Fly by the invisible wing4




「吉住も、ユキさんのこと、絶対好きだよね」

陽菜は購買のサンドイッチを被り付いて呟く。
雪緒は陽菜の傍でお弁当を広げている。
本日は教室で、窓際の日当たり良好の席を確保した陽菜と雪緒。

先日の屋上でのランチは、結局、吉住が陽菜にひたすら頭を下げて連れ戻す形になった。




「悪かったよ」
吉住がそう陽菜に頭を下げた。
「別に、あんた悪いとは思ってないんでしょ? 葛城さんの為に云ったことだし」
陽菜の舌鋒は止まらない。
「アンタが戻らないと、オレが雪緒さんに怒られるから、戻って。土下座でもなんでもするから」
「やめてよ、こんなところで」
こんなところで―――――既に昼食を早めに終えて、休みを満喫している生徒が行き交う廊下だ。
土下座なんてされたら、注目されてしまう。
ましてや、この吉住。
中等部からの進学組で、バスケ部在中、しかも期待されている新人。
例に及ばず、ルックスも良し、普通にしていても注目度は高い。
バスケ部自体が、アイドルプロダクションの宝庫のようだと、心無い男子は嫌味を込めて囁いている。
「雪緒さんだけでも結構辛いのに、それに加えてセンパイ達も敵には回したくないし」
「あら、意外と年功序列を守るのね」
「それだけあっちが上手なの、オレみたいな純粋な青少年は太刀打ちできないから」
「自分で青少年いうか?」
「……ほんと、戻ってくれない?」

本当なら意地を張り通して、無視を決めたい。
このまま意地を張りとおせば……確実に、雪緒との交友関係がなくなる。
そして、バスケ部から離れれば、「雪緒を利用した、バスケ部目当てのミーハーな女子」という印象は払拭されるだろう。
確かにミーハーなのは認める。
だが、雪緒を利用したと思われるのは心外だ。
自分で選ぶことができる高校生活の交友関係を、一方的な第三者の言い分によって閉ざされるのも不本意だし、癪に障る。

まあここが引き際だろうなと、陽菜も思った。

「戻るよ」と陽菜が呟くと、吉住はホッとした表情を見せた。
陽菜が屋上に戻ると、屋上の真中で、村瀬が持ってきたお重を広げて、雪緒は自分の隣りのスペースを空けて陽菜を手招きする。
陽菜がそれに促されて素直に雪緒の傍に座ると、雪緒は儚げな笑顔を綻ばせてみんなに陽菜を紹介した。

「沢渡陽菜ちゃん、クラスメイト」
陽菜はペコリと頭を下げる。
「で、マネ志望なんだって?」
藤咲がいうと、桜庭が続ける。
「ごめんねえ、オレ等の部、マネージャーつけない主義だから」
「いえ……」
ルールも知らずにミーハーな動機でマネージャーになろうと申告したのは事実なので、その手前、居心地が悪かった。
「あたしも、その、えーとミーハーな動機で……ほんと、失礼しました」
ここは素直にぶっちゃけようと、陽菜は口をきった。
「入学式直後、あたし、ちょっと忘れ物を取りに、学校に戻って……それでその時、みなさんが中庭のコートで練習していたのを見て……シュート練習だったと思います。で……その……すごいなあって……間近で試合するのを観たいなあって思って……ほんと単純で……あたし、外部受験でここの高等部に入学したんです。昨年のバスケ部のことを知ったのは、マネージャー希望を申告する前日で……断られるかもと思ってたんで、結果は予想通りだから、そんなにショックはなかったんです……けど……」
陽菜は桜庭と藤咲の言葉を思い出す。
そして吉住が説明した過去のことも。
言葉が詰まったと思った瞬間、桜庭がパアンと両手を合わせる。頭を下げる。
「ホントごめん、雪緒が一緒だったから、オレはもう雪緒のことを知ってて、キミが―――えーと、陽菜ちゃんが、雪緒をダシに使ったとか思っちゃってさ、すっげ誤解してました、ごめん」
桜庭の手を叩く音の大きさにまず、驚き、そして、桜庭の言葉に驚いた。
こんなに素直に、こんなに早く、謝罪の言葉を耳にできるとは思っていなかったからだ。
陽菜が戻っても、彼等は表面的は友好的な態度をとるだろうとは思っていた。
彼等が大好きな雪緒がいるから、彼女の為に、気に入らない人間かこの場にいても、やり過ごすものだと思っていた。
だから桜庭の謝罪の言葉は意外だった。
桜庭の人気の要素は、ルックスだけではなく、この気質も含まれるのだろうと陽菜は思った。
陽菜は雪緒を見る。
雪緒が、彼等に何か云ったのだろうか?
だとしたら、鶴の一声ってヤツは、こんなにも効力があるものなのか?
雪緒は陽菜の好きそうなおかずをとりわけて、陽菜に渡す。
「はい……えっとそのことは、さっき吉住君に聞きました」
「吉住からも、もう一回謝れ、オレら立て続けに理由も訊かずに、結構失礼なこといったんだよ」
「……悪かったよ」
「いいよ、あたしもさっき、かなりきつく云い返したし」
「……べつに、アンタの言葉は事実だから否定もできない」
吉住は先輩達に、陽菜がさっき吉住に云ったその言葉を説明する気はないらしい。
その態度にも、意外だなと陽菜は思った。
吉住は、村瀬が持参してきた豪華なお重の中身を箸で取り上げて、口の中に放り込む。
「あーよかった、ほんと、お詫びにたくさん食べて食べて」
桜庭ももりもりと、陽菜にお弁当をよそう。
「おい、お前がもってきたわけじゃないだろ」
大野のつっこみに、桜庭は頬を膨らませる。

