授業中、真咲は気がつくとガンちゃんの方ばかりを見ていた気がする。
お昼休みの時の、髪の毛を払ってくれたコトを、思い出していた。
――――あれは、別に、あたしだからしたとかじゃないし!
うんうんと真咲は心の中で頷く。
――――アレは別に、愛衣ちゃんでもやるだろうし、桃菜ちゃんにもするだろうし、飯野君でもそうだし、瀬田君にもそうだよ! そもそもガンちゃんは、男子とか女子とかそんなん気にするような人じゃないしっ。
うんうん、そうそう、とまた心の中で頷く。
――――でも、ああいうの、ヤバイよなあ……。
真咲は深々と溜息をついた。
――――絶対勘違いするよ、勘違いするってば。
別に、すごくカッコイイってわけでも、頭がいいってわけでも、スポーツができるってわけでもないのに……。
――――好きになりそうじゃんか……。
でもきっと相手は恋愛系にはまったくもって無頓着というか、意識ゼロというか、そういうタイプなのだ。
好きになったらきっとその無頓着っぷりに、真咲の性格からしてイライラしてしまうだろう。
それでもって、別にガンちゃんが好きな子でもないのに、ただちょっと親しげにしている光景を見ただけで、また真咲は凹んだりするに違いない。
――――違う、絶対に違うから。好きとかじゃないから、いや、好きなんだけど〜そのカレカノとか、そう云う意味じゃない……と思う……思おう……思わないと……。
授業中、真咲は無意識にシャープペンシルの芯をカチカチと出しては戻して、授業に集中ができなかったのだった……。
授業に集中できなかった分、放課後のお遊戯会の衣装作りには集中しよう、その前にトイレに行こうと思って、トイレに入った時のことだ。
「なんかあー、1組のヤツが菊池に構ってるって話、聞いた?」
「聞いた、なんだけ? あの目立つヤツ」
「岩崎だよ『ガン』でしょ?」
水を流した瞬間に、そんな女子の声が響いてきた。
「うっざいヤツよ、飯野君の友達みたいだけどさー」
「……」
間違いなく2組の女子。
そしてこの会話から、多分イジメ首謀者グループだ。
真咲はここから出るのを躊躇う。
間違いなく、顔見知りの女子の声も聞こえる。
「もーほっとけばいいのにさー菊池もチョーシ乗るじゃん」
「ほんと、アイツのいい子ちゃんヅラ、ムカつくし」
「男子もほんと、デレデレするよね、菊池の前だとさ」
――――……女子のあたしも愛衣ちゃんにはデレデレしますが何か?
真咲は握りこぶしを震わせて、息を潜める。
――――だいたい、愛衣ちゃんはいい子ちゃんヅラじゃないわよ!
菊池愛衣ちゃんはいい子ちゃんヅラではなく。
いい子なのだ。
顔だけじゃなくて、気立てもいい子なのだ。
この二日で真咲はなんとなくわかっている。
――――こうやって女子トイレでカゲグチを叩くような子に比べれば、愛衣ちゃんは、まったくもっていい子だよ!
「岩崎も、あれじゃね? 菊池の顔にヤラレたんじゃないの?」
真咲の脳裏に、ここ二日の出来事がリプレイされる。
何気なく名前呼び。
オドオドする愛衣ちゃんをはげますように、瀬田君と電車でふざけていたガンちゃん……。
確かに、そう思いたくなるけど……でも……。
――――違う、ガンちゃんは、きっと誰にでもそうよ!
愛衣ちゃんじゃなくても。
他の誰だろうと。
ガンちゃんは、手を差し伸べる人だ。
だから飯野君の困ってる姿を見て、みんなに声をかけた。
クラス全体に呼びかけるなんて、誰ができる?
真咲には無理だし、多分、このトイレの鏡の前で、髪やら爪やら弄ってる彼女達にやってみろって云ったって、多分彼女達はできやしない。
1人で大勢に呼びかけることは、勇気だ。
だから、真咲はいつだって、みんなを見ているだけだった。
「あーマジうざい。黙って保健室に引っ込んでればいいのにさ」
「もっかい、締めておこうか、菊池」
――――なんだとう!?
