HAPPY END は 二度 訪れる 7
アルフォンスは、何枚かの書類を指で捲りながらため息をつく。
――――苦労してきたんだな……。
重倉珠貴の調査報告書を目を通していた。
『シゲクラ』の再生のために創業者の孫娘に接触する前に、あらかじめ下調べを依頼していたのが、当の本人と会った直後に届いたのだ。
父親を早い時期になくして、母親と二人暮らし。
父親が連帯保証人になったばかりに、貸し金融からの催促。
アルフォンスと実際に距離を置いて話そうとするのは、そういった大人の男性による恐怖と嫌悪が無意識下で染み付いてるのかもしれない。
そこへ吉野和也が現れて、近すぎず離れすぎすで甘い言葉を吐いて警戒心を解いて夢中にさせた。
――――なんてひどいヤツだ。
とはいうものの、自分だって、残った社員はこれからどうなるんだと脅しつけて気の進まない彼女を『シゲクラ』に引き戻したのだから、吉野のことは責めきれないような気もする。
祖父との思い出を胸に細々と暮らしていくことは、彼女にとって、望みだったのだろう。
バラの花束を渡した時に見せた反抗的な視線は、感情を押し隠す黒い瞳。
なのに、挑戦的と思える輝きが宿っていて、思わず魅入ってしまうほどだった。
リナが亡くなってから、アルフォンスの傍にいたがる女性達は何人もいたけれど、目が離せないほど強烈な印象を与えたのは珠貴以外には思い当らなかった。
――――わたしを……おじいさまのように……。
あの言葉が出てくるとは思わなかった。
だけど彼女は多分ずっと想っていたのだ。
母を亡くして、祖父を亡くしてから、自分がよりどころにする強さを手に入れたいと願ってきた。
彼女をビジネスの世界で独り立ちさせることに、力を注ごうと思った。
それ以外の感情を抱かないように、自分自身に納得させようと、アルフォンスはフォトスタンドの中にいる今は亡き妻の写真に目を移した。
翌朝、運転手が、マンションの前に車をつけようとすると、歩道にはリクルートスーツを着た珠貴が立っていた。
腕には昨日彼女が持っていたバラの花が抱えられている。
運転手は、マンションの前に車を止めると、車から出てくる。
その運転手の顔を見て、珠貴は驚く。
「か、梶本さん!」
「お嬢様――――珠貴様。お久しぶりでございます」
両手を口元に合わせて、懐かしさに涙が浮かびそうになる。
祖父が以前住み込みで雇い入れていた運転手の梶本だった。
吉野の家に勤め先を移したはずなのに……。
「ど――――どうして……?」
「カートライト様が、わたくしを雇い入れてくださいまして」
珠貴は車の後部座席に座っているだろうアルフォンスを見ようとしたが、ガラス越しでよく見えない。
「珠貴様、お元気そうで何よりです」
梶本は、かつて祖父にそうであったように、礼儀正しく、珠貴に接する。
築30年数年経て、傾きかけ隙間風のひどい木造アパートから、祖父の家に身を寄せた時、運転手を抱えているような暮らしをする祖父の存在にまず驚いた。
梶本もそうだが、園田との初対面の時もそうだった。
このご時世にはあまり耳慣れない時代錯誤的ともいえる使用人めいた口調に、珠貴は純粋に驚きもしたし、まだそういう人もいるのかと感動したことを覚えている。
梶本が珠貴の高校の迎えをしてくれることもあった。
祖父が雇い入れていた家の従業員は……みんないきなり環境が変わった物慣れない珠貴に親切で優しかった。
祖父の薫陶がよかったのだろう。
そして、以前同様、心得たように、後部座席のドアを開け珠貴の腕にあるバラの花を助手席に移して、自らも運手席に戻った。
後部座席にはアルフォンスが座っていた。
「おはよう、珠貴」
「おはようございます、ミスター……」
アルフォンスが幾分眉間に皺を寄せると、珠貴は躊躇いながら云う。
「アルフォンス」
ブレーキを外して、車はスムーズに走りだした。
アルフォンスは珠貴に尋ねる。
「そのバラ、どうするの?」
「オフィスに飾ろうかと思います。わたしの住まいには、これに合う花器はないので」
「オフィスが明るくなるね」
「はい」
「家において、自分の部屋が明るくなるとは思わなかった?」
アルフォンスの言葉に、珠貴は小首を傾げて微笑む。
「いいんです。これから『シゲクラ』にいる時間の方が、きっと長いはずですから」
強張った表情ではなく、幾分打ち解けたその笑顔に、アルフォンスは思わず見とれてしまった。
「でもアルフォンス、梶本さんと契約って……」
「うん。吉野は手広くやりすぎたようだ。いろいろと資産を整理し始めてる」
その手始めが、自宅で抱える家政婦や運転手、庭の造園業者、ハウスクリ―ニング会社との契約変更だという。
梶本もその例に漏れない。
数か月前からハイヤーの会社へと転職していたと、梶本は躊躇いがちに珠貴に報告した。
「わたしに……梶本さんを雇えるだけの収益があればよかったんだけど」
「大丈夫です。珠貴様、これからはカートライト様が日本にいる限りは、昔のように、御一緒させていただきます。あのまま吉野に雇われることを思ったら、もっと早くハイヤーの会社の方に転職しておけばよかったぐらいで」
――――みんな、わたしに優しくしてくれたのに……。わたしは、みんなを守れなかった……。アルフォンスの云うとおりだ。吉野のが取りあげたようなものだけど、考えようによっては、私自身が、総てを吉野に任せてしまったんだもの……。
アルフォンスは、珠貴を見る。
スーツはフレッシャーズスーツといわれるものだ。
白いシャツに黒のツーピース。黒のパンプス。
就職セミナーでよく見かける類のものだ。
年齢的には似合うが、公式なビジネスの場に立たせようとしたら、その服は改めてもらう必要があるなと、アルフォンスは思った。
梶本はかつて何年も、先代を送り届けたように、スムーズに都内の道路を走り、『シゲクラ』の本社オフィスの前にたどり着いた。
「夕方ぐらいには終わる」
「かしこまりました」
二人が車から出ると、委細承知したように、一礼する。
シャッター前のキーボックスにキーを差し込んでほんの少しだけシャッターをあける。
そこを二人で潜り抜ける。
「土曜日にキミをこの本社に連れてきたのは、いろいろと、整理したいことがあるからなんだ」
誰もいない社屋に、アルフォンスの言葉が響く。
珠貴はエントランスと受付のカウンターを見て、懐かしさを覚える。
エレベーターで最上階の一室に入り、目を細めた。
「……」
「どうした、珠貴」
「いいえ」
「……」
――――あいつの、部屋になってる!
おじいさまが大事にしていたもの、インテリアは自社製品で固めてあったのに!!
珠貴が、感情を表さないようにしているのが、アルフォンスにはなんとなくわかる。
「気になるな、云ってみて」
「インテリアを主商品とする会社が、自社製品をインテリアとして利用しない……一つも置かないオーナー室って、海外ではありますか?」
――――……さすが、『シゲクラ』の孫娘。
内心アルフォンスは拍手喝采を珠貴に向けていた。
そして拍手の代わりに、にっこりと彼女に微笑んだ。