Fruit of 3years10




目が覚めたとき、奏司の視線と合う。
奏司は肘をたてて、静の寝顔を見ていたのだ
慌てて静は瞼を指先でこする。
「奏司……眼鏡とって……?」
左手の指に違和感があって、寝ぼけた意識はその違和感の原因を見てさあっと引いていく。
左の薬指に指輪がある。
ブリリアンカットのダイヤモンドリング。
たて爪のプレーンなデザインのそれを見て、すぐに言葉が出てこなかった。
「ほんと、オレもベタだねー、プロポーズの後にえっちして指輪を贈るなんてね」

照れくさそうに、奏司は云う。
「けど。このパターンの方が静は信じやすいだろ? 女子が夢見るシチュエーションの方が」
「これどこで……」
「海外NYレコのお土産だよ? 」
「由樹さんが言ってた……『奏司からの、お土産もらった?』って……」
「サイズ合うかどうかわからなかったんだけど、あの人がね、静の指のサイズはこれぐらいだろって……なんていうの? あれ。リングサイズを測るヤツ持ってそう云ってさ。人の彼女のリングサイズなんでわかんだよって話だよね」
奏司はプラチナの輪を左手の指でなぞる。
「受け取ってください」
「……うん」
「……とっちゃ駄目だよ」
「あ、でも、コレだと仕事で邪魔に……」
「ならない!」
きっぱりと言い切られる。
いや、なるだろうと静は呟く。
「カラットいくつなの、ちょっと気持ち大きめじゃない?」
「いーの、あっ。外すなって云ってるそばからっ!」
静はスルっと指輪を外して、裏にある文字を見る。ブランド名と一緒に、s to sの文字が刻まれていた。
指輪を取り上げて、もう一度、左の薬指に指輪をはめる。
「静はオレと結婚するんでしょ?」
そしてはめたリングを指でなぞる。
「……うん」
静がそう呟くと、奏司は嬉しそうに笑う。
「じゃ、お仕事中もずっとしててね」
コレをして仕事に出たら、まず真っ先にナオが質問攻めにしてくる。千帆たちもきっと何か云うだろう。
そこまではいい。
問題は上司だ。
「上司になんていうか」
「結婚しますでしょ?」
「納得するかな」
「オレが説得しようか?」
「……いや、奏司はいいよ」
ムッとして、静に詰め寄る。
今の発言は明らかに自分を子供扱いしているように感じられたのだろう。
「一応職場恋愛の上結婚みたいじゃん? オレが上司に報告してもよくない?」
そんな表情を見て、ああプライドが刺激されたなと静は察した。
別にそういう意味じゃないのだ。
それにあの人物だからな……。
自分はもう何を云われてもいいけれど……奏司が嫌な思いするのは避けたい。
だからついそんな風に云ってしまった。
「部署が違うでしょ。ただ……」
「うん?」
「すぐにってわけにはいかないけど……」
「え――――!?」
静は身支度をしながら、寝室のドア出て、キッチンへいく。
奏司もその後を追う。
「コーヒーメーカーもまだ買ってないんだ」
ケトルに水を入れて、お湯を沸かす。
「コーヒーはインスタント……」
「でもちゃんとドリップだわ」
「静が好きだから……」
「うん」
「大物家具はもう適当に業者の人に任せちゃったんだけど、一緒に、家具とか見に行きたかった……小さな雑貨はまだ何も揃えてないんだ」
「そういう使えそうな荷物は、送るよ、うちにあるのでよければ」
「……」
「使い古しはやだ?」
「い、いやじゃないっ! 静のところに下宿した時にも使ったことがあるから、なんか逆に愛着湧くよ」
沸いたお湯をドリップに落とし、カップ二つ分のコーヒーを淹れた。
「あのさ、いっそきちんと引越してきて。荷物をちょっとずつ送るなんてことよりも、いっそ全部すませようよ」
「……」
「あ、それとも、あの、結婚前に、その実家に帰った方がいいとか?」
奏司の言葉に、それまで少し和らいでいた静の表情が、いつものビジネス仕様になっているのに気がついた。
「静?」
「実家は……いいのよ、別に連絡とらなくても」
かなり温度の低い静の声に、奏司はちょっと驚く。
――――そういえば……静は実家のことを、家族のことを、オレに話したことない……。

静からマグを受け取って、コーヒーを飲む。

――――あのマンションは親戚の持ち家で、海外赴任を切欠に、でかい家具を居抜きでそのまま借りているとしか……。
実家という単語で少し変化を見せた静は、自分でもそのことに気づいたのか、奏司を見上げる。
「ごめん、仕事、行かないと」
「うん」
「連絡するから……」
奏司はチュっと静の唇に自分の唇を一瞬だけ重ねてすぐに放す。
「うん。待ってる」
 
出勤すると、まず女子社員がうるさかった。
もちろん静の薬指に光る指輪が話題だった。
だが、静に話しかけることではなく、遠巻きながら、騒いでるという状態だ。
普通こういう状況ならば、本人を囲んでの会話になりそうだが、静の場合は、話しかけてきた相手に仕事の話を切り出すのでその個人的な話題到達するまでちょっと時間を要するのだ。
真相を知りたい女子社員達は、どこから攻略しようが躊躇っていると、すぐに『ぶるうべりー』の移動になるため、静はオフィスを後にする。
が。
「……」
「……」
井原と千帆は静に逢って、おはようございますの言葉が出てこない。
圭介と修はかろうじて「おはようございます」と声をかけたのだが……。
「は、話はそんなところまでいってたなんて……」
がくっとナオはうなだれる。
千帆は単純にうっとりと指輪を見て呟く。
「エンゲージリングだあ……きれい……」
「千帆、高遠さんがその指輪をしている意味、わかってるのか?」
修が夢心地でうっとりと見惚れてる千帆に釘を刺すように云う。
「何が?」
「エンゲージリングってのは婚約指輪、婚約って何?」
「結婚する約束だよ、ね、あたしのこと、アホだと思ってる?」
「思ってるよ、婚約っていうのは結婚する約束。結婚するってことはどうなるんだ?」
「……お嫁さんになるの」
「そう、お嫁さんになるわけだ」
「仕事は? 仕事はどーすんですか!?」
ナオは静の左手をがしっと掴んで、そのダイヤを食い入るように見つめながらそう云う。
「とりあえず、今日はPVのスタジオ撮影でしょ」
静の言葉を訊いていないメンバーとアシスタントマネージャーに静ははあっと溜息をつく。
「今日の仕事じゃないですよ! 今後ですよ!」

指輪に気をとられて肝心のことを突っ込まない女子に代わって、多分このメンバーで一番しっかりしている修が尋ねる。
静はみんなの顔を見つめる。
そして、多分みんな誰もが言わないだろうなと思っていた返事を静はした。
 
「仕事は辞める」