鳴海慧悟氏に、一見支えられるようにして、腕を引っ張られるてティーラウンジを出る。
あたしは叔母ちゃん達が見えなくなったのを確認して、鳴海氏の手を振り払った。
相手がリアクションを起こす前に逃げ出したかったのに、タイミングをまんまと奪われた。
「今度は逃げられると思うなよ」
低い声で囁かれる。
「逃げるのは、何かやましい事があるからか?」
「はあ?」
そんなワケあるか! そうよ、やましいことはない。
生来の負けん気が勝って、つい鳴海氏を見上げ後悔する。
鳴海氏からは、ようやく目線があったなと云う表情がありありと見てとれた。
うぐ、しまった。モロに視線がぶつかってしまった。
目線が合うと、思い出したくないことまで、思い出されてくる。
「あんな夜を一緒に過ごしておいて、そういうことを云うのか」
人の耳元で、その声で、そんな台詞を云うな!
こっちはあれから必死であの夜にあったことを忘れようとしていたのに。
このまま、時間が経過すれば、忘れられる。
相手だって、そうだろうと思ってた。
「これでも一応、心配したんだ」
……心配……。
威圧的で支配的な雰囲気は残しつつも、彼の目線が、なんか和らいだ。
……心配、してくれてたって……その言葉に不覚にもキュンとする……けど
うわー、だめだめっ。
うっかりときめいたりしたら、おしまいだろう。
今日の見合いはこの男が仕組んだことに決まってる。
オーナー経由で問い合わせて、あたしをこの場所にひっぱりだしたんだ。
一体何が目的なのよ。
鳴海氏は、周囲を見回す。
「ここで話す内容じゃないな」
話? 何を話す気?
「莉佳」
い、いきなり、呼び捨て!?
あたしは自分の眉間に皺が寄ったのを自覚した。
「ここであの夜のことをペラペラ話されるのがいやならおいで」
おいでって、何よ、人を犬みたいに呼びつけるなっての。
しかも忘れたいと思ってることを蒸し返すの?
その有無を言わさない威圧的な命令系はなんだっつーのよ。
何様よ? ああ、社長様か。
でもあんたに雇われてないっての。
ムカっとして、鳴海氏の後をついて歩き出した。
もっとムカっとするのが、移動中にすれ違う若い女性とか従業員がちらちら鳴海氏を見てること。
いや、彼女達のその気持ちはわかる。そこは別にむかつかない。
が、なんでその後ろにくっついて歩いてるあたしを見てげんなりするのよ!?
または、クスっと笑うのさ? 月とすっぽんと云いたいのか!?
て、云ってるよ、その顔は、あんたたち。
もうーやだっ、並んでなんか歩きたくないわっ。
できるなら他人を装う距離で追従しよう。
そう思って三歩下がって歩こうとしたら、また手を捕まえられた。
「なっ……」
「離れすぎ」
「逃げないわよ」
「どうかな。信用できないな」
鳴海氏の長くて骨っぽい指が、キュっとあたしの指に絡んでくる。
なっ……なんでそんな手を……指を……恋人つなぎするの?
振り払おうとしたけれど、ギュっと力を加えられる。
肩越しにあたしの方を見て、口元だけ微笑む。
その笑顔に心臓が……バクンと音をたててしまう。
大の大人が、周囲の目があるのに、子供みたいに腕を振るのもみっともないと思い、仕方なしにそのまま歩きだした。
廊下をずっとわたって行き、スイート専用のエレベーターに乗って、あの日の部屋に案内される。
部屋の窓からは東京が一望できた。
あの日は夜景がロマンチックだったけど、今は日中の春の日差しが街を照らしている。
春霞なんて言葉はいいけど、これは単なる高化学スモッグだよな。
広いスイートの奥にあるベッドルームにドキリとする。
あの夜の事が思い出されて、不覚にも、顔や頭だけでなく身体も熱い。
ベッドの中では最高でしたよ。
でもそれって、それなりに場数踏んでるってことでしょ。
あたしと違ってさ。
てかもう、いつまで手をつないでるつもりよ!
あたしは鳴海氏から手を振りほどいた。
人目がないんだからもう遠慮なく力づくで。
「なんで怒ってる?」
「手なんかいつまでもつないでないで、子供じゃないんだから。逃げやしないわよ」
「子供と変わらない」
うーわームカツク。馬鹿にしてるでしょ?
30まで未経験だったからって、そこまで上から目線で語られなきゃならないの!?
「何か頼む?」
「結構です……さっきコーヒーも頂いたことだし、さっさと本題に入ってください」
「あの日のことだ、おおっぴらに公衆の面前で語れないだろ?」
あたしは眉間に皺が寄るのを自分でわかっていた。
てか何を蒸し返そうってっゆーのよ!?
「じゃあ、本題」
「なんですか?」
「あの夜、やってる最中、ゴムがとれたままだったの覚えてる?」
「なっ」
なん、なんってことをサラっと云いやがる!?
そういうこともあったけどさ!
それ、セクハラ? いや迷惑行為ってヤツ?
やったことは合意だし、事実だけど!
「生理はきた?」
あたしは、思わずぐっと握り拳を作って相手を殴ろうとしたけれど、振り上げた手首を捕まえられてしまった。
「ヘンタイ!」
「あんまりな言葉じゃないか。確認したいんだ」
「何を」
「あの夜でデキたかもしれないだろ?」
「……出来たって……」
手首を握り締められたまま、あたしは固まる。
男と女がベッドに入ってやることやって出来るっていうのは一つだよね。
まさか!?
いや、でもまてよ。
あたしは忘れようとした出来事を思い出す。
思い出さなくても、あれだけ自分に言い聞かせているのに、忘れられないし、忘れられるはずがない。
あの夜は、避妊したけど……いや、最初は避妊してたけど……最後はもう……子供ができてもおかしくないぐらいなことはした……。
確かに。
茹だった頭が冷や水をぶっかけられたように、サーと急激に冷えていくのを感じた。
鳴海氏はぱっとあたしの手首を離す。
「まあ、座ったら?」
ソファにどうぞと促されて、足の力が抜けてすとんと、座りこんだ。
鳴海氏の発言を聞いて、もう、ここから逃げ出そうとか、そんな気はおきなかった。
「その様子だと、まだわからないわけだ」
「わからないわ……」
だって予定日は多分来週……。
「わかったら連絡をしてくれ」
「……なんで?」
「当然だろう。責任を取るつもりだ」
……一瞬、鳴海氏の言葉が何を云っているのか分からなかった。
セキニン……どんな日本語だったっけ? と思ったぐらいだ。
「まあ、お見合いの席で、身体の相性が合うかどうか試したっていっとけば、結婚式の後に出産して日数が合わなくても、キミの姉さんと叔母さんにも云い訳は立つだろう」
あたしはポカーンと鳴海氏を見る。
この人、今、なんていった?
とんでもない単語を耳にしたような気がする。
結婚式って云ったよね?
結婚式――――って何よっ!?