Fruit of 3years9




「何あのガキ」
「何が?」
「静を『可愛い』云いやがったんだよ! 十年早い! てか云うな!」
タクシーから降りて、奏司は憤りを言葉にした。
静を引っ張って、タクシーに乗り込んでからは、ムスっとして沈黙していたのだが、降りると開口一番にそう言い放つ。
さっきの居酒屋で、『ぶるうべりー』の修がそう云ったことをさしているのだ。
確かに奏司の方がデビューは先だし、業界では先輩にあたるけれど、同年代ではある。
「静も静だよ」
「何が?」
「こっちは静のことを信じてんのに、静はそんなことないんだよね、昔の男とホテルで逢うし、新人には可愛い言われて照れてるし?」
「……」
「何?」
「やきもち?」
「あったりまえだっつの!」
バンとエレベーターのボタンを押して、ドアを開け箱の中に乗り込むと、静を抱きすくめる。
「おまけに、後輩マネージャーがオレに粉かけてきても知らん振りしてるし!」
そう云われて、このエレベーターが途中で停まって、誰かが乗り合わせてきたらどうするんだろうと心配をする。
だけど、抱きすくめらると、奏司の熱と香りに包まれて、何もかも彼に委ねたいなと思えてしまう。
「オレが目の前で言い寄られてて、全然、不安にならないの?」
「……そんなことでいちいち、やきもちを焼いていたら、神野奏司のマネージャーは務まらない」
不安ならいつも不安だった。
この彼を、恋人にしたいと思う若い女性が日本にどれだけいるだろう。
彼が売り出すCDの枚数分、楽曲のダウンロード数、ライブチケットを買って、会場に脚を運ぶ若い女性達がどれほどいるだろう。
静は数字にすると、気が遠くなりそうになる。それを三年も見てきたのだ。
「売れなきゃよかった」
「……私はキミが売れてよかったわ、時間は無駄じゃなかった」
「仕事が評価されたから?」
「それもあるけど……」
「けど?」
「キミの歌が認められるのが、単純に嬉しかったの」
「仕事で好きなのか、個人的に好きになってくれてるのかすごく不安なんだって……何?」
静がクスクスと笑っているので、奏司は静の顔を覗きこむ。
静は両手で奏司の頬を包み込む。
静の笑顔を見つめて、奏司は静の額に自分の額をこつんと合わせる。
「好きよ」
「……」
「愛してる」
「ずりーな、そうされると、オレが何にも云えなくなるの、知っててやってるでしょ?」
「そうなの?」
「そうだよ」
無理やりで、強引な身体の関係をしようとしてた自分が、あまりにも子供じゃないかと呟く。
「不安にさせた?」
「とっても」
そう答える奏司を見つめた。
いつだってこんなにも素直に、自分の気持ちをぶつけてくれる彼が、すごく愛しくて、自然と静も自分の想ってた気持ちを打ち明けることができた。
「私も不安だった……。聞き分けよくなって、仕事の時は助手席じゃなく後部座席に座ったことも、マネージャーが代わる時もごねなかったことも、三ヶ月も連絡なかったことも。もう、奏司の中で私は必要ないのなかって想ってた」
「裏目にでたな」
「何が?」
「背伸びしてたんだよ、静に大人だって認めてもらいたかったんだ。だから、我慢したんだよ、助手席に座らなかったのも、マネージャーが代わる時も、オレがごねればよかった? 三ヶ月うざいほどメールや電話すれば、静は不安にならかった?」
「多分」
「でも、オレのこと、子供扱いしたよね?」
「それは……」
ちょこんと奏司の唇が静の唇に当たる。
「子供扱いでもいいや」
小さなキスの後、照れくさそうに静は奏司の胸に顔を埋める。
背中に腕を回してギュっとだきしめると、奏司もその分静を抱きしめる腕の強さに力を加える。
「大人ぶってたらさ、歌恋さんに怒られた」
「いつ?」
「えーと先々週の、海外レコから帰ってきた日、静に連絡とった後すぐに」
「あのTV収録の日?」
「うん、『別れるなら別れるって本人に向かって云いやがれ、なんも云わずフェードアウトしたら、コロス』とか云われた」
「……」
「静は、云われない限り、わからないからって」
「そうね。別れるときは、きちんと云ってもらわないと」
「いや、ごめん、オレ別れないし」
ポンと音がして、ドアが開く。
内廊下は無機質な静けさで、静のヒールの音が廊下に響く。
「静のヒールの音、好き」
「うん?」
「一定のリズムで歩くから、よく響く」
奏司はそういいながら、部屋の鍵をあけた。
「静、ベッドルームとバスルームしか見てないだろ」
「半分はキミのせいでしょ」
廊下を歩いて突き当たりのドアを開ける。
広々としたLDK。
静はリビングの一角に視線が釘付けになった。
黒いグランドピアノが鎮座していた。
そしてリビングのガラス窓の向こうに東京湾が一望できる。
「ここで仕事したり、あと、ベッドルームの窓もそうなんだけど……」
「窓?」
「静の住んでるマンションと同じぐらい夜景、綺麗だろ?」
「うん」
「ここで仕事したり、眠る時もあっち側にね」
奏司は指差す。
「静のマンションがあるかなって。朝は『おはよう』夜は『おやすみ』って、一人で呟いてたりね。ちょっと距離があるから、マンション郡のどれかにあたるんだろうけど」
その言葉を聴いて静は、目頭が熱くなる。
自分は、想われてる。
ここにいる彼に。
いつだって、奏司の言葉は純粋で素直で、嘘はなかった。
同じよと、静は言葉に出せなかった。
奏司がこのマンションを買ったと訊いて、静はいつも、窓越しに向かって奏司のに『おはよう』『おやすみ』を心の中で声をかけていた。
まったく同じことをしてて、彼はそれを照れながらも素直に静に伝えてくれる。
「……」
「本当は静のマンションの部屋に空きがあったらそっち買おうかと想ってたんだけど。大人ぶりたくて、こっちにしちゃった」
空港からのアクセスがいいのもあるけどねと、奏司が云う。
「静」
「うん?」
「一緒に暮らそう?」
「……」
「だめ?」
「いきなり云われても……」
「いきなりじゃないだろ、もうずっと、一緒になりたくて、我慢してたんだってば」
静を抱きしめてその唇に、キスを落とす。
柔らかな感触と熱、舌が口内を侵食し、それと一緒に意識まで遠ざけられそうになる。
「前からずっと云ってたけどさ」
静の耳元に唇を寄せて、耳朶を軽く食む。
「……待って、云わない、それは駄目」
「オレと」
「云わないの、そういう言葉は」
「どうして?」
「だって」
「だって?」
「信じちゃうから」
小さい声で静が云うと、奏司は静の額にキスをする。
「信じてください。嘘じゃないから、ずっと好きだし愛してる」

――――だから結婚してください