掴まえたい五つのモノ 輝く希望




そいつは……鳥の様に、飛んだ。
そのワン・シーンは、スローモーションのように鮮明に思い出せる。
記憶に焼き付いてしまうものは、みんなそういう風に見えてしまうものだろうか?
バッシュのゴムが、そいつの体重を吸収して、ボールは青空に届くような軌道を描き、ネットに吸い込まれた。

「どうだ、今の!」

ガッツポーズをとり、その場いる同チームの仲間は拍手を投げて、敵チームは両膝をついて悔しがる。

「雪緒、カッコイイ!」
「バスケ部に入るの?」
「入るよ」
「雪緒なら即レギュラーだよなー」

雪緒と呼ばれた彼女は、同じクラスの女子だ。

「お、転校生だ、おーい」

雪緒は俺に声をかける。
この4月、東蓬学園初等部4年に転入してきて、まだ馴染めていなかった俺に、躊躇い無く声をかけてきたのが、この葛城雪緒だった。
彼女は、クラスのムードメーカー。
クラス委員タイプではないけれど、人望はあって、男女共に慕われるタイプ。

「一緒にやろうよ、何、外に本なんか持ってきてんの」
「明るいところで読んだ方がいいと思ったから」

俺がそう答えると、雪緒はニカっと笑う。
日焼けしたした肌に白い歯のコントラストが際立つ。

「天気がいいなら、身体動かした方がいいと思うよ。篠塚君」
「……」
「よっしゃ、決まり。メンバー増えたぞー」

俺の腕を掴んで、走り出す。
それが……葛城雪緒との出会いだった。
新しい学校生活に戸惑う転入生に、臆することなく接してくる、人見知りしないの女子は、はじめて見た気がする。
都内の私立の一貫校では珍しいタイプだと、その当時は思った。



「うわ、すっご、篠塚、頭いい!」
「勝手に人のテストを見ない」

定期テストの結果が返されて、教室内は賑やかだった。

「いいじゃん、結果がいいんだから」
「葛城はどうなんだ」
「聞くなー! あ、あ、聞こえなーい!!」

両手で耳を塞いでクルリと背中を向ける。
そして桜庭に声をかける。

「桜庭はー?」
「オレに聞くな」
「うわ、すっごくききたい、何々どーなのさー。見ーせーて」
「な、雪緒、てめー、寄越せ」

素早い動作で、桜庭のテスト用紙を見て自分のテスト用紙は確保しつつ、教室内を走り回る。

教室内の誰もが、多分彼女を知る児童は、彼女のことを、女子としてみていない節がある。
もちろん彼女自身も、こだわりがないのだとも思った。
彼女が性別に関係なく、誰にでも親しくしていると、なんとも云えない気分を味わった。
当時の俺には、彼女に対して抱くその感情が恋で、他のやつと話している姿を見るだけでなんとも云えない気持ちになる……それが、嫉妬だなんて気がつくはずもなかった。
ただ、彼女の姿を追っていた。
元気で明るくてまるで太陽のようで、眩しいと、当時は思ったものだ。



「葛城?」

だから、いつも元気な彼女の様子がおかしかったのに、すぐに気がつくことができた。
いつも元気な彼女が、階段下でうずくまっている様子を見て、驚いた。
顔色が明かに悪い。

「篠塚……」
「どうしたんだ? 具合、悪いのか?」
「具合悪いって……何」
「顔色は悪いぞ」
「ああ、そう」
「『ああ、そう』じゃなくてさ。どこか痛い?」
「……どこって……わかんない、ちょっとじっとしてれば治ると……思う」

ラチがあかないと思った。
誰がどう見たって、具合が悪い。
子どもの俺はきっとなにもできない。
だけど、先生や親でも、彼女の身体はなんとも出来ないなんて、この時、知らなかった。
センセイでも先生じゃなくて、医師のセンセイに診てもらわないと駄目で、しかも、限られた専門医でないと駄目なんて……。

「先生呼んでくる」
「いい」
「だってあきらかにそれヘンだろ」
「いいんだ……」

まさかこの太陽みたいに明るい彼女が、重い病気にかかっているなんて知らなかった。

「誰にも、云わないで、てゆーか、クラブのコーチとか監督とかには絶対云うな、云ったら許さない」
「……約束できない」
「……」

何より、キミの身体が心配だから、なんて科白は、あれから7年は経過している今なら云えるけれど、当時の俺には云えなかった。
ダイレクトに素直に、そう云えない。

「最短時間でレギュラーに入ったんだよ」
「知ってる。でも、そんなんじゃ、いつか降ろされると思う」
「……」

悔しそうに唇を噛み締める。

「あんたに……何がわかるの……健康そのもので、どんなに動いても、苦しくならない身体を持ているくせに……」
「葛城、いつから、そうなんだ?」
「……わかんない、つい最近」
「親は知ってるのか?」
「――――知ってるのかもしれないし、知らないかもしれない。知ってたら多分隠していると思う」
「病院で診てもらった方がいいと思う」
「……」

