HAPPY END は 二度 訪れる 26
珠貴が本社の前で車から降りると、社屋の横に真っ赤なポルシェが横付けされていた。
エントランスを突き抜けてエレベーターに乗り込む。
役員室前には黒山のひとだかりだった。
珠貴の姿を見た吉野は、役員室のデスクに腰を乗せて、珠貴を見据えた。
「おや、お帰り珠貴、フェアは成功した?」
まるで自分がこの会社の主であるかのような上から目線のモノ言いだ。
「だいたい若いキミには無理なんだよ、おじい様の会社をキミに任すなんてそんな上手い話し、そうそう転がっているわけないだろう? キミはあの外人におだてられていいように使われているだけなんだ。もしキミにそんな才能があったら、おじい様がいきていた時、キミに会社を任せたはずだろ?」
いけしゃあしゃあと何を云うのよと、沙穂子が口の中で呟く。
珠貴は社員を護るように、役員室に乗り込んで、デスク前にいる吉野を見つめていた。
その瞳には人形のようになんの感情も移されていなかった。
「あなたは、アルフォンスに云われてるわよね、ここに手をだすなと」
「珠貴、目を覚まして」
気持ち悪い猫撫で声で、名前を呼ばれたが、珠貴の視線はドライアイスのように冷やかだった。
「覚めてるわ、あなたがなじったアルフォンスは、あなたよりも何倍も男として魅力的だし、ビジネスマンとして最高だわ。あなたが傾けたこの『シゲクラ』を買い取る潤沢した資産も持ってる。おかげさまで、あなたと婚約していた自分が馬鹿で愚かだったってことを認識できたもの」
珠貴は両腕を組んで吉野を睨み上げる。
いつも珠貴を下に見てきた吉野は、その珠貴の態度に怯む。
それまでは口答えすらしなくて、重倉祥造にひきとられて、いつまでも会社令嬢という立場になれない、卑屈で、自信のない少女ではなかった。
「橋田さん」
「な、なによ」
不意に名前を呼ばれて、橋田はたじろぐ。
「この男とアルフォンス。同時に食事に誘われたら、どっちといく?」
「オーナー」
一も二もなく即答する彼女に珠貴は頷く。
「もちろん現オーナーのアルフォンスよね?」
橋田以外の女子社員達は独身だろうと既婚者だろうと首を縦に振っている。
「なら、俺は今よりもいい給料を社員に約束しよう」
「ふざけんな!」
「その金どっから出すんだよ!」
男性社員の怒号が飛び交う。
「ここにいるみんなは、貴方を知っている。いつだって『自分が良ければ』の人だもの、あなた、シゲクラのポリシーには沿わないはずよ」
「それに、珠貴ちゃんの実績を無視して会社から追い出した!
この会社を手に入れる為に、婚約話まで持ちかけてな!」
「自分の欲しいものが手に入ったら、切り捨てるやりかたはもう見てきてるんだよ!」
珠貴は頷く。
「出て行って、これ以上ここに居座るのは、許さないわ」
凛とした珠貴の言葉が響く。
「ハッ、お前みたいな小娘に何ができる」
本性が出たなと、珠貴は思う。
珠貴はいつだってこうして、自分を追い詰めようとした男から戦いたかった。
しかしそんな力はなった。
母が亡くなった時も、祖父がなくなった時も。
だが、手は差し伸べられてきた。
母が亡くなっときは、祖父から。
そして祖父がなくなってからはアルフォンスが。
でも、ずっと望んでいたのは、自分の力で自分の大事なモノを護ること。
今はその力がある。
カツンと、ハイヒールの踵を鳴らして、吉野の背にある窓ガラスに、歩み寄り、社屋の下の道路を見つめる。
「沙穂子さん、警察に電話」
「はいっ!」
「警察が来たってなにもできないぞ!
ほんとに世間知らずだなっ!」
嘲るような吉野の発言に、珠貴は吉野を見据える。
成り行きを見守っていた社員達は、珠貴のその眼の光にかつての重倉祥造を見た。
先代を知らない女子社員達……アルフォンスに気のある女子で、いつも彼の傍にいる珠貴をライバル視していた彼女達も、珠貴のそういう表情に、おそれおののく。橋田はかつて云い負かされていたのだが、改めて、この彼女は敵に回すと恐ろしいのかもしれないと再認識していた。
「うちの社の前に不審な車が放置されてるので、レッカーするように連絡してください」
珠貴は困ってるから警察に連絡を……なんてそんな安易な発想からの発言ではなかった。合法的な警察の介入を臭わせたのだ。しかも本当にレッカーがきたら吉野の足を奪う。
吉野は思わぬところからの珠貴の攻撃に、顔色を失った。
その一言に、男性社員は拳を振り上げる。
「いいぞ!」
「あの真っ赤なポルシェがレッカーされるところ見てみてぇっ!!」
「俺、見張ってきますよ! 逃げられないように」
男性社員が階下に降りようとするよりも早く、吉野はエレベーターへ向かって走り出す。
「お、覚えてろよっ!」
お約束の捨て台詞を吐いて、吉野は役員室から、慌てて出て行った。
エレベータに乗り込んで、慌ててポルシェのエンジンをかけてものすごい勢いで走り去るのを珠貴をはじめ、社員達は嬉々として見送った。
ハイタッチや歓声で役員室はいっぱいになった。
「え?」
「だーかーらー、重倉さんが追っ払ったんですって」
「カッコ良かったよなー」
例の一件から一時間後にようやく東京に戻れたアルフォンスと相馬は、残っていた社員から話を訊き出して顔を見合わせる。
「イベント参加していたスタッフも、見たかったって地団駄踏んでましたよ」
はーと相馬はがっくりと肩を落とす。
アルフォンスはホテルの方へ連絡を入れるが、珠貴はまだ帰っていないとフロントは云う。
「オーナー?」
アルフォンスは手で会話を止めて、珠貴に連絡を入れる。
「珠貴?」
「アルフォンス?」
「今どこにいる?」
「え? これ。国際電話じゃないのよね、アルフォンス、日本に戻ってきてるの?」
「ああ。今どこにいる?」
「ちょっとマンションにノートパソコンとデータを残してきたから、取りにいく途中、新製品のプランニングとか、デザインとかも入ったままだったから」
「吉野が来たって?」
「すごい情報伝達の早さ……そうです。だから、逆に一度、マンションにも戻って、残ってる仕事のデータを移動しようと」
「わかった」
電話を切ると、アルフォンスは相馬にお疲れと言い残して、エントランスを出て、すぐにタクシーをもう一度捕まえて、乗りこんだ。
吉野をやりこめた。
みんなの前で、みんなを護りたいと、ずっと彼女が願ってたこと。
祖父の力も、アルフォンスの力も借りないで、独りで……。
誰の庇護も協力もなく、独りでもちゃんと自立できることを、ずっと望んでいたのだ。
アルフォンスが護ってやりたいと思っても、珠貴が望まない限りは手は出してはいけなかった。
いつも彼女は弱くて何も持たないと周囲が思わせてしまったけれど。
本当はずっと、独りでこうしたかったのだ。
だから。
彼女に逢って抱きしめたいと思った。
乗りこんだタクシーを急かしたくなる。
早く逢いたい。
キミは素晴らしい女性だと、誰よりも愛してると、今すぐにでも珠貴に伝えたいと、アルフォンスは思った。