HAPPY END は 二度 訪れる 11
「おやすみ、珠貴」
アルフォンスはマンションのドア前まで送ってくれた。
明日10時に行くよとそう云われて、本当に? と尋ねると彼は本当にと、オウム返しに答えて、そして、珠貴の顔を両手でつつんだ。
アルフォンスの綺麗な顔が間近でその手は暖かいと思った瞬間、唇に柔らかい感触が当たる。
これって挨拶のキスだよね? と珠貴は思った。
だから一瞬で、離れるかなと思ったのに、そうじゃなくて、珠貴の唇の感触を楽しむように、そっと触れ続ける。
下唇を舌先で舐められて、ドキリとするが、力を入れて抵抗しようとする気はおきなかった。
どこか安心感すら感じられて、驚きで見開いていた瞳を閉じる。
そーっと唇を開かせて、もっと深くを求められているのがわかる。
「ん……」
呼吸が苦しくなってきて、酸素が欲しいと思った。
アルフォンスの力がそんなに入ってないことがわかると、どうしようと考える。
珠貴がアルフォンスから離れようとすると、彼は唇を離した。
「また明日ね。鍵を閉めて、よく休んで」
指の背で、珠貴の頬を撫でてそう云った。
珠貴は何度も頷いて、ドアを閉める。
ロックしたら、珠貴はその場で力なく座り込んでしまった。
唇に残る温度が、まだ少し暖かいと感じていた……。
ロックした音を確認すると、アルフォンスは薄暗い廊下を歩いて、エレベーターに乗り込み、梶本の待つ車へ戻った。
シートに背を預けると、溜息をつく……。
「お嬢様が何か?」
「……いいや」
バックミラーに映る自分の顔を見て、「この大馬鹿者」と罵りたくなった。
あのままあと二秒、珠貴が離れようとしなければ、理性が吹っ飛ぶところだった。
彼女を抱き締めて、もっと深くキスをしたい。
そうしたら、多分もうそれだけではすまない。
キス以上のこともしそうになっただろう。
あのスーツを剥いで、彼女の首筋に唇をあてて、ブラウスのボタンを外すのもまどろっこしいと思い引きちぎって……そして……。
腕に閉じ込めたら、細くてもどこか柔らかで、しっかりと自分によりそってくれそうな彼女の身体を思い出す。
もう一度、指を額にあて深々と溜息をつく。
あの黒い瞳が警戒心を解いた時の光は、ものすごくアルフォンスを惹きつける。
――――だからって、あのキスはないだろう。
自分で自分を叱りつける。
あのキスは、感情が本能が、理性を駆逐した一瞬だった。
――――リナとタイプが似てるからって、彼女はリナじゃない。
「梶本、ホテルへ急いでくれる?」
急いでホテルに帰って、シャワーを浴びたいと、彼は思った。
『シゲクラ』を立て直したら、日本を離れなければならない。
帰国して、また別の仕事を始める。
いつもの毎日に戻るんだ……。
いつものこと……。
彼女とはこの仕事が終わったら、それまでだ。
わかってる。
でも、こんなにもの寂しさを感じるのはなぜだろう……。
翌日。
珠貴は、うーんと鏡の前で自分の姿を見て唸る。
別に、服を買いに行くぐらいで、どんな服を着ようが関係ないとは思うものの、多分アルフォンスは一流どころを選んでくる。
昨日はまだスーツだから良かった。
オフィス帰りに一流店に立ち寄ってしまったフレッシャーズ。
しかし。
今日は完全に私服だ。
ジーンズにトレーナーといういつものいで立ちではまずいだろう。
昨日のように着せ替え人形よろしく状態になる可能性は高い。
着脱しやすいコットンのワンピースに同素材のボレロを合わせる。
「……しょぼい……」
けれど、首を横に振る。
「デートじゃないんだし、これでいいの。いいの。多分、いいの」
鏡の前で自分に言い聞かせる。
昨日買ったスーツを見て、はーと溜息をつく。
確かにいつかは着て見たいデザインだし、ブランドかもしれない。
でもそれは、いつかであって今すぐではない。
自分はそれに見合う魅力がないのは十分に理解していた。
あわてて髪をブラッシングしてバレッタで止める。
顔に薄くファンデーションを塗り、唇にグロスを塗ろうとした瞬間、動きが止まる。
昨日のキスを、鮮明に思い出してしまった。
――――あれは、挨拶、ほら、アルフォンスはアメリカ人だし。
――――でも、普通は頬とか額だよね。
――――いやいや、ああいうのもあるかもしれないし。
――――他の外人だったらどうするのよ。全力で拒否したでしょ多分。
洗面台の上でグググと握り拳をつくる。
――――困るよ、ああいうのは。しかも、初めてだったし。
15まで男女交際はしたことなかったし、15以降、おじいさまのところにきてから、傍にいたのは吉野だった。
吉野はあくまで最初、兄的な対応だった。
それは多分、珠貴が生活に慣れるまで、そういう距離感をもって接して、気をゆるしたところへ話をむける。
そういう段階を踏もうとしてうまく画策していた……キスもセックスも吉野は珠貴にアプローチはしてこなかった。
逆にそれが吉野を信じてしまう一つの要素にはなったのだ……。
なのに。
アルフォンスはいきなりきて、珠貴を巻き込んで、ひっぱりまわした。
以前の珠貴なら、警戒心丸出し距離をとっていたのに、それをぐっと縮めてしまった。
――――しかも、困るのは、全然いやじゃなかったこと。
彼には亡くなったといえ、奥さんがいるんだし。
きっと大事にされていたんだろうし。
――――教えてもらうのは、ビジネスだけなんだから。
それ以上のものは、何も必要ないんだと、珠貴は自分に言い聞かせる。
少しサイズの大きなトートバッグに、昨夜準備したクリアファイルを入れる。昨日、アルフォンスに云われた新製品のアイデア、その他、経営に関しての質問等をまとめプリントアウトしたものだ。
――――今日はアルフォンスのペースには、嵌らない。『シゲクラ』に必要なことをたくさん知っておかないと。
今日は質問攻めで、やるべきことをやろう。
振り回されてばっかりじゃないでしょ。
おじいさまの会社を守るのが、一番の優先事項。
いつか……。
アルフォンスが、アメリカへ帰ってしまっても、独りで『シゲクラ』を守れるようにならないといけないんだから……。