awkward lover4
事務所用にリフォームしましたという、感じがするこの場所で、引越しの整理を個人でするものか?
さきほど、玄関から飛び出した彼、細井氏によると、「伊崎とマネージャーがケチだから」というのだが。
「事務所の形態がとれてきたのは、ここ半年かな。事務所っても、マネージャーが1人いて、あとは俺達が細々とした雑務を手の空いているヤツが手伝うって感じなんだ」
意外だなと佳純は思う。
伊崎ならもっとたくさんのスタッフに囲まれていかと思ったのだ。
実際。伊崎はプロになって自分でいろいろと管理業務もこなしてきたが、さすがに手が回らなくなってきてマネージャーをつけたらしい。
香りのいいコーヒーを飲み干すと、佳純は立ちあがる。
「それじゃ、どこから何をすればいいんですか?」
「助かるね、そこのDVDの山があると思うが、年代別に過去の順からそっちの棚へ収納してくれないか?」
吉井の指示に、佳純は頷くと、さっそくDVDのケースを見る。
インデックスがなく、ケースの表面に油性マジックで年代が殴り書きされているのそれらを見て、佳純はコレはちょっとインデックス作ったほうが見た目も使いやすさも違うのになと、内心思う。
時間があるときに年代の数字をこっそりとメモをとりつつ、収納を始めた。
幸い枚数が少ないので、これなら自宅に戻ってもすぐにとりかかればできるだろう。
DVDを収納すると、今度は本の整理。
伊崎が掲載された雑誌等と、資料と、完全な私物。
大まかに3種を分類して、収納する。
気がつくと、窓から差し込む光がオレンジ色に変わっていた。
デジタルデータを処理していた吉井はグッと背を伸ばしてみる。
「今日はこれくらいでいいんじゃないか? 飯でも食う?」
「ああ」
「清瀬さんが黙々と手伝ってくれたから、はかどったじゃないか」
「本当に、いきなりで悪かったね」
伊崎の声に、佳純は顔を上げる。
「いいえ、じゃ、私はこれで失礼します」
「一緒に食事していきなよ、それに、遅くなるから……送ろうか、家まで」
「あ、お気遣いなく。帰ります」
本日の予定は大幅に変更されてしまったものの、今ならまだ駅ビルは空いている。
そして100円ショップもまだ開いている。
通常の帰宅時間よりも2時間は早い。
「だが……」
「いえ、コーヒーも戴いたことですし、美味しかったです。御馳走様でした」
佳純はバッグを抱える。
「送ってもらえばいいのに」
吉井は云う。
「結構です」
吉井は腕を組んで、彼女を見る。
普通はここで形ばかりの拒否はあっても、結局言い出したこちらのことを受け入れてくれる女性が大半で、ここまで、きっぱりと拒否をされると、こちらにあらぬ疑いが彼女の中にあるのではと、吉井は考えてしまう。
「大丈夫、送り狼なんかになるヤツじゃないよ」
「勿論、それはわかります。ほんと、御迷惑だからいいです」
佳純は慌てたように云う。
吉井は顎に指をあてて、考え込む。
人見知りをするタイプなのだろうかとは思う。
片付けの作業中、私語も質問も、普通ならかかってくるだろう携帯のメール音すらもなく。
彼女は黙々と作業をしてくれた。
「そう……」
「じゃ、お邪魔しました……」
「清瀬さん」
「?」
「明日も手伝ってくれる?」
吉井は声をかける。
「……はい?……」
「吉井、彼女にだって予定があるだろうが」
伊崎の言葉に吉井は手で制する。
「だめ? 予定あり? 彼氏とデートとか?」
「いえ……特には……」
「じゃあ、決定で、俺が決めていいよな。伊崎。ちゃんと日当も出して」
日当という言葉に、佳純は驚く。
「食事もつけよう。好きなものは何? 好き嫌いがなければ俺達で決めていい?」
「……こういうお手伝いで、そういったものはもらえません」
佳純はきっぱりという。
「キミの時間を拘束するからには、それなりの対価を払うべきだからね」
「……」
「世間一般の引越し業者を頼んでも、代金のほかに心づけぐらいは出すさ」
「……わかりました」
「ありがとう。お昼過ぎからでいいからね。助かるよ」
佳純は頷いて玄関へ歩いていく。
吉井はその後姿を見て、伊崎に視線を投げる。
――――――送ってやれよ。
そういわれなくても、伊崎は彼女を追いかけていく。
「すまなかった……せめて、駅まで送らせてくれないか?」
佳純は小さな「はい」と言葉と頷きを返した。
「……ごめんなさい」
「え?」
マンションをでると
佳純はそういう。
「なんだか……お食事も誘っていただいたのに、お友達の方の気を悪くさせたみたいで……、よく、多田さんにも云われるんです」
「いや、気にしないでいい。実際とても助かったし……、こちらの方がいきなりなのに、悪かった……本当に明日も大丈夫なんだろうか?」
伊崎にそう云われて、佳純はほっとする。
「はい、実は、気になっていたんです。あのDVDのディスク。油性マジックで年代だけかいてあって……インデックス作ったほうがいいかなって。失礼ですけど、年代をメモさせて頂きました。今日、夜にでも作ってみたかったんです」
なるほど、だから食事を断ったのか――――――
