awkward lover5
今日も残業。
終電が終ってからの帰宅になりそうだった。
原稿待ちは長い。
デザイン会社の子と打ち合わせは終っている。
あとは原稿だけなのだ。最近はライターもデジタル化されているが、古い人はいまだ手書きで、それをまたリライトしていかなければならない。
佳純はホワイトボードに定食屋の名前を書いて、オフィスを出ていく。
「うぎゃ。
佳純! 1人で『玉ちゃん』はなくってよ! あたしも誘いなさい」
声をかけてくる多田を見て、また前を見てエレベーターのボタンを押す。
佳純が書いた定食屋『玉ちゃん』は、このオフィスの近くにある魚料理専門の定食屋。
夜は昼と違って、値段が張る店が多い中、早仕舞いをしてしまうものの良心的な値段で最後までやってくれる数少ない店で。夕方以降はおじさん率がぐんとUPする。
女性1人ではなかなか入れない雰囲気があるが、
佳純はあまり気にしないらしい。
「あいよ、ムツミソ定食に、塩サバ定食!」
佳純と多田の前に、定食が運ばれてくる。
この不規則な時間の職業でまともな夕飯を食べるのは、タイミングが重要。
佳純は割り箸を多田に渡して、自分の分も取り出して割る。
お互いに「いただきます」をいって、箸を伸ばす。
「ね、伊崎君と、何かあった?」
「別に、何もありませんよ」
「……えー、献本届けに行ったんでしょ?」
「行きました。ついでの事務所の引越しの手伝いもしてきましたよ」
「マジ?」
「だからって何があるってわけでもないでしょ?」
これだからこの子は……と多田は塩サバをつつきながら
佳純を見る。
「普通さ、そういうところから次へ繋げない?」
「次へって多田さんそれ、お友達関係へ……そしてよりスッテプアップした状態へってことですか?」
「他に何が?」
「夢見すぎですよ」
「は?」
「だいたい、相手は伊崎選手でしょ、伊崎選手の学生時代の友人の方々にも会いましたが、みんなカッコイイじゃないですか」
「そうでしょ! わかってるじゃない。あんたチャンスなのよ?」
「わかってますよ、あれだけかっこよければ、他の女性は放って置かない事ぐらい常識でしょ」
多田はポカンと口をあけて、彼女を見る。
「お友達も多いでしょうよ、彼等なら、何も今更お友達を増やすこともない。ただのお知り合いでしょ、こっちもそんなに連絡入れるような、時間も情熱も持ち合わせてませんよ。その時間はRデザイン事務所の美夏ちゃんとの会話に費やしたいですね」
だめだこりゃ……。多田はガックリと肩を落とす。
というかこれは、彼女が及び腰。
言葉はそっけないものの、最初から自分は彼等に相手にされてないんだと思っている。
伊崎が自ら、彼女にアプローチをかけているのに、佳純は気づいてないのだろうか?
