awkward lover2
「ありえないし……なにそれ」
多田沙織が、不機嫌を顕わにそう言い放つ。
「多田さんが悪いよ、こっちに全部、丸投げしてたんでしょ? パーテション向こうのソファで高いびき」
「佳純……」
多田の不機嫌よりもさらに低い
佳純の声に多田は怯む。
「2ヵ月連続ですよね。先月号の入稿もそうでした」
「なんで起こしてくれなかったのよう!」
「楽しい夢を見てる人に現実はいらない」
「そっちの方が夢じゃないのよ! どうして、どうして伊崎君が、ココに差し入れにくるの? あたしがココに勤めててそんなこと、1度も、1度もなかったわ――――!」
佳純は煩いとばかりにそっぽをむいて、片付けを始める。
多田沙織は、徹夜明けで職場からでていくバイトの彼女、清瀬佳純の後姿を見送って溜息をついた。
伊崎隆哉。
今では日本を代表する若手プロテニスプレイヤー。
彼が学生の時からその実力は注目されており、日本プロテニス界は現在、若手の黄金期に入っているといっても過言ではない。
国民的に注目するようなスポーツではなが、まあメジャーといえばメジャーなカテゴリーに分類されるだろうスポーツだ。
月刊プロアスリートは彼等がまだアマチュアの頃から取材を重ねてきている。
多田沙織なんかは、大学卒業早々の頃から、彼等の活躍を、先輩の加賀見と供に目の当たりにしており、今回校了になったインタビューも、女性誌のソレと比べると、専門的なことにスポットをあてたために、あの、口の重いといわれる伊崎から言葉を良く引っ張り出したと、多田自身満足していたし、デスクの加賀見の評価も悪くはなかった。
「せんぱーい……」
「なんだ」
昼休み、加賀見と一緒に職場近くの定食屋に入ると、多田は切り出した。
「入稿の朝、マジで伊崎君きたの?」
「……ああ」
「ふうん……」
「なんだ?」
「伊崎君、佳純のこと―――――」
加賀見の箸が止まる。
その様子を多田は見逃さない。
「……だと思います?」
「何がだ」
「だから、そういうこと」
加賀見は溜息をつく。
「そういう観察力はな」
「『仕事に回せ』でしょ? わかってますよ。でもね、この間のインタビューの時も、伊崎君、佳純にコーヒー奢る――――……ってさ」
「なんだ、初耳だゾ」
「訊きたいですかあ?」
多田はニヤニヤと笑い、テーブルの上の伝票をヒラヒラと、加賀見の鼻先にちらつかせる。
暗に、ココの払いをしてくれという仕草だ。
この後輩の、こういうところは今に始まったことではない。
加賀見は再び箸を動かし始める。
「話したくないならかまわん」
「いやあぁ、話したい、話したいの!」
「じゃあ、話せよ」
加賀見に、ここの食事代を奢らせるに失敗したが、ソレよりも過日の1件は、誰かに零したい気持ちが勝っていた。
「だから、今後の勉強にもなるかと思ってさ、インタビューの時、傍にいさせたんですよ、はいそれまでよで帰宅させるのもね……で、彼女、コーヒー好きだから、コーヒーを奢ってやろうって、まずあたしが云ったんだけど」
「ほう」
「そしたら、伊崎君が『オレが奢ります』って云ったのよ」
カツーンと加賀見の右手から箸が落っこちた。
多田はテーブルの中央に置いてある新しい割り箸に手を伸ばして、それを加賀見に渡す。
「マジ……?」
「マジ」
「……」
「それでね、あの子、なんて云ったと思います?」
「なんて云った?」
「『多田さんのフォローをしたから多田さんに払ってもらわないと、意味ないんです』とこうよ? 普通は云う?」
まあ、これが佳純じゃなくて、多田ならその場で小躍りして喜ぶだろう。
多田じゃなくても、「えー、いいんですかあ?」ぐらいはいうだろうし、断るにしてももっと愛想がいい断り方もあるだろう。
そこがなんというか……佳純らしいといえば佳純らしい。
「まあね、そこで、あたしも一番最初にオヤ? っと思ったのよ」
「伊崎君が、そう発言すること事態が珍しいしね」
「でしょ? で、あたし、伊崎君を食事に誘ったんです」
加賀見は目を見張る。
マジでそういうことをやったのかと、目の前の後輩に問うが、多田はケロっとしていた。
「もちろん断られたんですがね。伊崎君はね、こういったのよ。『またの機会に、佳純さんがバイクじゃない時にでも』って」
加賀見はまたポロっと箸を落とした。
多田は頬杖をついて、どうよと、加賀見を見る。
「一肌脱いでやったらどうだ? やり手婆」
「誰がやり手婆ですか! あたしだってまだ現役です!」
「誰が訊いてもそれ、伊崎君、佳純ちゃん狙いだろう、多田はアウト・オブ・眼中」
多田は椅子ごと壁際にあとずさる。
「引いた〜。古くさい言葉を使わないでよ、あたしまで老けちゃうわ」
「食事をOKしてもそれは佳純ちゃんがいることが、前提だろーが、話の内容訊くと」
多田は過日のことを冷静に分析できている。
