HAPPY END は 二度 訪れる 15




「珠貴、本日7時より、ホテルプレシャスでミソノハウスさん主宰のパーティーがあるわ」
沙穂子に云われて、珠貴はパソコンから目を離す。
「……7時」
「出席するようにとCEOが」
室内の時計に目を走らせる。
10分後には、新製品の企画会議がある。
みんなやる気になっているし、今度の新製品はシリーズとして発売予定だ。
7時に指定の場所にいくには30分しか出席できない。
「珠貴……働き過ぎじゃない?」
「足りないぐらいです。この『シゲクラ』を立て成すために、命をかけるって云ったでしょ?」
「でも……カートライト氏も心配してたわ」
「アルフォンスが? オーナーは人のこと云えない」
アルフォンス……最近、珠貴に対して特に余所余所しいのだ。
事業経営のノウハウを教えてもらう時以外は、珠貴から話しかけると、びっくりしたような困惑してるような表情をよくする。
自分が何かしたのだろうかと、珠貴は思うが、そこは問いただすところじゃないと、本能的に思うのだ。
だから、最近珠貴からも距離をとり始めている。
なのに、ふと気付くと、アルフォンスの視線とぶつかったりする。
「そーよねえ、貴方達二人、ここにきてから、休みなしじゃない」
「休んだわ。一年半もね」
アルフォンスは休まずに、仕事を続けてる。
珠貴と出逢う前からもう、ずっと……。
「パーティーは気晴らしじゃない? 終わったら、二人でどこか食事でもしたら? どうせドリンクとつまみだけなんだから……」
「うーん……無理かも。あんまり、プライベートに踏み込んじゃいけないと思うしね」
「……営業の橋田なんかは、踏み込みたいみたいだけどね」
営業の花といわれる若手の女子社員の名前を沙穂子はあげる。
橋田真由子が、アルフォンスに熱をあげているのは、社内で知らない者はいない。
彼女は吉野が珠貴を切り捨てた以降に入社した女性社員だ。
この不景気に若い女性が此処へ就職できたのは、多分彼女が、吉野の好みのタイプだったからかもしれないと思っている。
「橋田さんから尋ねられたことはあるけどね。携帯番号知ってるなら教えろって」
珠貴はさらっと云う。
「何! そんなこと訊いたの? アイツ! 吉野にだって色目使っていたんだよ!」
「ふうん。そうなんだ」
珠貴は、沙穂子の前では時折、敬語とタメ口が入り混じった言葉遣いになる。彼女に気を許している証拠なので、沙穂子はそれが嬉しかったりする。
「ちょ、な、なんで『ふうん。そうなんだ』なのよ!」
「なんで沙穂子さんがいきり立つの」
「なんで、珠貴ちゃんはそんなに冷静なのっ?」
「橋田さんが『シゲクラ』の役員に粉をかけるのは、多分その男性の恋人ないしは妻の座に収まりたいだけでしょ? それをツテに『シゲクラ』を手中に収めたいとかなら、わたしは当然、黙っていないけど」
珠貴は椅子の背もたれに背を預けて伸びをする。
珠貴の言葉に、沙穂子は語気を弱める。
「……そりゃーそうだけど」
恋愛は自由だし、そうしたければ、そうすればいい。
アルフォンスが橋田さんに口説かれても別にかまわない。
そういう場面に立ち合ったら、多少は……いや、かなりモヤっとするが、だからといっても、どうすることもできない。
それはそれで仕方ないと珠貴は納得している。
多分、奥さんがいる時だって、アルフォンスにモーションをかけた女性はいただろうし、今はフリーだと云えばなおさら寄ってくる女性は多いはずだ。
それにいちいち動揺してはいけない。
別にアルフォンスとは、恋愛関係じゃないのだから。
アルフォンスの周りに女性がいても、それはそれ。
恋愛に現をぬかして、仕事をほったらかしにするような男が、この潰れかけた会社を短期間に立て直していけるはずがない。
アルフォンスがこの会社を買い取ってから、株価も安定してきてる。
会社に関する数字の評価が、何よりも珠貴には優先されるべきことだ。
そう何度も自分自身に言い聞かせてきたおかげで、あの時のキスを思い出しても一人で照れたり動揺したりをすることもなくなっていた。
それに……。
「最近、アルフォンスに避けられてるしね」
「……そうなの?」
「多分」
男の全部が全部、吉野と同じとは云わないけれど。
やはり気になる異性でも出来たのかもしれないと珠貴は思う。
気まぐれにしたキスで、珠貴が自分に本気にでもなったりしたら、まずと思い始めたのだろう。
「えー。彼は珠貴のこと、気にかけてると思うんだけどなー」
「でも、多分、それは恋じゃないでしょ。不出来な弟子を見守る師匠みたいな感じ?」
優秀な選手を育てたい専属コーチみたいだとは、沙穂子は思っている。
珠貴は、先代の隠し子の孫にあたる。隔世遺伝なところでもあるのか、ビジネスにおいては吉野よりも、経営者の資質があるように思う。
アルフォンスがそこだけに惹かれているのかといわれれば、女性特有の勘で、それは違うだろうということも。
心配で気を遣う。
それだけじゃない好意を感じる。
「珠貴ちゃんは? でも、本当のところどうなの?」
「……」
「誰にも云わないから」
「まあ、その、最初は、もうむかつくことばっかりだったけど……」
「……」
「好きかな……」
そう云った珠貴の顔が、真っ赤になると沙穂子は驚いて見つめる。
冷静沈着で、今『シゲクラ』の為に取引先相手と丁々発止のやりとりをする若手会社役員の顔ではなく、普通の20代女性の一面だった。
嬉しそうに「やっぱりー」と沙穂子は手を合わせて声を上げる。多分ニヤニヤしているだろう沙穂子の顔は見ないでもわかる。
独りで盛り上がってる沙穂子を横に、珠貴は照れくささを押し隠すように、溜息をつく。
両方の指先で額を抑えて、目を伏せる。
「なんでそんなにテンション高いの?」
「えーテンションあがるわよー! いいじゃない〜。珠貴ちゃんにもようやく春がきたのかと思うと嬉しくて〜」
「そんなことにうつつを抜かして、『シゲクラ』をつぶす気はないから! わたしは一度、この会社をつぶしてるし」
「つぶしたのは吉野よ」
「だから吉野に全部を丸投げしたのは、わたしよ。責任がある。そんな甘っちょろい恋愛感情で左右されちゃいけないのよ、今は」
「今は?……じゃあいつかはあるってこと?……」
「上げ足とらないで。今後も絶対にないっ!」
「それはわからないじゃないの」
「……勘弁してくださいよ。もう。なるべく考えないようにしたいの!」
「あーお姉さんぶって珠貴ちゃんの恋バナを訊きたいのにな」
「はいはい、今度ゆっくり訊きますよ。沙穂子さんの恋バナを。そう云う話をを振ってくるってことは、なんか話したいんですよね……と」
「うん?」
そこまで話していて、前から思っていことを珠貴は口にする。
「もし、沙穂子さんが彼氏と結婚したいっていっても、しばらくは辞めないでほしいな、この会社の産休とか育児休暇のシステムをもっとよくするから。おじいさまは、結婚したら女性は家にいて夫を支えてほしいってタイプだったのかもしれない、ウチの会社、そこんとこは古いと思う。結婚しても女性が働きやすい環境にしたいな」
「賛成」
「でしょ? オーナーのところに顔を出してくる。この件も相談しないとね」
「はい。行ってらっしゃい」
珠貴は自分の部屋を出て、アルフォンスのいる室内へと移動した。