思ったの?」
入る瞬間が見たかった。
標的がボールカゴで、ゴールじゃないところが、とても残念なだけだ。
「外すはずがないだろう」
俺がそう云うと、葛城は静かに微笑んだ。
「ボールコントロールに見惚れた?」
見惚れた。
いつだってそうだ。



一緒に肩を並べて、学校から家まで、彼女の自宅まで送り届ける。
彼女が病院に立ち寄る以外は、だいたいそうしていた。
駅までは、部員の何人かが一緒で、他愛ない会話をして。
その様子を見ながら、歩いていく。
街並みはもうクリスマス一色だ。
ショップを彩るディスプレイの電飾は通常よりもきらびやかで、葛城はそれを楽しそうに見ている。
「何か欲しいものあるか?」
葛城はキョトンとして、俺を見上げる。
「クリスマスだし」
「そんなことを訊いて……私が、キミにものすごく高価なものを強請ったらどうするんだ」
「ある程度なら、なんとかする」
葛城は苦笑する。
「何がおかしい」
「篠塚が、そういうことを云うなんて、キミのファンが訊いたら、すごいだろうなって。殺されそうだ」
「そんなの――――――」
「たくさんいるんだよ。関心を示さないからわからないだけで」
そうかもしれない。
俺が関心を示す対象は、たった一人だから。
「確かに、篠塚にそう云われると、今グラっときたなあ、欲しいものかぁ」
「云ってみろ」
「難しいなあ、手に入るかどうかわからないからなあ」
「高価?」
「値段はつけられないね」
「?」
「明後日がクリスマスイブだもんね」
「ああ」
「明後日がウィンターカップ初日だもんね」
「……そうだが?」

「鈍い男だな、察しなさい。大会初戦突破を私に見せて」

……そうきたか。
おまえ、人のことを、バスケ馬鹿とか言うけれど、どっちが? って話しだぞそれは。

「初戦突破でいいのか」
「とりあえず」
「優勝してやる」
「……キミがそういうと、本当に優勝カップ持ってきそうだ」
「持ってきてやる」
「……」
「だから―――――……」
「傍で見てるよ」
「……」

葛城の指が、俺の指に触れる。
細くて、冷たくて、頼りない指先が、離れていこうとするところを、俺は捕まえた。
クリスマスプレゼントなんだろうか?
桜庭に言ったら、「なんでそれがクリスマスプレゼントだよ? 手をつないだぐらいで」とか呆れられそうだ。
「もし、勝てたら、お祝いに、私も何か用意しよう」
「コレ以外に?」
繋いだ互いの手を葛城に見せる。
「欲の無いヤツだ」
葛城は呟く。
なんで、そういうところは桜庭と同じなんだ。
それに、その見解はちょっと違う。
「俺は欲張りなんだよ」
「?」
「だから、あまり云わないでくれ、そういうことは。歯止めが利かなくなるから」





この手を繋ぐおまえが、ずっと傍にいてくれればいい――――。
それがどんなに難しいことか、おまえはわかってるんだろうか?
この存在が、ここに在るだけでいい。
お願いだから神様。
今、俺の手を繋ぐ彼女を、俺の前から奪わないで下さい。