HAPPY END は 二度 訪れる 24
電話が鳴る。
その軽い電子音で、意識が徐々に覚めていく。
目を見開いて、見慣れた自分の部屋じゃないと瞬時に認識すると、昨夜の出来事が頭の中に鮮明に思い出された。
ずっと傍にいてくれたはずの彼はいなくて、広いベッドの上に一人だった。
電話のベルはずっと鳴っている。
珠貴は上半身を起こして、電話をとろうとするが、上掛けの寝具がスルっと肩から落ちて、自分が一糸纏わぬ姿だったのに驚愕した。
電話だから相手には見えないと、心の中で自分に言い聞かせてて、受話器をとる。
「おはようございます、カートライト様。7時のモーニングコールです」
カートライトというその名前にドキリとする。
「……はい、ありがとうございます」
寝起きだったために日本語で対応してしまい、怪しまれないかなと受話器を戻した時に思ったが、もう済んでしまったことだ。
電話の横に小さなメモが置いてある。
視線を落とすと
Good morning. I go to work. I will returns by weekend.
(おはよう、仕事にいってくるよ。週末には戻る)
そう走り書きされていた。
とりあえず、シャワーを浴びて身支度しなければと、浴室へ向かう。
鏡に映った自分の上半身にギョっとした。
白い肌に、点々とキスマークが残っている。
それを見て、昨晩のことがまた思い出されて珠貴は自分の頭を抱えて、バスルームに入り、シャワーのコックを捻った。
昨夜の記憶が少しでもシャワーと一緒に流そうと思う。
シャワーのお湯と一緒に鮮血が混ざっていたので、また驚くが、これは月経だとわかると、一瞬ほっとした。
アルフォンスと最初に過ごした夜に、避妊をしなかったことがあったからだ。
もし、こんな状況でで、妊娠なんてしたら……。アルフォンスの責任感が増して、じゃあやっぱり結婚しようと云いだすだろう。
アルフォンスの最初の夜のベッドでのプロポーズは、心配だかっら、責任感から……そんな気持ちがかなりの割合で占めらていたような気がするし、そんな気持ちから結婚しても、破綻すると珠貴は思う。
それに、病気の奥さんがいても、世界中を飛び回るようなアルフォンスを、縛り付けるようで嫌だった。
生理用品は園田さんは用意してくれたのかと考えて、バスルームから出て、自分の荷物を確認するとそれも用意されていたので、思いっ切りハーと溜息をつく。
とにかく、この場に彼がいなくてよかったと安堵すると共に、どこか彼がいなくて寂しいと感じている自分に気が付いた。
「おはようございます」
珠貴のオフィスのドアを開けて、沙穂子が入ってくる。
誰よりも早く出社する珠貴にならって、沙穂子も早めに出社している。
「おはようございます」
挨拶を返して、珠貴はパソコンのモニタに視線を向けながら、社内メールをチェックする。
週末、湾岸にあるイベントホールで行われる家具フェアの出展の打ち合わせ、それに合わせて業界誌の取材。
新作の制作進行についてや今、アルフォンスが行ったアジアへの新工場の準備等、問題は山積している。
沙穂子が珠貴にコーヒーを淹れて、デスクの上に差し出した。
「ありがとう」
当面の問題、後日でもいい内容の連絡をチェックしていると、沙穂子の視線に気がついて、珠貴は沙穂子を見上げる。
「何?」
「珠貴ちゃん……すごい集中力だけど……」
「はい」
「髪は下ろした方がいいわ。今日は」
「は?」
沙穂子は珠貴の頸動脈の部分を指差す。
「ついてますから」
最初、沙穂子が何を云っているのかわからなくて、きょとんとしてるが、沙穂子が自分の首をチョンチョンと指差す。珠貴も自分で自分の首を指で触れて、沙穂子が何を云わんとしているのかわかった。
珠貴はあわててバッと掌で首筋を隠し、クリップで止めていた髪を下ろした。普段、年の割にはクールで大人びている珠貴が、そう云う反応をすると、沙穂子は可愛いっと思ったらしい。
「さっすが欧米人は違うねー激しいねー」
「なっ……」
「珠貴ちゃんをお持ち帰りするのに有無を言わせないし」
「お持ち帰りって……」
「お持ち帰りでしょ」
「緊急措置です」
そう云いながら、顔を真っ赤に赤面させてキーボード操作している珠貴を見て、沙穂子はニマニマする。
「もう、ニヤニヤ笑ってないで仕事してください!」
「はいはい」
「ああ? 『シゲクラ』の役員だあ?」
「はあ、断ってたんですが、名前が先代と同じ『シゲクラ』ですしー親方に相談してからと思って待たせてるんですが」
珠貴と営業の迫田が訪れたのは、先代とは取引があった下請けの工場だった。腕はいいが、吉野は切ったのだ。
ここで再度業務提携を求めて足を運んだ。
カンナの作業の手を止めて、応接室にいくと、まだ若い女子社員と、中年のサラリーマンが座ってる。
珠貴は応接室に入ってきた社長を見ると、珠貴は、立ち上がり一礼する。
「そんな綺麗なベベ着て、こんな下請け会社にくるとは酔狂だな」
社長は迫田を真っ直ぐ見て、そう云った。
どうやら珠貴をアシスタントと思いこんだらしい。
「じゃあ、社長にはここへ訪ねても大丈夫なベベを買ってもらわなきゃいけませんね」
珠貴は発言する。
社長は迫田から視線を珠貴に移す。
「シゲクラの役員を務めてます重倉珠貴です」
「……は?」
誰がどう見ても、迫田の方が役員だと思うだろう。そんな表情を見て、珠貴は笑顔を向ける。
「ああ、あんたが、今度のオーナーか。以前なんだほれ、同じ孫で吉野とかいったボンボンが、ウチとの取引をなしにって云ってきたが、あんたは何?」
「ご一緒にお仕事をさせていただこうと思いまして、シゲクラで新たなシリーズを出すには、以前ご一緒にお仕事をさせていただいた小野さんに是非お力を貸して頂ければと」
「……」
迫田は横に立って、ボー然と珠貴を見つめる。
営業の課長からハウスメーカーとのやりとりを訊いているものの、実際見るのとは違う。
先代が打ちだしていたデザインの復刻、その制作の仕事を依頼する旨を、簡潔に伝える。
「なんでウチなんだ」
「祖父のデザインを納得のいく形に商品化できるのは御社以外には思い当たらないので」
「古くせえからいらねえってのが、前のボンボンの意見だったんだがな」
「わたしの意見とは異なります」
「……」
「本当なら、週末に湾岸のイベントホールで行われる家具フェアに間に合わせたかったのですが。でも、シゲクラの復活に小野さんのご協力を仰ぐなら半年後のもっと大きなイベントでの発表がふさわしいかと」
「口の達者なお嬢ちゃんだな」
「祖父譲りなんですよ」
「……」
「ご検討ください。週末の家具フェア用の資料を置いておきます」
迫田に資料を出すように命じる。
丁寧ながら、有無を言わせない口調に驚く。
迫田が知っている重倉珠貴は、バイトにきていた地味で大人しく、総務の手伝いや商管の雑用をもくもくと真面目にこなし、自分から先代の孫だと云わなければ誰も気がつかないような、自己主張のない少女の面影はなかった。
堂々として、年配の相手を向こうに、一歩も怯まない。
年齢こそ若いけれど、彼女はすでに自分の上司なのだ。
そしてそれは、このシゲクラを買い取ったアルフォンスの影響なんだろうなと思うのだった。