Delisiouc! 22
「ごめん、倉橋……」
ごめん、倉橋。今日の晩飯はさぞ不味かろう。
この間のように砂糖と塩を間違えるなんて、少女漫画に出てくるドジッ子並のベタなミスじゃなくて。原型をとどめてないよ。今日の晩飯。
目の前のいる倉橋は、いつものように眉間に皺を寄せる。
羨ましいことに、そんな顔ですらカッコイイ。
ああ、オレに、倉橋のカッコ良さがほんの少しでもあれば、もう少し自分に自信がついたかもしれない。そうこんなことにならなかったかもしれない。
「降矢、どうした?」
出前のメニューを倉橋に渡す。
「今日、オレ、だめだ」
今日一日、課長から何の連絡もなかった。
おととい、あんなことをしたからか?
でも好きでもない男はしないって気持ちがなければ許さないって云ってたよな。
もしかして、やっぱりむちゃくちゃだった?
よくわかんないけど、赤ちゃんにも薫さんにも負担かけすぎて身体悪くなった?
どうしよう……。
「おなかすいたー! 誠ちゃん。ごーはーんー!!」
バアンとリビングのドアを力強く開けるのは美緒子ちゃんだった。
美緒子ちゃんはお茶碗とお箸を持って小首をかしげ、オレと倉橋を交互に見つめている。
「どったの? 誠ちゃん」
テーブルの天板に視線を落としたまま、ハアァっと盛大にため息をつく。
やっぱり。
オレじゃ駄目だった?
もし身体がおかしくしてたら、オレのせいじゃん?
オレがやったことなんだから、連絡してくれてもいいじゃないか。
責任取るっていってるのに。
それとも、オレなんかに責任とってもらいたくもないとか思われてんの?
携帯もメールもつながらない。
どうしてるんだろう。もう。
「まー降矢がこんだけ落ち込む理由はアレだろ、課長だろ」
「薫ちゃん? そういや、お弁当写メ送ってくれなかったなー外回りだったの?」
部署が代わってから、そんな出勤退勤の詳しい動向なんてわかんない。
以前の部で仲のいいヤツがいたら聞けたけれど、そういう人もいないから。
和田は今日も外だったし。
「わからない……多分……会社にこなかったんだと思う」
「多分って何よ」
「部署が代わったから、よくわからないけれど、オレもすぐに外に行かなきゃけなくて社内のことはわからなくて」
想いを打ち明ける前までは、こういうことも何度かあった。
それで、今日みたいに一目も会えずで終わった日には、やっぱりがっかりしたけれど。
片想いの時のショックの比じゃないよ、これは。
相手にすごく近づいたのに、その動向がわからないなんて、普通の状態でも心配するし。ましてや、相手は体調が普通じゃないし。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
「無理させちゃったのか……」
そう呟くと、美緒子ちゃんはオレの襟首を、その華奢な手首の力だけでグイっとひっぱりあげる。
「まーこーとーちゃーん……」
「……はい……」
「もう一回云ってごらん? 無理させちゃったって、何を? んー?」
怒ってるような、どこかからかいが入ってるような美緒子ちゃんの表情。
オレは美緒子ちゃんと倉橋を交互に見る。
いくらなんでもそんなことまで相談できるわけないだろ。
オレが躊躇っていたら、美緒子ちゃんはパッと手をはなす。
「やっちゃったの!?」
「マジ!?」
嘘だろ! なんでそういうのよ? 女のカンってヤツか?
全部言わないまでも、二人は核心を問いただす。
はいそうですっていえるわけないだろー!
「誠ちゃん! セックスなんてしなくていいって云ったじゃんか!」
ああ、そんなこともいいましたが、ごめんなさい。欲望の限界でした。あの時は。
「美緒子『ごはんもえっちもない生活はいやあ』ってお前、叫んでただろ。降矢も生きているうちに一回ぐらいはやってみたくなったんじゃね? なんで責めるのよ」
「だって課長とやっちゃったら、あたしとはしてくれないじゃん!」
何を考えてんだかこの子は。
薫さんとやってもやらなくても、とりあえずキミとはないから。
倉橋は出前用のメニューを捲る。
クーポンあるからピザにすんぞと美緒子ちゃんに声をかけたところで、オレの携帯が鳴った。
着信履歴には交換したばかりの電話番号と「KAORU」の文字かと期待したんだけど、そうじゃなくて。
なんか公衆電話っぽい。
その番号がバックライトを点滅させて、知らせてきた。
美緒子ちゃんの攻撃を振り切ってトイレに入って鍵を掛け受信ボタンを押す。
「もしもし」
「ごめん……降矢君……連絡できなくて」
「どうしたの? 今どこ?」
「病院」
その一言でドキリとする。
昨日とんでもないことを彼女にしてしまったので、そのせいで体調を崩したのか? いやもっとはっきり云ってお腹の赤ちゃんは……。
オレは首を横に振る。
「大丈夫? どこの病院?」
彼女は通勤途中の大学病院にいると伝えてくれた。
「身体は? 赤ちゃんは?」
「……ごめんなさい……」
「なに?」
「ほんと……ごめんなさい……」
「どうしたの?」
「……いなかったの……」
「はい?」
「その、ストレスで遅れてただけで、生理は……きたの……あのあとすぐ……」
その言葉を聞いてオレはへなへなっと便座にしゃがみこむ。
生理がきたってことは……。
赤ちゃんはいないって……コトだよな?
妊娠してないって……コトだよね?
「ごめんね」
本当にすまなさそうに呟く。
なんだかそういう声が、先日の彼女と重なって、ものすごく会いたくなる。
顔を見て話したいのに。大丈夫? って直接云いたいのに。
赤ちゃんがいないってことは、オレ的には安心したんだけど、薫さん自身はどうなの。
やっぱり……安心したってことだよね。
実際にできてなかったら、相手はほら友達の旦那なんだし。浮気の既成事実があるのとないのとじゃ断然違うから、とりあえず、よかったっていっていいんだよな。
……まだ、あの男に未練があるなら、それはほんの少し残念ってところなんだろうけれど。でもほっとした部分の方が多いと思ってOKだよね。
ああだめだ、オレ。自分のことばっかり。
問題は病院にいる彼女のことじゃん。
「そんな、謝らなくてもいいから……で、病院なの? 今。オレのせい? その……オレも、そのよくわからなくて加減とかもしてなかったよね、そのせい?」
「違うの……降矢君のせいじゃないの。前から体調は悪かったけれど、それはその妊娠じゃなくて……十二指腸潰瘍になったみたいで……入院になったの……」
「十二指腸潰瘍!?」
「ごめんね」
吐き気と微熱の原因はそれですか!?
でもって月のモノが遅れてて、でもそうとう遅れてたんだよね。
妊娠かと本人が思っちゃうぐらいにはなかったってことだから。
仕事も忙しかったし、プレイベートも散々だったからなあ……。
絶対ストレスだろ原因は。
「手術するの?」
「まだ検査初めたばかりだから……ただ、今朝吐血して。それでちょっと自分でもびっくりして病院に……」
吐血! そんなに調子悪かったのか。
「ごめんね」
「謝るのはオレのほうでしょ、自分のことばっかりで、薫さんのこと、気づいてあげられなくて。そんなオレなんかに謝らないで、だからストレスで身体壊しちゃうんだよ」
「降矢君……」
「お見舞い行っていい?
だめ?」
「みっともないから、やだって云いたいけど……でも、本音はその……」
小さい声で「会いたいな」と呟いてくれた。
その一言で、なんだかオレだけが幸せな気持ちになって、入院してる彼女に申し訳ないなって思った……。