Fly by the invisible wing6




―――1クオーターだけでもいい、試合をして、コートで死ねたら本望だね



中庭のバスケコートに視線を向けたまま、雪緒の横顔を、陽菜は暫く忘れることができなかった。

「それだけ、バスケが好きなのに、見もしないのは……なんてゆーか」
「プライドが高いんだろ」

吉住がボール磨きをしている傍に、陽菜は座り込む。
部活終了、吉住は本日委員会の当番で部活に遅れたので、自ら進んでボール磨きをしている。
大会決勝は今週末なので普段の練習量ではなく調整段階に入っている。
だから自然部活の時間のは短縮される。
吉住は1年生らしく、道具の整備にかかったのだ。
ちなみに今日は雪緒は休みで、陽菜はミーハーな女子に混ざって、バスケ部見学をしていた。

「たまーにいるじゃん、小さいガキがさ、傷だらけの大好きなオモチャを大事にしてるんだけど、横で、他の子がまったく同じだけどピカピカのオモチャを持ってるとさ、新品のおもちゃを持ってるやつは、その新品具合が単純に嬉しいんだけど、傷だらけのオモチャを持ってるほうは、その嬉しい表情も自慢気で悦に入ってるように見えてさ、なんかいやーな気持ちになるわけよ、それで云う『こんなおもちゃ嫌い』ってさ、本当は傷だらけになっても握り締めて、肌身離さずなくせにね」
「……吉住……あんた……その表現はちょっと……」
「へんか?」
「あーうー……おかしかないけど……非常にわかりやすかったけど」
「はい」
吉住が陽菜の目の前に差し出すのは、ボールとその上にのている磨き専用の布だった。
「なに?」
「暇デショ?」
手伝えというのである。
陽菜はぽいと布キレを体育館の床に叩きつけて、ボールを持ってリングに向ってシュートする。
リングにかすりもしないで、床に落ちる。

「オミゴト」

その様子を見た吉住は、呆れたように呟いた。
その呟きが聞こえて、陽菜はムっとする。
何度もシュートをしようとするが、ことごとく、スカスカっと外れていく。
吉住は陽菜が持つボール以外は総て磨き終えて、ボールの籠に収める。
陽菜が投げたボールは、リングボードにあたって、陽菜の背後にいる吉住の足元まで転がった。
そのボールを拾い上げて、吉住はドリブルをして、陽菜を横切り、制限区域のラインから思いっきり足を踏み込んで、飛ぶ……。
篠塚も、そうだった……。
純粋に綺麗だと――――篠塚のプレイを見るたびに陽菜は思ったものだ。
今、目の前にいる吉住も、篠塚に負けず劣らずにシュートのフォームで、リングにめがけて、ボールを放す。

ネットとボールが擦れ合う音がして、ボールは床に響いて落ちた。

「肘使いすぎ、手首を効かせる」
「……」
「コンセントレーション」
「コン……?」
「集中力」

ほれとボールを渡される。

「リングボードのラインに当たるように、軽く」

陽菜は肘の力を抑えて。手首を効かせる。云われたように、リングボードに軽く当てるようにボールを放した。
ボールはボードに当たりリングに撥ねかえるが、リングをクルリとなぞるようにして、ボールはネットに吸い込まれた。

「は……入った……」

陽菜は嬉しさを顔面いっぱいに顕わして、吉住に振りかえる。

「うっそ、シュート入るんだ」
「はいはい」
「いやー、嬉しいのー、あたし生まれて初めてよう」
「何!?」
吉住はびっくりしたように陽菜を見下ろす。
「いやまじで、あたし球技だめでさー、単純にボール使わない陸上とかはOKなんだけど。バレーボールもそうなのよ、レシーブしたらあさっての方向にいったり、サービスしたら、ラインオーバーだし」
「……それは、多分、お前、力入れ過ぎなんだろ」
呆れたように、吉住は片手でボールを床に打ちつけつつ、そう云う。
「……だから―――――篠塚先輩を初めて見た時。なんかいいなあって……思ったんだよね」
陽菜の言葉に、吉住はドリブルを止める。

「綺麗だったから……」

リングを目の前にすると、彼の姿をより鮮明に思い出せる。
ふわりと重力を感じさせないその姿が、やたらと印象的だった。
まるで鳥のようだと思った。



陽菜が篠塚を想う瞬間を目の当たりにした吉住は、ガリガリと髪を掻く。
陽菜がどれだけ想っても、多分、篠塚は陽菜を見ることはない。
吉住にはわかる。
篠塚が特別に想うのは、たった一人だ。
儚げで、頼りなさそうな、ちょっと手で押したら倒れそうな、そんな雰囲気なくせに。
瞳の光は、その意思の強さがはっきりと見て取れる。
本来ならアグレッシブなタイプだろうが、それを制限されてしまった彼女。
篠塚が……もっと柔軟なタイプなら、陽菜にもチャンスがあったかもしれないが、もしそういうタイプだとしたら陽菜は惹かれはしなかっただろう。

――――葛城に逢ったことが、篠塚の不幸だ。

中学の時、筧がそう呟いていた。

――――女が、葛城だけだなんて、狭量だろう?

