HAPPY END は 二度 訪れる 12
「痛いところはございませんかー?」
「……ありません」
まったくなんでこんなところで、こんなことをと、珠貴は思う。
ギュウギュウと背中の角質をとられて、ラップシートにくるまれた。
アルフォンスは、珠貴を会員制のエステサロンにつれていき、文字通り、その外見に磨きをかけさせた。
ここに行きつく前に、新製品のアイデアを数種類、アルフォンスに提示した。
いくつかは、彼の関心を惹きつけたようだ。
続いて、吉野が代えた会社業者の洗い直しするために、関連会社についての契約の見直しが必要と思われるリストを出したところで、車は、このエステサロンの入っているビルの地下駐車場に到着した。
「……お待たせしました」
施術をした担当者は経営者の人で1時間のコースが済むと、珠貴と一緒にロビーで待っているアルフォンスに近づく。
「いきなりで悪かったね」
アルフォンスは目を通していたクリアファイルを閉じる。
「いいえ、ちょうど開いておりましたので、またのおこしをおまちしております」
受付嬢もポーとした表情でアルフォンスを見つめていた。
「うん、次は髪だね」
「3Fにヘアサロンもございます。ご案内しますわ」
「頼むよ」
アルフォンスと珠貴は、サロンの担当者の案内されるまま歩き出す。
珠貴はアルフォンスを見上げる。
「いくつか製品にしてみたい企画はあった」
「ほんと?」
「その中でもこれがいい」
パラパラとクリアファイルをめくる。
「あと、もう一つの案も……賛成だ」
「新製品じゃなくても、宣伝力次第で、ユーザーにファニチャー『シゲクラ』の認知度を深めてもらいたいんです」
「いいものは、何年たってもいい」
「ただ、制作サイドで問題があって……」
「職人が必要だからね」
「はい……でも、交渉します」
「うん」
朝、マンションに迎えに行った時、珠貴は待ってましたとばかりに、アルフォンスにクリアファイルを突き付けた。
移動する車の中では、新製品や、今後の会社運営について、先日調べた気になる帳票のことについて、珠貴はアルフォンスに質問をしていく。
その様子はまるで、先生に質問をする生徒のようだ。
マンションに迎えに行った時から、こうだった。
昨日のキスで、珠貴がまた自分に対して、警戒心を抱きはしないかと不安だった。
だが、彼女が思い悩み二人の会話がぎくしゃくする……なんてことにはならないことがわかって安堵した。
しかし……ほっとすると同時にどこかで残念がっている自分もいて、アルフォンスは軽く動揺した。
これから先、珠貴とふたりで『シゲクラ』を立て直していかなければならない。余計な感情を抱いてはいけない。
わかっているけれど……。
傍に並んで歩く彼女の存在は、アルフォンスの庇護欲を掻き立てる。
ヘアサロンにはいると、担当のスタイリストが、珠貴の髪をカラーリングしようかといってきた。
その言葉を訊いて、アルフォンスはNOと力強くはねのける。
英語で、髪を染めるなと力強く言い放つと、その迫力に、担当しようとしたスタイリストが、少し怖気づいたようだ。
その様子を見て、フロントにやってきたのは、チーフクラスの男性だった。
アルフォンスと珠貴をとりなすように、前に進み出る。
「髪を染めるといったんだよ? 信じられる?」
アルフォンスは珠貴の黒髪を気に入ってるようだ。
とりなす為に出てきたスタイリストも、頷く。
「まー最近はヘアサロンでカラーリングはしていますけれど、お嬢さんの髪はカラーリングにするにはもったいないぐらいの髪よね、艶もあるし、軽くカットしましょか?」
男性なのに、声はやや高めで口調も女性的だった。
「それでいいかしら?」
祖父がなくなってから、前髪は自分でカットしていたけれど、美容室に足を向けたことなかった珠貴はただ頷くだけだ。
「じゃ、シャンプーお願いね」