なんだかほんとうに……この彼女は言葉が足りないというか……不器用というか……。
伊崎自身も友人達から言葉が足らないといわれがちだけど、この彼女はさらに言葉が足りなくて、誤解されやすいタイプだ。
今までにあったことのないタイプだし、また、今までいたとしても気に留めなかったタイプではあるが……どうしてこう、気になるのだろう。
でも伊崎にしてはめずらしく、第一印象から
――――――惹かれたのだ……。
あのホテルのティーラウンジで。
多田さんが身なりをきにしなさいよと、注意するほど、服装やメイクを気にしないのにもかかわらず。
多田が思うところの、指摘したいところのだらしなさとか目立つわけではなくて、逆に清清しいまでのその姿勢が―――――印象的だった。
女性に対する表現としてはいささか不釣合いのようなきもするが、敢えていうならば。
「かっこいい」と思ったものだ。
外見的からむけられる女性らしさがないから余計に。
かといって男性的ながさつな雰囲気はない。
そしてあの日の朝……。
少しコースを変更したロードワークの朝。
ビルの明かりがついていたので、コーヒーをさし入れに行った時も。
PCに向ったままの後姿が―――――、まっすぐで綺麗で、近づきがたいぐらいに、静かで。
彼女の、自分以外の人物はそう易々と入り込ませない一つの世界の中にいるようで、声をかけるのに、躊躇った。
声をかけてみたい、話しをしてみたくなる。
実際、今日はすごく、いい機会に恵まれたにもかかわらず、会話はそんなに弾まなくて、彼女は黙々と云われたように資料整理をしてくれていた。
その様子を見ていて、やはり彼女は特別な世界の中にいて、伊崎の方に視線を、興味を、向けてはくれないようだと感じられる。
その彼女が、伊崎の資料の手伝いをしながら、ケースのインデックスを作ろうとか、言葉に出さないまでも、考えてくれいたことが、嬉しく思えてくる。
今まで伊崎が恋愛したきた女性達は、いずれも、もっとソツなく、洗練されていた。
自己主張も、はっきりしていたし、対人関係もたくさんの友人に囲まれていたように思う。
その彼女達と比較すると、なんて……要領が悪いのだろう。
「じゃあ、やはり早めに帰る? 車で送ろうか?」
「あ、いいえ。いいです。ちょっと立ち寄るところがあるので。あ、仕事じゃないです」
「誰かと約束?」
「いえ、全然、そうじゃなくて! ホント、プライベートですから。ただ買い物したかっただけで今ならまだ駅ビルも空いているんで」
「なんで、それを……」
どうしてそれをもっと早く云ってくれないのだろう。
ちゃんと、そう云ってくれれば、もっと早くに帰したのに。
伊崎の都合で勝手に振りまわしているみたいではないか。
伊崎の言葉に、佳純は、俯く。
「すみません」
別に叱りつけているわけではないのに……。
打ちしおれるような、俯き方に、こちらがかえっていわれのない罪悪感すら抱いてしまう。
「悪かったのは、俺のほうだから……献本を直に届けてくれただけでも、ありがたかったから……あやまらなくていい」
佳純はコクンと頷く。
「じゃあ、明日は断らないで、ちゃんとお礼をさせて欲しい」
「……でも……」
「吉井のことなら気にしなくていい。ああいうヤツなんだ。悪いやつじゃないよ」
「はい。わかります。すごく合理的な感じがする……私は――――要領が悪いから、多分、吉井さんみたいなタイプからみると、なんというか……じれったいような印象を持たれて仕方ないかもしれません」
要領が悪い……。少しは自覚しているのか……と伊崎は思う。
地下鉄の階段を降りて、彼女は切符を買う。
「それじゃ、送って頂いてありがとうございました」
彼女はぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして。気をつけて」
「はい」
彼女は切符を自動改札に通して、ホームの方へ歩いていく。
その後姿を、伊崎は見送る。
彼女が振り向いてくれるかもしれないと、淡く期待する。
伊崎の周囲にいる女性達は―――――今まで付き合ってきた彼女達は、誰もが、そういう仕草を見せてくれていた。
が、やはり、彼女は違う。
伊崎に振りかえることはない。
振り向いてくれない後姿が、伊崎に対して興味がないのだと、思い知らされるようで。
切なくなる。
ホームに滑り込んできた地下鉄に、彼女は慌てて乗りこむ。
ドアの近くにたって、彼女は顔を改札のほうにようやく向けてくれた。
はにかむように笑って、小さく手を振る。
その仕草は幼子のような雰囲気もあった。
伊崎はその地下鉄が走り出すまで、彼女を見送った。
もしも――――――彼女が反対側のホ‐ムを使っていたら。
もしも――――――今電車がホームに滑り込んでこなかったら。
彼女は伊崎の方に振り返ってくれたのだろうか?
やっぱり、振り向かないまま、家路につこうと、急いだのだろうか?
そこまで考えて、伊崎は改札から離れて、事務所へと引き還す。
――――――まだ会ったばかりの彼女なのに、どうしてこんなに惹かれるのだろう
ただ見送るだけなのに、離れがたく思うなんて……と、そんな自分が、おかしくて、苦笑した。