Extra ラスト・ゲーム 1回表




「もう、今日は云うことはない、思いっきり、楽しんで来い」
監督の言葉はそれだった。
全員が「はい!」と声を揃え返事をする。
フェンス越しに保護者達がぞろぞろと応援にかけつけてくる。
大きな大会でもない、普通の練習試合だけれど、小学6年にはこれが最後の試合になる。
マウンドに立つ相手ピッチャーを、トーキチは自分達のベンチの端に座って睨むように見ていた。

「トーキチ」
「うん」
「なんだ、そんなに、相手ピッチャーいい男か」
ヒデが軽口叩いて、トーキチの横に座る。
トーキチは顔をヒデに向ける。
「速いな」
トーキチはそう一言もらす。
マウンドで軽くアップしているような球でも、ミットに届くとスパアンといい音がグラウンドに響き渡る。
「まあなあ」
ヒデも同意する。が、彼は云う。
「でもなあ、実はオレらのピッチャーも、すげえぞ」
ヒデの一言にトーキチはクスリと笑う。
「そうなんだ」
「知らないだろーから、云っておく」
「知らなかったわー」
バッターボックスに岡野が入る。
「足で稼げよ、岡野」
ファーストの岡野は、現在、梅の木ファイターズ一の俊足だ。
「岡野コールな!」
「よし!」
「いけいけ岡野!!」
「いけいけ岡野!!」
梅の木ファイターズのメンバーがコールを始める。
バッターボックスにいる岡野にも届いているはずだ。
軽くスイングして、構えた。

「プレイボール!」

審判の声が上がる。
ピッチャー第一球、投げた。
初球を岡野はカキン!といい音を出して当てた。
ベンチにいるメンバーが身を乗り出すが、ファールだった。
ボールはラインを超えて、グラウンドの奥のフェンスにガチャンと音を立てて転がる。
「いっきなり当てやがったぞ、岡野」
「やる気あんなあ」
「岡野! 当たりいいぞ!!」
「頑張れー!」

――――なんだよ、イイカンジで当たっちまった。

いい球だったから、初球思いっきり振った。距離も伸びて、数センチライン内側だったらレフトへのヒットになっていはずだ。が、結果はファール。1ストライク。
バットを軽く振って、また構える。

――――もしかして、オレ、ヒットいけるんじゃね?

打席に立って、次のボールを待つ。
今度も当たる予感はする。2球目を岡野は打つ。ベンチは湧きあがるが、それは数秒後、「あー」という溜息に変わる。
ピッチャーフライでアウトだった。

2番はセカンドの今野。
今野も内野フライでアウト。
今野はバッターボックスからベンチに戻ると、岡野を探した。
「なあ、岡野、あのピッチャーどう思う?」
「振ったら、いけそうなんだろ?」
「そーなんだよ、だから振っちゃったんだよ、でも、オレ一球目でアウト」
「オレもだよ。スピードもイイカンジで、だから初球振ったんだよ、で、当たり良かったじゃん?」
「おう」
「で、2球目もいけると思ったらさー」
ピッチャーフライで打ち取られた。
3番の横田も転がそうとは考えてないなと、トーキチだけでなくチームの誰もが思う。
何よりもヒデが「振ってやれ!」的な表情で横田を送り出した。
横田にバントさせるよりは、振らせた方がいいと監督も思っている。
岡野と今野はトーキチを見る。
意見を求められているなと彼女自身も思ったけれど、この出だしではまだわからない。

――――岡野も、今野も当たった。振るぜ。

監督のサインは出ていない。

――――オレは岡野やトーキチみたいに、バント上手くねーし足も遅いしな。

横田の次はヒデだ。ヒデが入るなら、自分はベースに出ておきたい。
点数が入る確率が断然違ってくる。

――――ヒデなら平気でホームランだろーけどな。

相手ピッチャーが第一球を投げてくる。
内角低めをストレート。
「ストライク!」
キャッチのミットに収まったボールを横田は見る。
しっかりストライクだった。

――――速くね? アレ?

前打席のボールスピードとは違っている。打席に立たなくてもコレなら打てる当たると思ったスピードじゃない。
気をとりなおして構えるが、また同じコースでボールはキャッチのミットに収まる。
「ツーストライク!」
審判の声がする。
相手ピッチャーのボールスピードはベンチにいながら、変わってきているのがわかる。
「ナイスボール、三田村」
キャッチャーがそういって、ボールをピッチャーに返す。
ツーストライク。この状態でも多分横田はバントしないだろうなと、トーキチは思う。
想像通り、横田は構えは変わらない。
横田ならイケルとベンチにいるメンバーが思うが、結果は空振りだ。
「ストライク! バッターアウト! 3アウトチェンジ」
気まずそうな顔でネクストサークルにいたヒデを見る横田だが、ヒデは全然気にしない様子だ。
「ドンマイ、ヨコッチ」
ヒデが横田に声をかける。
「さ、切り替えて、守るぜ!」
その言葉に、横田は打てなかった気持ちを守りに切りかえることができたみたいだ。
「おう!!」
メンバーは各ポジションにグラブを持って散っていく。
ヒデはまたマスクと、プロテクターを身につけた。
トーキチが左のレガースをつけてやる。
「あ、ありがと」
「どーいたしまして」
トーキチのその表情は、緊張しているのかそうでないのかがよくわなからい。

――――−マウンドに立って、投げてくれりゃー、わかるか。

ずっとキャッチボールしてきた仲だ。
「トーキチ」
「?」
「お前、大丈夫だよな」
トーキチはヒデを見る。
帽子の鍔のせいで、目は影にかくれてしまっているけれど、口元にはニヤリとした笑いを浮かべている。
「テンション低いからよ」
「……」
「岡野も心配してたし」
「大丈夫」
この言葉を聞いても、ヒデはほんとかよと思っていた。
何球かボールを回した後、アローズのトップバッターがバッターボックスに入ってきた。

マウンドに立って、トーキチは深呼吸をする。

――――後悔しないゲームを。野球をやっていて、一番いいと思うゲームを。

目を閉じて、深呼吸をする。

――――ここに立てるは、今日が最後。

「プレイ!」

審判の声が上がると、トーキチはヒデのサイン通りに、第一球を投げた。