チーフクラスの人がシャンプーを他の従業員に任せる。
素早いけれど丁寧なシャンプーを終えて、カットをするために椅子をすすめられる。
珠貴はすわる前に椅子をじっと見る。レザーの光沢が高級感がある。
座った時の弾力を確認する。
――――この椅子いいかも。というか……。
こうして自分を、いろいろな店舗へひっぱりまわしていてた真意は別にあるんじゃないかと珠貴は思い始めた。
鏡に映る自分とスタイリストを見つめる。
「さて、どうしましょ?」
「あの……毛先をそろえるぐらいで」
「そうね、サイドにシャギーを入れてカットすると幾分軽く見えるわ」
「お、お願いします」
チーフスタイリストはうんうんと頷く。
「確かに、もったいないわねえ、これは染めちゃダメよ。最近はみんな染めたがるけれど」
シャンプーしたタオルをほどいて、ブラシを入れる。
「営業的にもカラーリングは勧めたいですよね、利益が違う」
「まあね。あのガイジンさんは彼氏?」
「ま、まさか」
「あら、違うの?」
「違います」
「んーじゃあ片想いかなー」
珠貴はギクリとする。
自分にそんな気持ちはないと昨日散々自分に言い聞かせていたのに。
そんなに態度に出ていたのだろうかと思う。
「彼は、多分、あなたのことが好きよー。気づいてない?」
スタイリストが云うのは、珠貴がアルフォンスに片想いではなくて、アルフォンスが珠貴に片想いってことを言いたいらしい。
「ま、まさか」
「やだ、鈍感〜」
「ど、鈍感?」
「時々、いるのよねえ、あたしそんな気は全然ないのに〜。とか云う女。まったく。女ってだけで得なのにさー」
「……仕事では不利ですよ。女っていうだけで……今でも」
「あら、ごめん。もっと複雑なのね。てっきりデートかと思っちゃったわ」
「お仕事のウチなんです」
それに、あの人、奥さんいるし。と、心の中で呟く。
でも、口に出したら「げ、不倫?」とか云われそうなので、珠貴は曖昧な笑顔でごまかした。
「アルフォンス、さっきのお店の椅子、すごく良かった! レザーの光沢とか、クッション性とか!」
ヘアサロンから出ると珠貴が目をキラキラさせながら、アルフォンスに云う。
自分のヘアスタイルよりも、店舗にあった家具の意見を告げるところで、車を走らせた梶本は、内心、「お嬢様、そこは違うかと」と首を横に振る。
「いいよね、ああいうの。でも高級志向かな」
「でもいいものを長く使いたいっていうのは、先代『シゲクラ』のポリシーだろ?」
「やっぱり少しは単価上げなきゃだめ?」
「だめ」
「そう……だよね……」
その日は珠貴の決意どおり、どんなにブティックにひっぱりまわされても、店内のインテリアに視線を移して、これから先の『シゲクラ』の製品について、あれこれ考えることに集中できた。
そして、移動中に、見覚えのある道にさしかかると、珠貴はふと、梶本に声をかけた。
「梶本さん、この道だと……近いですよね」
「はい。お寄りになられますか?」
「……うん。門の前だけでもいいから」
「かしこまりました」
珠貴と梶本の会話のやりとりに、アルフォンスは、首をかしげる?
「何? 珠貴」
「あの……少し、寄り道したいの……いい?」
「いいよ」
珠貴が自分から進んで意思表示をしてきたのは珍しい。
もちろん、拒むことはしない。
梶本が車を止めたのは、洋館の前だった。
しかし外壁と門扉の向こうに見え隠れしているので、建物の全体を見ることはかなわないが特徴的な左右非対称な外観に、八角形の塔棟の一部が見える。
典型的なクイーンアン様式の洋館だ。
「……まだ、借りてはつかないご様子で……」
梶本の言葉に珠貴は頷く。
「ちょっと見てきていい?」
「はい」
珠貴は車から降りると、アルフォンスも珠貴に付き添う。
「何?」
珠貴は門扉に手をかける。
「……前に住んでいた家です」
――――おじいさまがわたしを迎え入れてくれた家……。