多分、薄々気がついていたのだ。
自分の身体だから、多分彼女自身がよく知っていたに違いない。

「あのさ」
「?」
「2年ぐらい前かな。やっぱり苦しくて、眠れなくて、夜中に起きて、TV付けて衛星放送を見てたんだ」
「……」
「NBAが放送されていた、NBAってアメリカのプロバスケの試合だよ」
「うん」
「バスケットのリングに向って、鳥のように飛ぶんだ」
「……」
「苦しさを、その映像を観る事で忘れることができた」
「……」
「眩しくて、ドキドキして、ああやって飛べたら、この苦しさも耐えられると思った」
「……」
「なんていうか……」
「葛城」
「?」
「俺もバスケやるよ」

ふと声に出していた。
ちょっと驚いたような葛城の表情は、次の瞬間、笑顔に変わる。
それは、俺を支配した笑顔だったことを、彼女は知らない……。



キミは……特別だった。
俺の生活圏にいきなりするりと入り込んで、眩しくて、目が離せない。
その彼女が望むものを、俺自身も見てみたいと思った。
だから、始めた。

「篠塚、桜庭、ちょっとこい」

ミニバスケのコーチに呼ばれる。

「葛城のことだが、短時間しか試合に出せない」

俺がバスケを初めて2年になったある日のことだ。
ミニバスケで、桜庭と俺と葛城が混合の3ON3を組んでいたけれど、コーチにそう云われた。
葛城が……倒れたのだ。

「来月は中等部に入るし、別の人間を入れてエントリーするつもりだが……」
「……雪緒がいないんじゃ、つまらないし、オレ等はここまででいいっすよ」

桜庭が言う。
桜庭も、葛城の身体のことを知っていたらしい。

「オレ等は本格的にバスケやるつもりだから、中等部の春休み活動の見学に行くつもりだし」
「……そうか……」

厳しいコーチも、この数ヶ月、俺達には腫れ物にさわるような態度を隠さなかったし、別のチームに目をかけていたのも知っている。
葛城がいなければ、コーチの理想とするゲームはできないのだろう。
エントリーはしないと云って、軽くダウンしてからあがれと云われ、俺と桜庭は「ありがとうございました」と声を揃えて、体育館を離れた。



「最近さ、雪緒のヤツ、会わないよな」
「……」
「前みたいに、ふざけなくなったしさ」
「……」
「笑わなくなったよな」
「そうだな」
「なんか、ノリが悪くて、チョーシ狂うよ、オレ」
「桜庭……」
「うん?」
「葛城の見舞い、行ったか?」
「いやー、おっかなくていけねえよ」
「……」
「変わっちまったよ、雪緒……」
「葛城は―――――バスケが好きだから」
「おう?」
「バスケが好きだから……それができないって、わかってショックなんだよ」
「あー……うん……そうだよな」
「絶望してるんだ」
「篠塚、お前ホント難しい言葉選ぶよ、時々」
「そうか?」
「でも、そうだよな、それ以外ハマル言葉は俺もないと思う。『落ち込む』って程度じゃないもんな『絶望』だな」

校庭の桜はつぼみをつけ始めている。
日照時間が延びていて、これから春、夏になるのに……ひたすら暗い会話だった。

「2年前の今頃、俺はここに越してきて……馴染めてなかったんだ」
「おう」
「葛城が引っ張ってくれた」
「……そうだっけ?」
「そうなんだ……」

2年間に起きたいろんな思い出の中でも、葛城との出会いは鮮明だった。
葛城は……いつだって眩しかった。
一緒にバスケをやって、余計にそう思った。
バスケをやって、試合に勝つたびに、今まで俺が知らなかった世界を見せてくれた葛城は、俺の希望だった。

「葛城、きっとバスケができなくなるかもしれない……でも、バスケが好きな気持ちは、変わらないと思う」
「うん、オレもそう思う」

桜庭は頷いた。

「それでさ、ちょっち前から聞きたかったんだけど」
「何?」
「篠塚って、雪緒の事好きなの?」

確かに葛城は特別だった。
だから、そこで頷けばよかった。
だけど、好きとかのレベルの問題じゃないから、俺は頷かなかった。

「桜庭はどうなんだ?」
「いや、雪緒は女の子じゃないから、オレの中で」
「……そうか」
「気になる女子じゃなくてダチだからなあ。でも、篠塚は、別なんだろ?」
「……」
「お前、あんまり表情でないヤツだから、多分、周りには、バレてないとおもうけどさ」

好きって言葉じゃないし、ましてや愛してるなんて言葉は、子ども過ぎて云えない。
ただ、初めて会った時からずっと、葛城は俺の特別だった。
キラキラした、大事な存在だった。
だから……。

「桜庭、週明けの中等部への見学、時間厳守だからな」
「おう、じゃーあなー」

桜庭は元気良く手を振って、反対方向に走り出した。
その後姿をちょっとだけ見送って、俺も家路につくことにした。
夕焼に染まった空を、鳥が連なって飛んでいく。

―――――彼等は鳥のように飛ぶんだ、ドキドキした。
     私も、もし飛べたらこの苦しさも耐えられる気がする。



葛城にとって、バスケが特別なら、俺も鳥のように飛びたいと思った。
葛城が俺に声をかけてくれた時のように、俺に眩しさを与えたように。
その眩しさで救われたように。
俺が……今度は葛城にそういう希望を与えられないかなと思った。



その時はただ純粋にそう思った。