掴まえたい五つのモノ 振り返らない背中




「篠塚君に渡して欲しいの」

その日の放課後。
私は、同学年の見知らぬ女子3名ほどに囲まれた。
なんだかファンシーな包装紙に包まれたギフトボックスを半ば無理矢理手渡された。
その箱に視線を落とし、目の前の女子生徒にまた視線を移す。

「……いいけど、名前は?」
「へ?」
「誰から篠塚宛なの?」
「……えー、どうする?」
「2-Aの田中」
「ちょ、やめてよ」
「いいじゃん!」

きゃあきゃあ騒ぐ、彼女達はなんだか眩しい。

「でもよかったあ」
「?」
「あたしたち、てっきり葛城さんと篠塚君が付き合っているかと思ってたあ」
「こうして協力してくれるってことは、篠塚君とはナンでもないんだ」
「やっぱ噂はあてになんないねー、云ってみるもんだねー」

別にモノを渡すだけなら、誰でもできるだろう。
それに協力ってなんだろう。
いやいや、その前に。

「誰と誰が付き合ってるって?」
「えー、だから、篠塚君と葛城さんが」
「篠塚君が話しかける女子でも一番親しそうだし」
「ねえ?」

そう見られているのか……。
篠塚め……コレだけモテルならいいかげん彼女の一人でも作ってくれよ。
なんだか中学2年になってこういうの増えたぞ。
入退院繰り返すこの病弱な私に、こういう神経も体力も使うようなことをさせるな。

「でも、こういうのは、本人がやって意味があるように思う」
「あ、葛城さんからなら、確実に受け取ってくれそうだから」

それは、いいのか? 是が非でも受け取って欲しいという気持ちはわからなくもないけれど。
コレは好意があるからやるんであって、それをアピ‐ルするのは本人がやって意味があるんじゃないのか?
まあいいか。コレ以上グダグダしたくないし。
コレから病院でまた検査なんだよ。
私はギフトボックスを抱えて、体育館に向った。



体育館の床にバッシュの擦れる音が響く。
ボールのドリブルの僅かな振動が伝わる。
ライトがやけに眩しい。
やばい…やばいよ、これは。
壊れかけの心臓がバクバクしそうだ。
私はやっぱり……この、バスケの空気が……好きなんだ。
目の前でシュート練習が行われている。
ドリブルをして足を踏み出して、身体を宙に飛ばすその背中は……。

――――――篠塚。

ボールは篠塚の指を離れ、見事な軌道を描いてネットを潜った。


『――――――お前は、すごく身軽だよな、葛城』 
『そうかな? でも、篠塚、シュートをする時はさ……重力から解放されてるみたいだと、思わない?』
『鳥の様に?』

何年か前のなんとはなしにした会話がふと脳裏によぎった。
その頃の篠塚はすごく線の細い少年だった。
一人っ子の私には弟分がもう一人できたと思ってたのだ。

「おーい、葛城―!」

元気良く手を振ってこっちにくるのは、桜庭だった。
ちなみにこいつが弟分その一。

「元気かー?」
「……まあまあ……あ、篠塚……ちょっと」

桜庭の後ろにいる篠塚を手招きする。
桜庭も篠塚も今、成長期に入ってるんだろう、初等部卒業の当時、私の方が高いと思っていたのに、気がつくとあっという間に追い越されていた。
筋肉のつき方も全然違う。
羨ましい。てか、妬ましい。

「2-Aの田中さんから」

ファンシーなギフトボックスを渡すと、眉間に思いっきり皺を寄せた。
なんか、その顔オッサンくさいよ、篠塚。

「え、2-Aて、篠塚のクラスじゃーん。なんで2-Eの葛城がこんな宅配頼まれんの?」
「え? 篠塚って2-A?」
「そうだよ、知らなかったのかあ?」
「知らない、夏休み明けからこっち、ガッコにくるの数える程だし」
「……」
「……」

私がそういうと、篠塚と桜庭は互いの顔を見合せる。

「まあ、そういうわけだから、受け取ってやれ、篠塚」

私と桜庭に肩を叩かれた篠塚は眉間の皺をますます深くする。

「葛城」
「うん?」
「身体は……その……大丈夫か?」
「さっき、云った。まあまあ、だからガッコに来てる」
「そうか……」
「多分、年末に手術すると思うな」
「手術」
「で、確実にダブリ決定です」
「留年かあ、しゃーないよ」
「そう、手術しなくちゃ死亡率、50%越えるらしいし」
「葛城、そんな他人事みたいゆーな」

プンプンと桜庭は頬を膨らませる。
私は2人を見上げる。
そう。
見上げるのだ。視線の高さが違う。

「他人事だよ、生きていても、あんまり意味ないし」
「……」
「ごめん、ちょっと愚痴った。帰るね」

愚痴るつもりはなかったのに、余計なことを云ってしまった。
でも、口に出せずにはいられなかった。
クサッている自分をどうすることもできない。
クルッと体育館を背に、私は歩き始めた。
放課後の体育館は、近づくのは……やめよう……。
ボールの振動とバッシュの音が耳の奥でやけに反響して、煩かった。
体育館の扉から漏れるライトが、私に影を落とす。
バスケットの―――――音が、光が、私を誘うからだ。
そして、それを拒まなければ、生きていけない身体が、本当にいやだ。
いっそ死にたい。



