awkward lover1




本日の多田は気合が入ったメイクと、気合の入ったスーツを着て取材に出た。
それもこれも、本日の取材が、あの選手のインタビューだからだろう。
彼がJrで活躍していた時から取材をしていたので互いに知らない間柄じゃない。
Jrの頃から注目されていて、今じゃ押しも押されぬ日本を誇るプロテニスプレイヤーになった彼へのインタビューなのであるが……。
やはり勝負をかけるのか……10も年下だし、相手にならんだろうがと、加賀見は口にも出したが、彼女はソレを抜きにしても気合を入れたいとのことだ。
じゃあ、仕事もいい成果をあげてくれるだろうと、安心していたのだが……。



「先輩〜すみません〜ボイスレコーダー忘れました〜」



電話を受けたのは加賀見である。
月刊プロアスリートに長年在籍。
この春デスクにもなった加賀見は、一向に進歩のない多田の言動に頭を抱える。
ライティングは速いものの段取りの悪さが相変わらずだと、深い溜息をつく。
保留ボタンをおして、編集部内をぐるっとみまわす。
だいたいの社員は取材等で出払っている。
いるのは経理・庶務系の女子社員と――――あとは最近入ったばかりのバイトのオンナノコだ。

「えーと……清瀬さん」

バイトの子に話しかける。

「はい」
「ちょっと頼まれてくれないかな?」

見るからに帰宅準備OKという彼女は、小脇にヘルメットを持っている。

「バイク?」

社員・アルバイトのバイク通勤はあまりいい顔をできないが、このときばかりは地獄に仏と思わずにはいられなかった。
電車よりも多分速いかもしれない。
資料と原稿に埋まった多田のデスクから、ボイスレコーダーを探して彼女に渡す。

「Pホテルのティーラウンジにいるから、渡してくれる?」
「……コレ、多田さん……?」

バイトの子も自分が多田の尻拭いをするのか、と、思っているかもしれないなと、加賀見は多田に代わって申し訳ない気持ちになる。
加賀見は首を縦に振る。
彼女はドアを出ていく。
そしてドアの外で盛大な溜息をついた。
夕方の都心。
スクーターで縦横無尽に張り巡らされた道路の隙間を縫うように走っていく。
街を照らす街灯と傾く夕日。それを追いかけるような濃紺の夜空のコントラスト。

――――――すごく、久しぶり……。

滅多にこんな時刻に外に出ることはない。
信号でバイクを止めるたびに、彼女、清瀬佳純は、ヘルメット越しから、空と街の色彩に目を奪われる。





加賀見に云われた通り、なるだけ急いで、ホテルのティーラウンジに向うと、ラウンジの入り口にいつもより弱冠メイク濃い目、スーツの丈もキテいる多田沙織を見つける。
多田は彼女を見つけると、目と口を0の形にして驚いた。
「アナタ……ちょ、ちょ、佳純ちゃん……」
グイっと佳純のデニムジャケットの裾を引っ張る。
「ど、どうしてそのカッコ!」
「バイト帰りだから」
「いや。そうだけど!」
多田は息を呑む。
「もうちょっと身なりに気を配りなさいよ」

多田はそういう。
彼女はヘルメットを片手にこう切り返す。

「もうちょっと、段取りよく仕事しましょうよ、多田さん」

ズバリと切り返されて、多田は沈黙する。
彼女の手にはボイスレコーダー。
からかうように彼女はニヤリと笑みを浮かべた。
彼女からボイスレコーダーをひったくるように受け取ると、多田は閥の悪い笑顔でごまかそうとする。

「悪い悪い、ありがとうね、佳純ちゃん」
「じゃあ、コレで」
「あ、えーと、ついでだから見ていけば?」
「?」
「だってゆくゆくはライティングもしたいんでしょ?」
「はあ」
多田は 佳純の耳に小さくナイショ話のように耳打ちする。

「コレって滅多にないんだよ、伊崎君なんだよ、伊崎君のインタビューなの!」

日本のテニス界が最近活気づいているのは、彼や――宮城などのスター性の強い選手が、輩出されてきいるから……ということは、スポーツに関心のない佳純にもわかっている。
佳純はすぐ傍に座っている伊崎を見た。
伊崎は、佳純と多田のボイスレコーダーのやりとりを一部始終見ていたらしく、苦笑している。
インタビュアー泣かせなんだよなと、いつだったか、今回の取材が決まった時に、デスクの加賀見が呟いていたのを 佳純は思い出した。



―――――10代の頃から知ってるけれどね、昔から、表情が硬いんだよ、彼。
―――――カメラマン泣かせでもあるよなあ。
―――――カッコイイんだから、もう少し笑ってくれてもいいと思うんだがなあ。


多田は「ごめんねえ、伊崎君」と伊崎に向ってそういう。
仕事の方はともかく、多田のこのキャラクターをインタビュアーとしてぶつけるのは効果あるのかも……そこが加賀見の考えなのかもしれないなと、佳純は思う。
スポーツ選手にあまり関心のない佳純も、なるほど、ヴィジュアルは確かにカッコイイ。
多田だけじゃなく、世の女性が騒ぐはずだと思う。