「本当に治ったのか?」
篠塚が口を開く。
雪緒は篠塚を見ないで、陽菜を見つめる。
「激しい運動はまだ駄目だけど、普通にしてれば問題ない」
陽菜は篠塚と雪緒を交互に見る。
「この間のは、いきなり動いたから、きっと身体がビックリしたんだと思う」
「それにしても、筋肉も落ちたな……葛城」
筧の言葉に、雪緒は自分の腕を見る。
「そうかな?」
その場にいた2年生全員が異口同音で「そうだよ」と言う。

「まあ……バスケはもうできない……」

ぽつりと雪緒は呟いた。
「……」
「気分転換程度の運動はいいけど、後は駄目らしいよ」
「それで昨日の状態か」
篠塚に言われて、雪緒は苦笑する。
「悪かったね、救急車代わりに保健室まで運んでもらって」
「無理はするな」
「してないよ。ムラさんこれおいしいねえ」
雪緒は話題をお重に移す。
「だろう?」
村瀬が料理の解説を始める。
解説を聞き入っている様子から、それ以上、身体のことは云うなと、無言の拒否が感じられた。
その様子は陽菜にもわかった。
その後の話題は料理の話題を中心に回って、雪緒は自分のことを語らなかった。



「あ、そろそろ戻って薬飲まないと……今日は楽しかった」
「おう、またやろーぜ」
「ムラさんが破産するよ」
「まったくだ」
「じゃあね、陽菜ちゃん、練習試合とかー大会とかの観戦は大歓迎だからね」
桜庭が手を振る、陽菜も照れたように笑う。
雪緒はみんなに手を振って、屋上から校舎へと戻っていく。
陽菜もその後に続こうとすると、「沢渡さん」と声をかけられた。
振りかえらずとも、それが誰の声なのか、すぐにわかる。
足を止めて、振りかえる。
篠塚だ。

「葛城を……頼む」

ドキリとする。
その声は、重く深くて、どれだけ篠塚が、雪緒を思いやっているか、わかってしまう。
多分、これだから―――吉住も「篠塚センパイは雪緒さんに恋愛感情ありだろ」と断言するのだろう。
彼は、誰よりも雪緒の傍にいたいのだ。

ズキリと、胸が傷む。

陽菜が……入学式のあの日……校舎に戻ったあの日。
中庭でシュート練習する篠塚の姿が、脳裏に焼き付いてはなれず、ずっと見てきた。
リングに向って跳ぶ姿は、まるで鳥のようで。
とても鮮やかで。
綺麗だった……。
それと同じ姿を、陽菜は先日、雪緒の中に見たのだ。
あの体育の時、雪緒がロングシュートを決めた瞬間。
あの華奢な腕を振って、あの細い指先から、ボールが放れ、ゆるやかな放物線がリングへの軌道を描いた瞬間。
陽菜は自然と、篠塚を思い出していた。

……彼と彼女は同類なのだ。

バスケを介在して、小学校の頃から一緒の時間を過ごしてきた二人。
それは……。
その時間の中で育まれた感情は、恋よりも……もっと深いものかもしれない。

「頼む……」

彼の声が、同じ言葉がもう一度、陽菜の耳に届く。
篠塚に……憧れる女子はきっとたくさんいるし、もちろん陽菜自身もそうなのだけど……、彼は、たった一人しか見ていないのだ。


「ま、任せてください、あたし、ずっと見てます。ずっと……葛城さん……雪緒さんの傍にいますから!」


陽菜はぐっと握り拳を胸の前にあてる。
陽菜の言葉に、篠塚が安堵した表情を浮かべる。
冷たくて硬い……そう評される彼が、こんな表情をするなんて、きっと他の女の子は知らない。
篠塚だけでなくその場にいる全員がホッと安堵しているのがわかって、陽菜は笑顔で彼等の傍を離れたのだ。



「弟みたいで、甘やかしたからかな」

先日の屋上ランチを思い出していた陽菜は、雪緒の一言で現実に返る。

長い睫の影が、雪緒の目元に落ちる。
そんな雪緒を見ると、同性ながら、なんて綺麗なんだろうと陽菜は思う。
儚げな風貌に似つかわしくない、口調にも、陽菜は馴染んできていた。
「それより、ユキさん、今週末は、地区大会よ! 応援行こう?」
「うーん……陽菜ちゃん行ってきて」
「なんで? ユキさんが行けば、きっとみんな嬉しいよ」
「病院に行くから、ごめん……」
病院は口実だというのが、陽菜にもわかる。
明かに行きたくないのだ。
あれだけ慕われているのに、どうして、こんなにも彼女は彼等と距離を置きたがるのだろう……。
どうして? と、ここで尋ねてみても、彼女はきっと応えないだろう。
陽菜はサンドイッチに被りつくことで、「どうして?」という言葉も一緒に飲み下した。