ENDLESS SONG1
「―――――――君の声じゃ、駄目だね」
憧れてやまない、凄く尊敬している彼からの言葉。
信仰にも似た想いで、彼の作り出す作品を愛していた。
その彼が、彼女に下した評価がそれだった。
たった一言。されど一言。
どうしてそこで、諦めずに食い下がることをしなかったのだと、云われたこともある。
しかし、できなかったのだ。
それまで持っていた自信も、その一言で粉砕してしまったのだ。
否。
他の誰でもない、彼に云われたからこそ、挫けてしまったのだ。
Y-mgレーベルはJPOPのレコード会社でも数年前に一部上場を果たし、有名アーティストを複数抱える大手レコード会社。
高遠静はこの会社と提携しているプロダクションに所属する社員5年目。
ノーフレームのツーポイントの眼鏡。ダークなスーツ、インナーは白いシャツ。
それがまるで彼女の制服のようだと周囲から言われている。
ヒールは3センチ〜5センチまでの、黒、もしくは茶。
肩にかかる髪をUPして、その姿はまるでアーティストのマネージャーというよりも、大手企業重役の秘書のイメージに近い。
おまけにそのスタイルだけでなく、表情も――――――レンズ越しの切れ長の瞳が、初対面の相手には威圧的な印象を与える。
業界でも「雪の女王」 とか「鉄の女」の異名で通る。
若いマネージャーは鼻先であしらわれるのが通常だが、静は自分自身の見た目を、多いに利用した。
世間一般で年齢より上にみられるのは、20代の女性には少々へこむ要素なのだが、ビジネスではこれは使えるのだ。
だから入社5年目ともなればそれなりの雰囲気も身につくが、その倍はこの業界でやっている雰囲気。
取引先相手も、当時入社1年目の静を何処からかの中途採用者だと思っていたようだ。
静自身も「営業はするが、愛想笑いは必要ない」と公言して憚らない。
愛想のない人間は煙たがられるものだが、初対面の人間は、まずその静の顔に一瞬見惚れる。
その一瞬を見逃さないように、静は仕事を推し進めるのだ。
だから同期でマネージメント部の所属した中でも、静は大きな仕事を与えられている。
つまりはやり手の部類に入る。
「確かにしっかりしてるけれど、やっぱり、やりたいことは違うから」
「残念ね」
「そう思うなら、あたし達と一緒にきてよ、一緒に仕事しようよ静ちゃん」
日本の有名アーティストの名前に連ねる『クリス・マリア』のボーカルの歌恋は、自分達のマネージメントをしてくれた高遠静に、そう告げる。
静が大学を出てすぐにここへ就職が決まり、初めて担当したのがバンド『クルス・マリア』だ。
何かのコンテストで優勝したのがきっかけで、ここへ所属したのだが、メンバーが変わるので、ここを抜けて、別レーベルへ移籍する。
それを期に、プロダクションも移籍、静も別の新人のマネをすることになっていた。
「歌恋達が、ここを抜けるとわかってから、上も新しい子を担当しろって云ってるしね、まだこの会社にいることになるわ」
「ほんと、静ちゃんってさー、年齢詐称してない?」
「?」
「27なんて嘘でしょ?」
「27よ」
歌恋は眉間に皺を寄せる。
大学出て4、5年かそこいらにしては、この業界に物慣れている。
まあ元バンド組んだりアーティスト指向だったりする人間がこういう職種につくのもありで、そういう人間が業界ずれしているというなら話はわかるが、静はどう見ても、というか見た目が、業界とは無縁の世界からココへきましたというイメージがある。
もちろん歌恋は、静が以前、アーティスト―――――しかもボーカリスト志望だったなどとは露とも思っていないのだから、それは仕方のないことだった。
「えー新しい子って若いんでしょ?」
「17? 18?」
「げえ、コーコーセイじゃーん。あたしだってメジャーデビューは21歳よ」
学生なのかどうかの確認をとるのを忘れていた。
デスクに戻って資料にもう一度目を通さなければと、静は思う。
売り方もまだ決まっていない。
『クルス・マリア』の移籍先への引継ぎ業務にも時間を取られているので、資料への目通しがついつい合間作業になっていしまうのだ。
「どんな子?」
「…………由樹さんが、直々に見たてたらしいわ」
このレーベルで契約している音楽プロデューサーの中でも売上でいえば3本の指に入る人間の名前を聞いて、歌恋もだらりとしていた姿勢から、慌てて静に向き直る。
「何それ」
「何かの打ち合わせで帰宅途中、駅前路上で歌っていたその子を見初めたそうよ」
歌恋はあんぐりと口を開ける。
「ありえない、ありえないし、そんな話。何その話、そういうプロフィールなの? 有名な音楽プロデューサーが街で偶然見つけたアマチュアシンガーをスターダムへ押し上げるなんて、いつの時代の話よ? 昭和じゃないのよ、今は! この21世紀にそんな話ありえないから!」
歌恋は一気に捲し立て、バンバンと簡易テーブルを叩く。
「コントでも今時やらないっしょ、そんなネタ。思いっきりベタだわ」
「韓流ドラマにはありそうね」
静がそういうと歌恋は黙る。
確かにそういうネタはやりそうだ、捜せばあるのかもしれない。
「でも結構事実みたいよ。上からはそういう通達だから」
今でこそ新譜を出せばヒットする立場にまでなった『クルス・マリア』のボーカリストの歌恋。
歌恋は静よりも一つ年上だ。
15の時からバンドを組んで、もちろん『クルス・マリア』のメンバーで当時から一緒にいるのはギタリストの有坂光一のみであるが、デビューするまで、個人で地道にライブ活動して、どんなバンドのデモテープ製作でも――――――同じ貸しスタジオを利用しているバンドならコーラスだろうが参加もし、オーディションも受けまくり、コンテストにも応募しまくりで、ようやくJPOPで名前が知れるようになったのだ。
とにかく大勢の前で歌う為に、小さなことと思われてもそういう積み重ねを、6年もしてきた歌恋には、そんな夢物語がにわかには信じられないというところだろう。
静も始めにこの話を訊いた時は同じ気持ちだった。実際、上司にも「宣伝プロフィールですか?」と問いただしたら、上司も苦笑いをして「事実なんだよ」と告げた。
静が、この歌恋と激しい衝突もなく仕事ができたのは(まあ、小さい衝突はあったものの)、年齢が近いという理由も一つだが、歌恋のメジャーデビューまでにやってきた地道な音楽活動を知っているからだ。
「えーやだ、やだ、そんな子に静をとられるの! なんか嫌あ」
「じゃ、残る?」
「やだ、静がこっちにきて」
「悪いけれどようやく由樹さんとの仕事だから……」
静はカタカタとノートPCに何かを打ち込んでいる。
「そりゃね、そりゃね、あたしだって由樹さんとも仕事したかったよ」
「……」
「……ほんと欲深いね、あたし。あれもこれも欲しがる。でも、静がいたから……頑張ってこれた……」
「欲が深くてもいいのよ、バンドのフロントは、そういう我の強さも必要でしょ」
「静」
「?」
「よく、考えておいて、あたしと、一緒に仕事をしていくことを」
歌恋は静に会社を辞めて自分と一緒にこいと言う。
それがどういう意味か、静もわかる。
しかし分刻みにスケジュールが入っているので、簡単な打ち合わせをすると、静は駐車場へ向い、本社へと車を出すことにした。