「友達ぐらいには、なりたいんじゃないの?」
多田の言葉に
佳純の箸が止まる。
「でなきゃ、『食事を一緒に』とか云わないし、ましてや、あんな時間にアンタの好きなコーヒーを差し入れしないよ」
「そう……ですかね」
明らかにそうだよと、呟く。
「じゃあ、友達でいいのかな……そう思っても」
「そう思いなさいよ。年も近いしね」
「……」
「あんたが1歳ぐらい下なんだっけ?」
「はい」
「伊崎君、週末から渡仏するよ、それからイギリスに渡って、7月頃にまた一度日本に戻るんじゃない? 大会の成績次第ではさ」
「……」
「このくそ忙しい時に、『見送りに行ってこい』なんて云わないから、『応援してますメール』ぐらいは送ってみたら?」
「……じゃあ、送ります」
佳純は箸を置いて、自分の携帯を取り出す。
そして素早くメールを打ち、送信して、また箸を手につける。
その動作の素早さに、多田はまたポカーンと口を開く。
「ちょっと、まて、あんた、今どこにメール送ったの?」
「どこって……伊崎選手の携帯」
「はあ!? 事務所のパソコンじゃなくて?」
多田は事務所のE-
MAILなら知っている。
佳純は多分知らないだろうから、教えてやろうと思ったのだが……。
彼女は今、伊崎の携帯にメールを送ったというのだ。
すなわちそれは、伊崎のプライベートのメルアドをすでに知っていることのだ。
「そっちは登録してないから。だってまだ日本にいるなら、携帯に送れるでしょ?」
「いや、そうじゃなくて、なんであんた、伊崎君の携帯のメルアド知ってるの?」
もちろん、プライベートのアドレスだから多田は知らない。
「だからこの間、引越しの手伝いを2日間かけて手伝った時。片付いたねって、ご飯食べてその時にメルアドは交換しました。吉井さん御存知ですよね? 多田さん。吉井さんのも教えてもらいましたよ。」
これって、あたしが動く必要性全然ないんじゃないのと、多田は思う。
「吉井さんって、第一印象、怖い人だなって、思ってたんですけど、意外とそうでもなくて、安心しました」
佳純はそう云う。
ああ、確かに彼女は人見知りするからなあ、観察力旺盛な彼は苦手かもしれない。
それでよく食事にいったものだなあと多田は思う。
「学生の時のお話を訊かせもらったり、多田さんも加賀見デスクも元気ですかって」
「ああ、そう」
「多田さん?」
「うん。いいの、なんでもないの、吉井君、元気だった?」
「はい。あとお会いしたのは、細井さんでした」
「あら、あの子もいたの。元気?」
「急いでいるようで、すぐに帰られたけれど、すごく元気な人ですね」
「相変わらずか」
「……」
「そうか、苦手なモノを知る人物にポイントを尋ねておくのも手か」
「は?」
「細井君はサーブ&ボレータイプのテニスプレイヤーでね、今回のフランスの大会のコートの対策を検討していたのかもね」
「得意なんですか?」
「大の苦手なコートだから、どこを注意すればいいかわかるんじゃないの?」
「そうなんですか」
「そうなんです。でも細井君はすっごく抽象的な表現しかしなさそうだからなあ、まあ、伊崎君ならわかるか、付き合い長いし」
「伊崎選手は―――――――……静かな人ですね……アスリートって気がしない」
「まあ、寡黙な子よね、昔っから」
「そうですか」
「それで昔っからね。言葉悪いけど、『老け顔』でさ」
「そうなんですか」
「だから年をとっても変わらないわねえ、だってさ、学生の大会の時、大会スタッフに監督さんですかって聞かれてたし。同じジャージ着てんのに、ありえねえって細井君が大爆笑でさ、その話を聞いたとき、まあ笑っちゃたけどね、本人傷ついたかもね。でも、そのころからよね、プロ協会の方が彼を意識してきてマスコミがちらほら彼を報道するようになってきたのは」
その様子を想像したのか、佳純もクスクスと笑う。
「へえ……」
「ところでさ、なんてメール送ったの今」
「別に」
「えー知りたい〜!」
佳純は、ぽいと携帯を多田に渡すと、残りのご飯を口に運んでお茶をすする。
――――――長期の海外遠征のようですが、体調に気をつけて頑張って下さい。
清瀬。
簡素というか、そっけないというか……その一文を見た多田は、へなへなと心が挫けそうになる。
というか、送ったメール内容を、第三者に丸見せしようというその行動が、信じられない。
そんなに、佳純にとって、彼は伊崎は、友達でもなんでもない人なのだろうか?
多田の沈黙を受けて佳純は呟く。
「……ヘンですか?」
佳純がお茶を飲み干して俯く。
多田は顔を上げて
佳純を見る。
―――――これが彼女なりの精一杯なんだ。
「失礼じゃ……ないですよね……」
小さな声で、
佳純は云う。
俯いた
佳純の耳が真っ赤になってることに気がついた。
なんでもないように、ポーカーフェイスだったくせに、その実、本音を洩らした瞬間、大照れするあたり、なんというか、判り難いのだけど、コレを知る多田から見れば、こういうところが、とても可愛いと思ってしまう。
だけど……。
男は単純だからなー、表現がストレートに出る女の方が、受けはいいんだけどなー、伊崎君はそうじゃないのかなー?