「はあ」
「じゃ、そこに座って、見学してていいわよ、どうせ、暇なんでしょ?」
確かに、久々に校了してから二日で、ゆっくりとした時間はとれている。
だから家に帰ってやることはあるのだ。『どうせ、暇なんでしょ』とはなんて言葉。
だが、実際今後の参考にはなる……。
ちょっとムカっとしたが、一流ホテルのティールムでコーヒーを堪能するのは悪くない。

「コーヒー頼んでいいですか?」
「いいわよ」
「多田んさんの奢りで、一番高いヤツ。経費じゃ落ちないでしょ? 伊崎選手が飲むならまだしも」
「は?」
「バイクで届けにきたんですから、借りはすぐに返しておいた方がいいですよ」
「く……」

生意気な口調―――――。
だけど多田は、この佳純を憎めないのだ。
まるで妹をもったような気持ちになる。



「俺が奢ろうか?」



伊崎が口を開いた。
まさか彼がそんなことを言い出すなんて、思いもしなかった多田は驚く。

「伊崎君?」

佳純は伊崎を見る。
眼鏡をかけて、スーツは着た彼は、モデルのようで、アスリートの印象はなかった。

「多田さんのフォローをしたから多田さんに払ってもらわないと、意味ないんです――――それに、多田さん、段取り良く仕事しましょうね、ちゃっちゃと終わらせて伊崎選手の予定もあるでしょ? それにインタヴュー推して疲れてたら、いくら素材とカメラマンの腕がよくても、ダメでしょ」
「多田さんやられっぱなしですね」

伊崎は多田にそういう。
多田は佳純を傍に座らせて、高くてもイイからコーヒー飲んで傍で見学してなさいという。
先日行われた大会の結果を中心に、多田はインタビューを始めた。
佳純は横で、その様子を見ていた。
同じティーラウンジの奥の方で、若い女性たちが、伊崎に注目している。
サイン欲しいよねという囁きだって聞こえてくる。
―――――……確かに……これは女性ファンがつくなあ……。

佳純の前に煎れたてのコーヒーがおかれる。
香りの高さに、佳純は嬉しくなった。
思いもかけず目の保養に、上質なコーヒーの組み合わせ。
とても贅沢な気分になる。
いつも仕事でへまをしている多田も、インタヴューは結構まともにできるんだなと思ったりして、 佳純はその様子を大人しく見ていた。





「じゃあ、本日は有難うございました」
「いいえ」
「雑誌出来あがったら送りますので」
「はい」
伊崎が椅子から立ちあがる。
やはり長身なんだなと 佳純は思う。
佳純はそれを潮にいう。
「じゃあ、多田さん、参考になりました」
「あれー佳純、帰っちゃうのー?」
「帰りますよ」
「ご飯食べないのー? 伊崎君、一緒に夕食どお?」
佳純は多田の発言にビックリする。

―――――この伊崎選手を食事に誘うのか?
        しかも食事の費用は経費で落とすのか? 
       バブルじゃあるまいし! てことは自前の自腹? 
       実家暮らしの強みなのか?
       その為の勝負スーツ着用なのか?



などなど頭の中でいろいろと考えをめぐらす。


―――――それで伊崎選手は、この誘いを受けるの?



それはすごく興味ある……。
だけど家に帰っていい加減ゆっくりしたい。
佳純は伊崎と多田を交互に見る。

「とにかく佳純、一緒に行かない?」
「……やですよ、多田さん、多田さんの場合は、食べるより飲むなんだんだから。それにそうなったら私がバイクで送るんですか? 50CCの2ケツなんてパクられちゃいますよ」
「飲まないからー」
「コーヒー御馳走様でした。帰りますよ」

そう佳純がいうと、伊崎もいう。

「俺も帰ります」
「えー!」

多田は残念そうな声をあげる。

――――まあ、そうだよね、普通は当然そう断るよね……うん。

内心で何度も頭を縦に振りながら、彼女はヘルメットを抱える。
「残念だわあ。せっかく伊崎君とご飯食べられると思ったのにい」
多田の声を背に、佳純は溜息をついて、ラウンジからエントランスへと歩き出す。

「じゃあ、またの機会に」

意外な伊崎の言葉に、佳純の歩く速度が緩まっていく。
「え、いいの? 本当よ? 絶対よ!?」
多田が嬉々とした笑顔を見せているのが、想像でも丸わかりだが、想像もつかない言葉を佳純は訊いた。


―――――伊崎選手って、多田さんがタイプなの?


無関係を決め込みたかったが、この発言はインパクト大だった。
だからふいに足を止めて、多田と伊崎の方を振り返った。
佳純が振り返ると、伊崎は 佳純を見ていた。



「佳純さんが、バイクじゃない時にでも」



伊崎がそう云う。
デスクの加賀見が、「表情が硬い」と零していた彼だが、心なしか穏やかな笑顔を佳純に向けている。
その表情は一瞬、綺麗で……、ああ、こういうところも―――――云いそうにないことを、時折云うこういうギャップが、彼の魅力の一つなのかもしれないのだろうと佳純は思った。
視線のあった伊崎に、佳純は無言の会釈を返して、エントランスへと歩きはじめた。
ただの気まぐれの社交辞令にすぎないとわかっていても、彼が云うだけで僅かばかり心が弾む。
それを悟られないように、佳純の歩く速度は早足になっていた。