音楽があれば別に何もいらない……。
静がそういうと、奏司はクスクス笑う。
「うん、知ってる、カーラジオで流れてる曲、小さくハミングしているよね。オレそれを聴くの好きだし」
その言葉を聞いて、静は数秒間呼吸が止まる。
そして頭に血が上っていくのがわかる。
そんなことは、自分で気がつかなかったことだ。
いつも助手席に座っている彼が起きている時、そんなことしたことない……。
「寝たふりして聴いてる」
一瞬、彼の首を締めたくなるが、辛うじて堪える。
「できればその記憶、抹消してちょうだい」
「えー。ムリムリ、もうすっかり耳に記憶に残ってます」
「わああああ、頼むから、そのことは誰にも云わないで!!!!!!」
うがあああと髪を掻き毟る。
いつもより、どこかくだけた静の態度が、普段よりも幼く見えて、抱きしめたくなりそうな手を必死で堪える。
耳まで真っ赤になっている彼女なんて見たことがない。
いつも、ビジネスモードで、レンズ越しの瞳が和らぐなんてことは、数えるぐらいしかない。
そんな彼女が目の前にいて……。
「云わないよ、云ったらライバル増えちゃうでしょ」
「何がライバル?」
「だから、こういう意味の」
奏司はチョンと彼女の頬にキスをする。
彼女はびっくりしたように固まる。
抱きしめたくなる手を堪えて、彼女の髪に触れる。
いつも、きつくアップしていた髪が解けているから、それを解きほぐす。
少し茶色の髪は細くて柔らかい。
「あんまり、髪を詰めてると、痛むよ」
指に絡まった髪に奏司はキスを落とす。
「もう、とっくに痛んでるからいいのよ」
「静……」
「……」
「怒らない?」
「何が?」
「もう一回、キスしていい?」
ゆっくりとソファに引き倒されると、流石に心臓が早く脈打っているように感じる。
「だめ?」
「……イイコでいるんじゃなかったの?」
拗ねたように下唇を噛み締めて、そっぽをむく。
そんな仕草が幼くて、愛しいと思う。
10代20代の女性が、彼に夢中になっていくのを、CDシングルの売上や歌番組の視聴率という数字で静は見てきた。
石渡プロデュース……それもあるけれど、この彼自身に魅力がなければこの短期間に予想以上の数字はでなかっただろう。
その彼が、自分に……8歳も年上のマネージャーに夢中だなんて、ピンとはこない。
「子ども扱いするし」
そう云ってしまうところが、子どもなのに、彼は気が付いてない。
「奏司」
両手で、彼の小さな整った顔を包む。
ちょっと驚いたような表情のあと、すぐに嬉しそうな顔を見せる彼。
彼が思っているよりも、実は静が彼に対して好意を抱いているなんてことは、誰も知らない。
静自身だって、考えないようにしてきた。
もし、彼の気持ちを受け入れてしまったら、静が今までしてきた恋愛の中でも、一番苦しい恋になるのは、目に見えていたから。
彼の才能に嫉妬をして、だけど、彼を想う為に尽くすだろう。
彼が静を想ってくれている間だけは、幸せでも、いつかは……彼の気持ちも変わっていく。
彼はまだ若いのだから、また別の恋に彼はめぐり逢うだろう。
彼にとっては、これが最後の恋じゃない。
それがわかっているから、答えたくなかった。
自分が実は弱いのを知っているから、彼に答えたくはなかった。
だけど……。
「嬉しかった」
未来の行方が例え幸せでないと、わかっていも、彼をコレ以上は拒めない自分がいる。
「来てくれて、ありがとう」
静は自分の上体を少し起こして、彼の唇に自分の唇をちょんと重ねる。
彼はマジマジと静を見つめる。
「どうしたの?」
「……夢じゃない?」
「何が?」
「今、静から……キスしてくれたんだよね?」
静はコクンと頷くと、彼は思いっきり彼女を抱きすくめて、またソファに引き倒す。
「重い。それに苦しい、離れなさい」
「ごめん、我慢して」
「……」
「嬉しくて……ちょっと泣きそう」
「……」
「オレが今、どんなに嬉しいか、アンタ全然わかってないでしょ?」
「まあ……なんでそんなに懐いてくれるのかわからない。厳しいでしょ?」
「何が」
「私が」
「なんで? 静、厳しいの?」
「らしいよ」
「誰が云ったの?」
「いや……直接は訊いたことないけれど……でも、甘くはないと思う……」
「普通じゃない? だってオレ新人だし、ベテランのマネなら大御所を大事にってカンジだろうけど、そうじゃないでしょ?」
「……」
「それに今、すっごく優しい……だからすごく嬉しい……」
ギュウっと奏司は静を抱きしめる。
「ちょっと待ちなさい、本当に、酸欠になる」
一体何を食べたらこんなに長身になるのだろう。
ただ、長身というわけじゃなくて、筋肉のつき方のバランスがいい。
この至近距離ならシャツ越しでもなんとなくわかる。
女性雑誌のアンケート項目のコメントで、「あの声で愛を囁かれて抱きしめられたい〜」なんていうのがあったのを思い出す。
確かに現状は、そのアンケート項目のコメントに近い。
背中まで回していていた腕を解いて、でも、両手をソファにおいて、静を腕の中に閉じ込めたままだ。
「あの……」
「何?」
「やっぱ、もう限界なんだけど……」
「何が?」
「イイコでいるのが」
彼はそう云うと、ゆっくりと静の唇に自分の唇を重ねた
。