インタビューもそうだが、ミーハーなフィルターはこういうときはかかっていない。
「一目ボレなのかなあ?」
「うーん……」
「だとしたら、ホントに伊崎君が
佳純を気に入ったとしたら……」
「したら?」
「伊崎君ってさーメンクイじゃないんだ……、本人があれだけ綺麗な人だからかもねえ」
「おまえ、佳純ちゃんに失礼じゃないか、その発言」
清瀬佳純はこれといって、人目を惹くような美人な顔立ちでもなし、スタイルもそんなグラマスでもないし、どちらかといえばスリムではあるが、色気は感じられないし。
普通だ、普通に若い女性らしさ清潔感はあるが……。
「うーんだって、すごい美人ってわけでも、セクシーフェロモン系でもないしねえ、彼女」
「うーん……まあ、磨けば光タイプではあるな」
「うわー、オッサン的発言」
「そういうところが、いいと思う人もいる」
「自分色に染めたいってヤツか……伊崎君がそういうタイプだとは思わないけれどなあ」
「そうか?」
「安斎君とかはそういうタイプだけどさ」
「安斎君ねえ、もったいないとは思ったけど、本人は納得して親の事業継いで今じゃ、推しも推されぬ若手青年実業家」
「似合ってますよ。確かにプロにもなれただろけど、今の彼は彼で」
「……」
「それよりも先輩、どうかなー? やっぱりあたし動いた方がイイかしら?」
「何が」
「だから伊崎君と佳純」
「佳純ちゃん、付き合ってる男いないのか?」
「いるわけないじゃん」
多田はキッパリと云いきった。
「じゃあ、動いてやれば?」
加賀見がいうと多田はまた、へなへなっと頬杖をつく。
「でもなあ……
佳純だからなあ……どっちにとっても難しそうよねえ」
加賀見はキョトンとしている。
多田は思うのだ。
仕事はできる。
今までのバイトの中でもあんなに使えるオンナノコはいない。
だけど、実生活においてはどうだろう?
年頃のオンナノコらしい華やかさはない。
着ている服やメイクも、そんなに流行を追ってるわけはないし、何か仕事以外に好きな趣味とかも多田に見せることはない。
友達と合コンなんですうとか、後輩ならいいそうな科白も、佳純から訊いたことは1度としてないし、もちろん。彼氏とデートだから早く帰りたいとの言葉も耳にしたことはない。
佳純は―――――このバイト以外に夢中になれるものがないのだ。
会話の端々でソレはわかる。
態度を見ていればわかる。
原稿の修正、レイアウトの修正、Macにひたすらむかって、ソレに集中する。
不眠症かと疑いたくなるぐらい「眠い」と零すことなく、入稿作業をやってのけ、コーヒーが傍にあればどんな無理な注文も、ひたすらに取り組んでいく。
今時の若い子にしては珍しく、仕事に真摯な情熱を持っているように見える。
だから……。
仕事以外のコミュニケーション。
人との会話、接し方が不器用なのかもしれないと、多田は思う。
多田に対して生意気な言葉も、実は本人が照れいていたり、甘えてみたかったりするが、それをストレートにできない天邪鬼なところからくるのだろうと、多田はそれを理解している。
だから一際彼女を可愛がっているし、仕事の面でも買っている。
勿論、多田がこう思っているとは
佳純も思いもしない。
そんな先輩の思いやりも、気がつかない。
彼女が。
若くて、仕事には頑ななほど真摯で、不器用な彼女が――――――……。
普通の男性と恋愛するのも、きっと一事業に違いない。
なのに相手が伊崎なのだ。
有名人との恋愛なんて、あの佳純にできるわけない。
「それにさあ、掴めないのよねえ、伊崎君もさあ」
「佳純ちゃんを動かさなきゃ、ダメだろ」
「はあ」
「伊崎君は、時間が取れないんだから」
「先輩」
「あ?」
「あたしは―――――
佳純が可愛いのよ」
仕事はできる彼女自身は、自分は、多田よりもしっかり者だと思ってる。
確かにそういう部分もあるだろうが、多田よりも対人関係は不器用だ。
そんな彼女が、恋愛できるのだろうか、それをけしかけていいのだろうか。
相手が普通の、多田も知らない男性で、
佳純から動くのなら、積極的に応援もしようとは思う。
しかし……。
「いきなり、高いハードルをつきつけるのって、なんかなあ……」
多分、佳純は多田のこういうところを知らない。
加賀見は溜息をつく。
「佳純ちゃんが彼に惚れる方が難しいだろ。伊崎君を応援するつもりでやれば?」
「そうか……じゃあ、応援ってより、伊崎君に、恩を売るつもりで頑張るかなあ」
そしたらもっと、インタビューとか対談とか受けてくれるかなあと、多田は零した。
なんだかんだミーハーではあるが、仕事につなげようとする姿勢は、昔の彼女からは考えられない、進歩ではあるなと加賀見は思った。
「あともうちょっと、あたしが若ければ立候補したのになあ」
「はいはい」
加賀見はテーブルの伝票を掴んで、勘定をすませた。