Extra ラスト・ゲーム 6回表
「澤田おっせーぞ!」
「今からユニホームに着替えて試合に出ろー!」
ヒデと岡野がグラウンドからベンチに走り寄って二人で叫ぶ。
「そんなムチャクチャな」
「いやーお前ならやるだろ」
トーキチもそう呟いた。
そんなトーキチはわずかに肩で息を切らしている。
持参したペットボトルを掴んで、ゆっくりと水分補給をした。
一気飲みしたいのをこらえているのが誰の目にもわかる。
「てか、澤田がユニホーム着てないのありえないし」
そういうと澤田はバタバタと足をばたつかせた。
「わー云うなー! 俺だって試合出たくなるだろーが!」
澤田がそう叫ぶとヒデと岡野はゲラゲラと笑う。
ヒデはプロテクターをはずしながら、三倉が記入しているスコアを覗き込んだ。
眉間にほんの僅かな皺を寄せる。
三倉と顔を見合わせて深くため息をつく。
みんなに聞こえないように注意を払った溜息だった。
「俺がしっかりしてねーからな……トーキチに負担かけちまってる」
その呟きもやはり傍にいる三倉にしか聞こえない。
「いいや、誰がやっても同じだと思う。むしろ、トーキチだから抑えてるんだよ。俺だったらもっとバカスカ打たれてるって。アローズは打撃のチームなんだから」
「そんなもんかな……にしたって、オレのリードがよくねえのも事実だろ」
ヒデはトーキチを見るが、トーキチは岡野と澤田と話し込んでる。
引っ越した先は広くて、澤田は念願の子ども部屋をもらったと嬉しそうだった。
「へーいいじゃん。子ども部屋」
「猫とか犬とか買いたいんだけどさーまだ新築だからちょっと躊躇ってるんだよねーかーちゃん」
「いいなーペット。公団じゃ、そーはいかねーもんな」
それでも規約を破って飼っている人間はいるのだが、基本は犬猫の飼育は梅の木公団のアパートでは禁止されている。
「まーそーゆう楽しみもあるんだけど、学校以外での交友関係がなかなかね」
「まだ一ヶ月だし、学校はまだこっちに通ってんだからそこはね」
リトルをやっていたのもあって、早起きは苦でもない。だから早めの電車に乗車して梅の木小学校に通うのも慣れたらしい。
だが。
澤田はちょっと云いにくそうに一言。
「けどさあ、学校が休みの日は、キャッチボールする相手がいねーのよ。で、一人壁投げやってんだよね」
――――トーキチはドキンとした。
それは紛れもなく自分の、近い未来の状況そのままなのだ。
「そりゃ、おめーが引越しの荷物さっさと片さないからだろーが?」
そうすりゃ、こっちに遊びにこれんべ。岡野が云うと、そーなんだけどさーと澤田が言葉を濁す。
トーキチはそれを傍で聞いて、ドキドキした。
――――キャッチボールする相手が……いない……。
でも澤田はまだ完全に新しい環境にスイッチしたわけではわないのだから、それは仕方ない。
中学に進めば。澤田のように新しく地域に入ってきた人間もいるだろうし、地域の幾つかの小学校からそれぞれその中学校に入ってくる人間もいるから、面識がない状態はみんな同じだ。
そこで野球部なりシニアリーグなりにはいれば、澤田の今の状態は笑い話。
なーんだ俺も繊細だよなのヒトコトで終わる。
だけど。
トーキチは違う。
――――野球のボールすらも手にしない新しい生活は、もうすぐだ。
トーキチはヒデを見る。
――――だって、あたしにも、いなくなる。キャッチボールをする相手が。
ヒデはバットを選んでいる。
――――ヒデと、もう、キャッチボールできなくなる。
カキン!
ボールの当たる音に、ベンチの全員がグラウンドに注目する。
セカンドフライだった。
みんながあ〜あ〜と声を出すが、トーキチが声をかける。
その今抱いた不安を自ら消すように、それを悟られないように。
「どんまい今野! 横田ーがんばれ!」
トーキチが叫ぶと。みんなはっとしたように、今野にドンマイと声をかけて、ポンポンと背や腕を叩く。
「トーキチさん、ごめん…おれ……おれ……」
「気にすんな、まだまだ。攻撃はこれからだ、横田とヒデを応援しよう。この回それで点が入ったら。必ず抑えてやるから」
ポンとトーキチが今野の肩を叩いて、ニッと笑う。
全員がその様子を見て
――――やっぱうちのピッチャー。
――――女だけどうちのピッチャー。
――――誰よりもオトコマエ!!
「ほら、応援しよう、今野、そいでこの裏でしっかりバックを守ってくれればいいんだから」
――――姐さんじゃない。強いて云うなら兄貴!!!
「ほら、応援!」
トーキチに促されてみんな声を出す。
「がんばれヨコッチ!」
「横田ーガンバレー」
ベンチから身を乗り出して応援を始める。しかしその甲斐もなく横田は内野フライでアウトになってしまった。
「どんまい! 横田」
トーキチがうなだれて戻ってくる横田に声をかける。
「7回の表、また塁に出て走ってやっから! 気にすんな!」
パンと横田の背を軽くはたく。
横田はさっきの今野と同様、トーキチを頼もしく見つめる。
が、三倉と監督は眉間にしわを寄せて顔を見合わせた。
監督もこの試合、口うるさい指示も何も出さない。
卒団する最後の試合だからだ。
しかしトーキチのこの発言は捨てて置けない。
――――いつもより、投げ過ぎている。
監督は三倉だけに耳打ちをする。
「七回はお前を代打で出す、そのつもりでいろ」
三倉はハイと小さくつぶやいて頷く。
七回裏を最後をまかせるのはやはりエースピッチャーだ。
ここで控えの三倉に投げさせたら、監督だってわかっている。
だから攻撃はトーキチの代わりに三倉に任せて、少しでもスタミナを残しておきたい。
そんな様子を知らず、他のメンバーは4番のヒデの応援に力を入れている。
「ヒデ! 打ってけ! 頼むぞ!!」
「頑張れヒデさーん!」
――――お願い、敬遠なんてしなで勝負して!!
トーキチは祈るようにグラウンドを見つめる。
――――わかってるよね? ヒデ! 最後なんだぞ!
カキン!
ヒデは初球を思いっきり振りぬいた。
カキンという音がグラウンド内に反響する。
応援に来ている保護者たちからも「おお!」と歓声が上がる。
ボールは放物線を綺麗に描いて梅ノ木グラウンドのフェンスを越えていく。
――――ちなみにこれが、このラストゲームの決勝打となる。