Fruit of 3years1




Y-mgレーベルはJPOPの有名アーティストを複数抱える大手レコード会社。
高遠静はこの会社と提携していプロダクションに所属する社員だ。
フレームレスの眼鏡。
ダークなスーツ、インナーは白いシャツ。
それがまるで彼女の制服のようだと周囲から言われている。
ヒールは3センチ〜5センチまでの黒、もしくは茶。
肩にかかる髪をUPして、その姿はまるでアーティストのマネージャーというよりも、大手企業重役の秘書のイメージに近い。
彼女は三年前に一人の新人ボーカリスト神野奏司のマネージャーとなった。
 
神野奏司。
デビューして三年。
彼はいまや押しも押されぬ日本で指折りのシンガーソングライターに成長した。
売り上げるCD数やネット配信状況も新曲が出ると申し分なく上位にランキングされる。
彼、神野奏司は当時、19歳。現在22歳。
デビューした当時は、まだ大学生、現在は無事卒業し、音楽活動に専念している。
二束の草鞋の人物を担当するのは、さすがに初めてだったが、なんとか彼の希望通りに学業と音楽活動を両立させることができて、ほっと一息ついたところだった、この春……静は会社の方から異動言い渡されたのだった。

「お疲れ様でーす」
TV局の収録スタジオの裏側でそんな声が行きかう。
ここ数年、ますます、ゴールデンタイムで放映される歌番組が少なくなってきている。
その仲でも長寿番組に、静の担当している新人グループが出演する。
その様子を見ながら、次のスケジュールの確認とっていると、背後からギュウっと抱きしめられた。
静を抱きしめたのは男の腕ではなく、女性の腕だった。
オリエンタル系のフレグランスが静の鼻腔をくすぐる。
「歌恋?」
静がこの業界に入って一番最初にマネージメントを担当した「クルス・マリア」のボーカリストで友人の歌恋だった。
「おひさ〜、あれ、ねえ、静、ちょっと痩せた? 羨ましい!!」
「そ、そう?」
「やっぱあ、アレ? アイツと切れたから? 仕事人間なんだからープライベートで甘えなさいよ」
歌恋がいう「アイツ」とは、当然、神野奏司のことだ。
奏司本人がこの場にいたら、どう答えるだろう。「切れてない」と声を荒げて反論するだろうか?
三年前なら、そのリアクションをしただろうが、ここ最近の奏司の態度から、その発言はなさそうだと、静は感じる。
そもそも、そんな会話をする時間もない。
恋人同士なんだから、電話もメールもすればいいのだが、いままで公私共にいたので、そんなに互いに電話やメールを送りあう習慣はなくて、プライベートの恋人としてだけのメールの文面を考えてみただけで、照れくさくなり、何度も消去を繰り返して、当たり障りのないビジネス仕様の、「新しいマネージャーを困らせてないか」とか、「体調を崩さないように」とか、そんな文面しか思い浮かばず、文面を読めば読むほど、当たり障りのなさが白けてしまって送ることしかできなくて、そして、当然ながら仕事以外で話をするきっかけもつかめずにいて、電話しづらくて、なし崩しに、連絡が不通の状態だった。
彼と初めて出逢った時。
奏司は初対面から、静に一目惚れしたといい、口説きに口説いた。
静も、最初は相手にしなかった。
商品に手を出すなんて、業界最大のタブー。
いや、アプローチしてきたのは奏司からだから、商品に手を出されたというべきかもしれないが……。
しかし、彼に惹かれていく自分もわかっていたから自制していたのに……。
そんな、静の自制を凌ぐ、奏司の情熱に押されて受け入れて、恋人同士になったのだ。
そんな状態が現在まで続いて、身体の関係はあるものの、あの当時のような強引なアプローチは最近はない。
というか、この春、人事異動で奏司のマネージャーを降りたとき、彼は素直に「わかった」と頷いただけだった。
あまりにも、あっさりとした対応だったので、マネージャーとしては、ほっとしたのもあるが、どこか物寂しい気もした。
ビジネスもプライベートも一緒だった彼から、ビジネスを離れて、プライベートだけになると、圧倒的にプライベートの時間が取れないのが現実で……。
彼とは会えない時間が増えていた。
彼は才能も魅力ある22歳の若い男性だ。
もう、一時の気の迷いから醒めた。
出逢った時のような情熱が失せたのかもしれないと、最近の状態からなんとなく静はそう思っていた。
だから歌恋のいう「切れた」発言は仕事だけではなくプライベートでも多分、自分達は「切れている」と思っていいのだろう。
「一人暮らし、始めたんだって? アイツ」
「らしいわね」
「らしいわねって……、何? 静がマネ降りたとたんに、あそこのマンション購入したの?」
「そう」
「一人暮らし、したかったのかな?」
「前からそうはいってたけど、あまりいい顔しなかったのよね」
「あんたが?」
「私だけでなく回りがね」
奏司は、静がマネージャーを辞めると同時に、マンションを購入した。
一人暮らしをしたいと、新しく配属されたマネージャーに相談して、東京西部湾岸エリアの高層マンションを購入した。
奏司に両親はいない。
13年前に交通事故で亡くなっており、親戚の家に引取られていた。
デビュー当時、静は彼の保護者の方に会ったこともある。
子供がない40代前半の夫婦だった。
9歳の奏司を自分たちの子供同様として育ててきた叔父夫婦だ。
奏司が一人暮らしすることに、彼らは何も言わなかったのだろうか?
まあ反対はしないだろう、彼の自主性を重んじるタイプの保護者達ではあったから。
自分がマネージャーだったら、一人暮らしを反対すると思ったのだろうか?
デビュー当時は、彼のあのルックスに惹かれる若い女性が、押しかけるなんてことが、いかにもありそうで、反対しただろう。
売り出し始めが肝心だから。
予想を上回る数字で彼は売れた。
彼を見出した石渡プロデューサーの、思惑通りに。
そしてもう、大人の保護を受ける子供でもない。
そう、静との関係をフェードアウトするなら、自分のプライベートをしっかり確保するのも大事だろう。
「彼も、いい加減大人扱いされたいでしょ、せっかく私から離れたのに」
「……ねえ、ちょっと、それって、プライベートもってこと?」
「……多分」
「あんた、連絡しないの?」
「してない」
静があっさりと云うと、歌恋は眉間に皺を寄せた。
「仕事が忙しかったから? 意図的に?」
「向こうからの連絡もない。まあ、お互い様でしょ」
「アイツは『彼』でしょ?」
どうなんだろうと、静は思う。
「連絡しなくてもいい関係なの?」
「いや、連絡したかったんだけど……」
「けど?」
「わからなかった」
「はあ?」
「なんて云えばいいのかわからなくて、ね」
「寂しいとか逢いたいとか云えよ!」
歌恋の顔をマジマジと見下ろす。
「そんなこと、云えないでしょ」
「なんでよ!」
「今までだって、云ったことないわ」
静の言葉に、歌恋はアングリと口を開ける。開いた口が塞がらないという見本が、目の前にあるなと静はぼんやりと思った。