でも篠塚はそれでもいいのだろう。
それで、いっぱいなのだ。
成績優秀、品行方正、非の打ち所がなく、なにもかもよくデキル。
そう評価される彼は、意外にも不器用。
筧の言葉は……あの時の吉住には、わからなかった。
吉住もまた、雪緒が特別だったから。
憧れなのか、恋なのか、ただの好意なのか、友情なのか……どの言葉にも当て嵌めることができないそんな異性を身近に感じたのが、雪緒が初めてだったから。
だから篠塚が、雪緒を特別に想うことは、自分と同じなんだと思っていた。
だが、筧の言った言葉はそういう意味じゃないのだ。
今ならわかる。
他にも目を向ければ、他の良さがあるのに、それに心惹かれることもあるはずななのに……。
篠塚は他所に目を向けないのだ……意識しているのか無意識なのか……吉住にもわからない。



吉住のバスケットボールを奪いとって、再びリングを目指して投げるが、それはやはりスカっと外れてしまった。
吉住はそのボールを拾い上げて、籠の中に収める。
「オレは帰るけど、アンタはどうすんの?」
「帰るわよ、お邪魔しましたね」
「正門で待ってな」
「へ?」
「送るから。着替えてくる」
ガラガラと吉住はボール籠を引っ張って、倉庫へと運んでいく。
陽菜は間の抜けた表情で吉住の後姿を見ていた。

陽菜だって、見てくれは悪くはない。
気質だってさっぱりしてて、話し易いタイプだから、中等部からの進学組からも、外部受験組からも、好感度は高いし、吉住のクラスの男子の間でも、「隣のクラスの沢渡もいいよな」と名前が上るぐらいだ。
最初はミーハーな女子だなとは思った。だが、ココ最近は、その考えを改めてはいる。
バスケ部に群がる女子連中は、身近なアイドルを見てただ騒ぎたいだけなのだ。
陽菜は、雪緒に関わることで、純粋にバスケに興味を持っているような気がする。
先日、陽菜が云っていた「ユキさんが頭脳、あたしが体力担当でマネをやればいい」は、吉住自身も悪くはないと思っている。
だが、それを先輩達に提案しても、篠塚が首を縦に振るかは難しい気がする。
それに雪緒自身がその気にならないだろう。
雪緒が何かリアクションを起こせばいいのに、彼女は相変わらず距離をとっている。

――――それがわかんないんだよな……なんで距離をとるのかさ。

雪緒だって、篠塚を多分……特別に想っているはずなのに……。



「沢渡さん」
陽菜は体育館を出て、中央玄関で靴を履き替えていた時、呼びとめれられた。
「はい?」
相手は、3人。両サイドに挟まれて、一歩後ろに下がっている中央の女子生徒は見覚えがある。
隣のクラスの女子だ。
陽菜は靴を履き替えて、彼女達を見る。
「話しがあるんだけど……」
「はあ……」
「吉住君のことなんだけど」
そこまで云われると、陽菜は目を見開く。
このシチュエーションはドラマとかマンガでもよくあるあのパターンだ。
実際に自分が体験するとは思ってもみなかったが、この立場に立つとやはり何か緊張する。
まさか暴力沙汰にはならないだろうが、怒られるか泣きおとされるか。
真ん中にいる女子はどうやらおとなしめで、泣きおとしタイプだ、その両サイドが友人は恫喝するタイプに見える。
「付き合ってるの?」
左側にいる女子がズバリと核心をつく。
気の強そうな顔立ちだ。
「訊いてもいい?」
「何?」
「えーと、みなさん吉住のことが好き?」
「そんなことどうでもいいじゃない」
気の強そうな彼女は云い返す。
質問に答えろよ、失礼だなと、陽菜は思う。
「じゃあ、別にあたしに訊かなくてもいいじゃん、それだけ強気なら? 直で告れば? あいつならきっとずばっとその場で応えるよ」
「それができないから、あんたに聞いてるんでしょ?」
「質問だったの? もし、自分が、名前も知らない人に言いがかりつけられたら、ほいほい答えるわけ?」
陽菜は一歩前に出る。
まっすぐ相手を睨み据える。

「……すげえ、白熱しているところ悪いけど、靴、履き替えたいんだよね」

間延びした……というか呆れ気味な口調が3人組の背後から聞こえた。
ユニホームから制服に着替えた吉住が立っていた。

「吉住、この子たちが、あんたに―――――……」

陽菜が最後まで云い終わらないうちに、3人組は、慌しくその場を走り去っていく。
その様子を見て、陽菜はムカムカした。
あれだけ強く出ていたくせに。
陽菜は吉住をムっと睨みつけていた。

「ムカツク」
「何?」
「吉住に言わないで、なんであたしに言うのよ」
「お前、答えてなかったじゃん」
「ちょ、あんたどこから見てたの?」
「話しがあるんだけど〜から?」
「全部じゃん! 吉住のことだよ、名前出た時点で、訊けよ」
「……白熱していたから、いいかなって思った」
「何が「いいかな」だ!」
「だって、めんどくさい」
「当の本人がめんどくさいのに、あたしがめんどくさくないとでも?」
「唸るなよ、アイスぐらいなら奢ってやる」

そう云って、吉住は少し笑った。