「全然、失礼じゃないよ、もっとくだけてもいいぐらいだよ」
多田は
佳純に携帯を戻す。
「だって、そんな、だめですよ、相手は伊崎選手なんだから……」
「確かにね。学生の頃から何をとってもよくできた子らしいけど……」
「……」
「テニスの実力も、Jrの頃からもう期待されていたし、都内じゃ有名私立の進学校にいて、先生の信頼もあつく、当然成績もよかったでしょ、それであの顔じゃ、女の子が騒がずにいられますかって話しよ。部活終了後に告られる回数ったら、そーねー、吉井君あたりが面白がって記録に残してるんじゃないの? ぶっちゃけ、あたしだって、当時の伊崎君にはクラクラしました」
「いるんですね、天に二物も三物も与えられる人って」
「まあ……そうね、でも努力もしてると思うわよ、でなきゃ、あんな若くて世界レベルまで到達できないわ。ましてや日本ではね」
「……外国よりも、テニスというスポーツが浸透していないから?」
多田は頷く。
そして思い当たる。
だからか。だから彼は佳純に惹かれるのか。
己を律する。
そして自分のやりたいことに向って、努力すること、集中すること。
佳純はいつだって仕事面ではそうだった。
同い年の女の子との、雑誌の編集ってステキそうだわで、縁故で入ってくる腰掛の女子との違い。
多田も始めはどちらかといえば、その手のタイプだった。
仕事をしていくなかで、自分の適正にあっているかそうでないかが判ってくると、これなら他の職種よりはやはり自分に向いているかもしれない。
そう自分の中で納得していった口だ。
実際、
佳純と同時期にバイトで雇ったそれっぽい女の子は、1週間でやめている。
(入稿中だからかなりハードだった。そのやめた彼女にとっては、雑誌出版という華やかそうなイメージを覆されて、ショックだったのだろう)
が、佳純は違う。
初めから、コレがやりたくて、多分彼女はスポーツ誌じゃないものに興味があるのだろうけれど、若いうちはこれも勉強だと、総てにおいて真摯に取り組んでいる。
多分、編集アシスタントに甘んじていても、実はデザイン系にも興味があって、そっちの勉強をしてみたいらしいのだから。
自分の夢―――――多田が口にするには少々恥ずかしいが、そういう目標にむかっている姿は、確かに
佳純には持ち合わせている。それは評価できる部分ではある。
「あ……」
「何?」
「返信メール……」
ガタっと多田は立ちあがる。
「なに?」
佳純が困惑したように多田を見る。
「見てもいいの?」
佳純は頷く。
―――――ありがとう、
清瀬さんも体調には気をつけて、お土産は何がいいだろう?
多田は携帯にうちこむ、
―――――エルメスかヴィトンの新作バッグが欲しい!!
送信せずに
佳純に渡すと、
佳純はなんてメール文なんだという表情をする。
「多田さん……これは……」
「うん、あたしが欲しいだけで別に打ってみただけ。いいの、きっと買ってくれないのはわかってるわ……」
「……」
「一度はそういうことも云ってみたい年頃なのよ」
「アンタ何歳ですか」
「いーじゃない! それぐらい! ほら、こういうノリでいいから返信しちゃいなさい! 御馳走様!」
多田は佳純と自分の伝票を引っつかむと勘定を済ます。
佳純はその間、ぴこぴこと返信メールを打っている。
―――――ありがとうございます。今、多田さんと食事してました。多田さんは「エルメスかヴィトンの新作バッグが欲しい!!」だそうです。私は、お奨めのコーヒー豆か、紅茶があれば嬉しいですが……あまりお気を遣わずに……。
そうメールを流す。
「払います」
「いーわよ、だけど今回もよろしくね」
「玉ちゃんのムツミソ定食でフォローしろと」
「そーよ」
「……わかりました。あ、メール多田さんのリクエストも送っておきましたよ」
多田は
佳純のケロっとした顔を見る。
あのジョークをマジで流したのかと云うと、
佳純は真顔でだめでしたか? と問いただす。
この後輩はやはりテンポがずれていて、そこが憎めないところだと思う多田だった。