階段を上って、荷物を取りに行こうとすると、踊り場に、一人の女子生徒が立っていた。

「真由」

同じクラスの伊澤真由だった。
クラスの中では割りと親しい方だ。
キッパリ、ハッキリしていて、グループに属さないタイプ。
かといってイジメラレッコというわけでもない。
確かに、大人しいけれど、落ちついたカンジに、好感がもてる。
この日まではそう、彼女を好評していた。

「篠塚君のところ?」
「宅急便を届けにね」
「……ほんと、わかってないのね、雪緒」
「雪緒からなら、受け取らないわけにはいかないじゃない」
「あー、配送依頼の人もそんなこと云ってた。なんででしょうね」
「篠塚君が雪緒を好きだからよ」
「……それは、真由が勝手に思ってるんじゃないの?」
「見てれば、わかるわ」
「私はヤツに言質とってないし、取るつもりはない。だからそれはキミの憶測……真由?」

逆光で良く見えなかったけれど、近づくと、彼女は目に涙を貯めていた。

「どうしたの?」
「ずるいわ……雪緒」
「何が?」
「どうして恍けるの? どうして無視するの?」
「あたし……雪緒が嫌い……」

昨日、一緒に下校して寄り道した。
今日のお昼の給食は一緒に食べた。
宿題も一緒にやって、休みの日だってでかけたりした。
なかなか学校に登校できない私の―――――数少ない同性の友達と思っていた。
それは私の一方的な思いだったのかな……。

「ホントの気持ちを見せない雪緒が嫌い……」
「真由」
「触んないでよ!」

真由の手が私の目の前で振りかざされる。

「あ!」

真由が驚いたような顔をしている。
まさか振り払っただけで、私がバランス崩すなんて思わなかったんだろうな。
そう、真由が手を振り払った直後―――――……私は宙を飛んでいた。
真由の手を避けようとして、階段から足を踏み外した。
重力にひっぱられる感覚。
ああ……階段から、落ちてるんだ。
この後は、痛みが走るよな、打撲かな? ショックで発作が起こるかな?
そしたらこのポンコツの意味のない心臓が止まってくれるかな?

「葛城!」

宙に浮いた背後から、篠塚の声が聞こえた。
さっき、篠塚に渡した包みが視界に入る。
想像したよりも痛みはなかったが、それなりの衝撃はあった。
そう痛みはなかった。
私を背後から支えたのは篠塚だった。

「篠塚?」

……ちょっとまて……なんでキミがここにいるの?
なんで私を支えるの? なんで放って置かないの? しかも……どうして……どうして足を膝を抑えてるの?

「……篠塚?……篠塚!」
「無事か? どこか……ぶつけてないか?」

篠塚は私にそんなことを云うけれど……でも、キミ自身はどうなのよ!

「真由……真由! 保健の織田先生呼んできて! 早く!」

早く! 誰か、誰か来て!
なんで篠塚が? しかも、利き足の右膝!
ジャージに血が滲んでる……!
やだ……。

「落ちつけ、発作がくるぞ、そんなに興奮するな」
「やだ、篠塚、なんでこんな庇うの? バカじゃないの? てかこのバカ!」
「助けたのに、ありがとうは?」
「フザケンナ!」

そう叫んだ瞬間、私の目の前が真っ暗になった。



その後、人事不省に陥ったまま、私は掛かりつけの病院に入院するハメになった。
そして篠塚は――――右膝の半月板に傷が入っていたらしい。
本来、私がヤツの見舞いに行くところなのに、情けなくも、ヤツの方がとっとと退院して、こっちの見舞いにやってきているところが、泣ける。
あまりにも自分のお粗末さに泣ける。
この虚弱になった身体に泣ける。

「葛城。布団被るな、息、苦しくなるぞ―――」

篠塚が声を掛ける。

「だいたい、ここは、オレに『ありがとう』だろう?」

云わなきゃいけないその科白。
わかっている、だけど云えない。
そんな犠牲を出した原因は私なのだ。
もしも、もしも篠塚が―――――――飛べなくなったら?
夜中にそれを思い、やっぱり布団を被って泣いた。
飛べなくなるのは、私だけでいい。
キミだけは、キミだけはその足で……飛んで欲しいのに……。
学校の女子がきゃあきゃあ、云う気持ちもわかる。
篠塚がバスケをするところは、物凄く綺麗。
称賛をして当たり前だ。
それを、それを……私が壊しかけた。
私にかまうから……私なんかを。

「タスケテクレテ、アリガトウ」

キミのバスケが大好きで、それが見れなくなるのは嫌だ。
ましてや私が原因なら―――――――。

「ダケド、モウ、ニドト、カオヲミセナイデ」


この病室から、早く出ていって。
嫌ってくれてかまわない。
キミは私に近づかない方がいい。

それがキミの為。

キミの世界から、私を切り離せますように。
だから……篠塚、この病室から出ていって。
そしてもしもいるなら神様。
どうか、どうか、篠塚の足を元に戻して。
バスケのできない身体は、私のこの身体一つでいいから。


私はキミが……出ていっても――――振り返らない。