ENDLESS SONG13
「なんで、ドラマの話を蹴ったんだ!」
藤井は青筋を立てて、バンとデスクを掌で叩く。
静の普段と変わらない無表情の顔が、彼にとっては面白くないのだろう。
ここで、反省しきりの半泣き状態にもなれば、この手のタイプは鼻の下を伸ばすだろうが、静にはそれは無理というものだった。
「先日申し上げたはずです。神野をドラマには出しません」
静は怯むことなく、ポーカーフェイスを通り越した無表情で、がなり散らす藤井にまっすぐと視線をむけたままキッパリと云いきる。
「勝手にOKを出したのは藤井さんです」
「俺が、ヤレといったら、ヤレ! 売れるのがわかっているのに、何考えてるんだ!!」
横暴極まりない科白だと静は思う。
「そんな端役、神野じゃなくてもOKです」
新入社員は、静の怯むことのない藤井への応酬に、心の中で拍手を送るが、現実は、藤井の怒号にびびっていた。
「あーあー、そうかよ!! 神野じゃない他のヤツが、ウチの別の新人が神野が断ったせいで、仕事ほされても責任もてるってか?」
責任はお前が取れ、上司だろうがコノヴォケ――――という言葉を心の中で静は叫ぶ。
だいたいこの目の前にいる男が原因で、歌恋だって石渡由樹と仕事がしたいと思っていたのにレーベルを移籍したのだ。
元来、アイドル系の芸能プロダクションにいたこの人物は、音楽よりも映像の方にこだわりを持っている。素材の魅力は目で見せて、ナンボというのが彼の持論だ。
「向こうのプロデューサーには、お詫びの為に一席設けるからな、お前が行って来い」
それはお前の仕事だろうと、心の中でで毒づく。
出社して30分はこのやりとりが続いてる。本日の予定が押してしまう。
藤井の小言を聞くためだけに本社のこの場になんかいたくなかった。
本日はPV(プロモーション・ビデオ)の撮りが入っている。国内のスタジオで行われるからまだ時間的には助かる……。
ここは受諾するしかないなと、忌々しいと思いを噛み締めながら一礼して、藤井のデスクから離れた。
井原ナオに代わりに奏司のPVト撮りに同行して欲しいと依頼して、静はまずTV局の方へ足を運んだ。
「あんたさあ、仕事ができるとおもってるんだろうけどさ、ほんと、なっちゃいないよ」
静は頭痛を抑えながら、目の前の人物のグラスに酒をそそぐ。
結局、藤井はお詫びの一席を設けて、静にいくように命令した。
ばかばかしいが、仕方がない。
本来なら、藤井がこの席にいていいはずだ。
そもそもの原因は彼にあるのだし、上司として、責任があるだろう。
しかしそれを彼は静にやらせる。
腹癒せなのだ。これは。
静にはわかっている。
藤井は、静が、藤井の思惑を無視しているのが気に入らないから。
だけど……。
――――歌うことしか、できないから……。
奏司に関するスケジュールを、二度と藤井や会社の他の人間に決められたくはない。
――――考えて……、オレのこと……。
考えなかった日はない。
仕事だから……というだけじゃないのだ。
神野奏司の声は……響くのだ。
彼のその歌は、静の心の奥に響いた。
だから彼に、歌う環境を与えるのが仕事なら、どんなことでも受諾する。
「だいたい、神野はもっと露出したっていいぐらいだろ、アイドル事務所だって、目をかけるぐらいだし、藤井チャンに聞いたけれど、移籍の話もくるぐらいだって?」
そんなことは初耳だった。
確かにルックスはいいが、歌唱力がよくて、このレーベルに引きぬかれたのだ。
その話は聞いてない。藤井が自慢げに云っていたと呟くが、神野をセールスしたいがための誇張だろう。
「いえ、本当に、神野はまだ新人で、ドラマには……」
「今時、局の女子アナだってドラマにでるぐらいなんだ」
でも端役でしょ? 声に出さず静は毒づく。
あの、奏司をそんな安易に露出してどうする。奏司を気に入ってるなら、あんたのドラマの挿入歌にでも考えてくれ、むしろ、この売り方が王道だ。
「神野は、ボーカリストなんです」
あんたみたいな人間に、奏司の声がわかるはずもない。
なんとなく騒がれてる若い、ルックスのいい素材だってだけで、別に奏司を是が非でもってわけじゃないのは目に見えている。
「本人もそれを望んでいます」
「売れなくなったらどうするの」
「彼に演技は無理です」
何を言っても無駄だ。
本当ならTVドラマのオファーは今後一切受けないので、本当に申し訳ありませんでしたと、云い切ってしまいたいところ。
だが、彼は若いのだ。
今はそう突っぱねてもいい。
が、もしも。
将来、ボーカリストだけでなく、演技のほうにも、興味が出てこないとも限らない。
石渡由樹のプロデュースが切れたら、売れなくなるかもしれない。
そういう可能性もあるのだから、その時の為の保険を作っておくことは悪いことじゃない。
しかし……こうした静の目論見は、百戦錬磨のTVドラマプロデューサーには、丸わかりだったのだろう。
「わかった、でも、こっちもちょろっと、神野の名前が漏れてるんだ」
「……」
「これをただ白紙にするのもな、それでドラマに神野の曲を使うことで、今回の一件は無しにしようと思うんだが―――――」
キャスターを加えて、ライターに火をつけて一服する。
アルコールが入って酔っているせいか、目が充血して中年男独特の脂ぎった顔がテラテラしている。
嫌な予感がした。
無表情を装って、グラスに酒を注ぐ静の手首が掴れた。
「なんでしょう」
「あいにく楽曲関係は決定しているんだ」
「……」
「だが―――――ここは神野の曲を使ってもいい」
「……」
「今夜、これからの、キミの態度次第で」
静は目を見開く。
この世界で、こういう話はなかったわけじゃない。
冗談めかして誘われたこともあるが、もちろん冗談で終っている。
ちょっと本気で云ってきた人間もいたが、無表情の一瞥と沈黙に耐えきれなくて相手の方が逃げ出した。
しかし、今回の相手はかなりアルコール入っているせいか、多分通じないだろう。
「……ちょっと、化粧室に……失礼します」
相手の手を左手で外して、静は席を立った。