真咲はトイレも個室の鍵を解除して、バンっと勢い良くドアを開けた。
「な、ナニ?」
「びびった〜」
「ナニよ、あんた」
「コイツ、1組の鎌田よ」
真咲はツカツカと掃除用具室のドアをおもむろに開けると、ガっと柄の長いトイレブラシを手にして、三人組の足元に、そのトイレブラシを打ち付けた。
「あんたらが、愛衣ちゃんをイジメたのね」
「トイレに篭ってナニしてたのよ、アンタ!」
「やかましいっ!」
真咲は腹の底から声を張り上げた。
その声は、トイレに入ろうとした他の生徒にも聞こえたらしく、ドアの前にあっという間にギャラリーが沸いてきた。
「手も洗わないできったな〜い」
「ばっちい手で触んないでよ!」
多勢に無勢で普段なら怯むところだが、真咲はグっとブラシの柄に握力をかけた。
「あんたらのやったこと棚にあげて、良く汚い云えるもんよね。ばっちくて汚いのはどこの誰!? 愛衣ちゃん苛めて、保健室送りにしといてさ! さらにまた苛めようなんてコソコソ相談してる方が、よっぽど汚い!! 鏡で自分の顔見てみなさいよ! きったないのがどこ誰かはっきりするでしょ! そんなに自分を磨きたきゃあ、手伝ってやるわよ! このブラシで! あんたたちにお似合いよ!」
真咲の言葉に、女子だけではなく男子も注目し始めて野次馬が女子トイレの周りを取り囲む。
「いいぞー! 鎌田!」
「馬鹿! 男子、ナニ云ってんのよ!」
「先生呼べ!」
「岩崎とか瀬田に連絡いれろ!」
男子と女子の交互の声がした。
「鎌田さん!」
「鎌田! よせ!! 凶器はヤバイだろ!」
飯野君と瀬田君が、人ごみを掻き分けて真咲に呼びかける。
が、真咲の頭には血が上っていて、それどころじゃなかった。
「うるさい!! こーゆー手合いはね! クチで云ってもわかんないのよ!! 自分が泣きを見ない限り!! 愛衣ちゃんが受けた苛めだって、多分気持ちだけとかじゃなくて、身体にだって傷ついたハズよ!」
再度ブラシを振り上げようとした瞬間、か細い声けれど聞きなれた声がする。
「真咲ちゃん〜」
真咲は人ごみから顔を覗かせるバンビちゃんのような、愛衣ちゃんの顔を見つける。
苛められて怖くて、教室の方にあがってこなかった愛衣ちゃんの姿がそこにある。
「愛衣ちゃん!!」
「もういいよ。それよりも時間がないよ」
「だって!」
「あたし、真咲ちゃんと友達になれたから、いいの!」
大きな黒目がちの瞳に透明なしずくをいっぱい溜めて、うるうるしている愛衣ちゃんの姿を見て、真咲の肩の力が抜ける。
その様子を見て、鏡の前に固まっていたいじめっ子三人組はものすっごい勢いで逃げ去っていった。
「あっ! あいつら!!」
真咲が叫ぶ。
事が大きくなる前に収束したので、集まっていたギャラリーは散り始めていった。
「……くっそ〜」
「ブラシ持ってくそとか云うなよ、鎌田」
瀬田の突っ込みに真咲は頬を膨らませる。
「うっさい、クソビッチはあいつらだ! ひどいんだよ!」
「クソビッチ……おま……女子中学生の言葉じゃねーな。鎌田がそんだけ声高にいやあ、周囲の目もあって手はださねえだろ」
「あたしは怒ったよ! 瀬田君!! あいつら卑怯だよ!」
「ガンに感化されてんな〜」
ガンちゃんは周囲に声高く呼びかけはするものの、暴力は振るわない。
もっと平和的だ。
真咲なんかの足元にも及ばない……。
それをわかっているから、真咲は唇をかみ締める。
「いいよ、いいから、ブラシ、仕舞って?」
愛衣ちゃん顔を見ると、大きな瞳に溜まっていた透明な雫がパタパタっと、零れ落ちていく。
「愛衣ちゃん……」
「真咲ちゃん……わたしのこと、そうやって云ってくれるてすごく嬉し……昨日も、今日も……すごく学校くるの、楽しみで……真咲ちゃんとか……ガンちゃんとか……いてくれて……声、かけてくれて……」
「愛衣ちゃん……」
「ありがとう」
……穴があったら入りたい気持ちだった。
自分だって、本当は、あのいじめっ子と同じ気持ちになったこともある。
愛衣ちゃんは美人で大人しくて可愛くて、裁縫まで上手で女の子らしいから、きっと男の子は……好きになるから……。
――――そうきっと、ガンちゃんも好きになるかなって……思ったし、そこでモヤっとしたのは事実だし。
コンコンコンと真咲はブラシの柄で、自分の額を叩く。
そうやってヤキモチ焼いたりしたのだから、あの三人組と自分は同類なのだ。
愛衣ちゃんに、そんな風に思ってもらう資格はないのだ。
「ごめんね、愛衣ちゃん」
「?」
愛衣ちゃんは真咲に謝られて、キョトンとしていた。
今は目の前にクラスの男子がいるから素直に云えないけれど、このことは、いつか愛衣ちゃんにちゃんと伝えて、改めて誤ろうと、真咲はそう思った。