Extra ピッチャー荻島1




「――――さて、最後のバッターが入ります。マウンドに立つのは今大会、注目度ナンバー1投手、荻島秀晴」
アルプススタンドが、湧きあがる。
「昨年は手にすることができなかった優勝旗まであと一人、ここまで8人連続三振をとっています荻島」

――――大丈夫、ヒデはここで決める。

スタンドの野球部の後輩たちと一緒に、マウンドに注目しながら、藤吉透子はピッチャーを見つめる。
多分、あと一人を抑えたら、優勝。
熱っぽい実況を聞き流し、スタンドの声援の中で、次の瞬間は予想できる。
真夏の日差しが容赦なく球場を照りつける中、藤吉透子は、6年前の出来事を思い出していた……。
 
 
「ピッチャー交代だな」
大会を控えた練習試合、大会前に、エースは控えのベンチにいたが、監督の一言でグローブを嵌め直す。
「藤吉、お前じゃない」
監督はエースにそう云う。
「は?」
「は? じゃないよ、お前は投げさせない」
「えー!」
エースは不満そうに頬を膨らませる。
「そーゆー時だけ可愛い子ぶってもダメだ」
エースはチッと舌打ちする。
「じゃー誰が投げるんですか!」
「大会でしっかり投げりゃーいいだろうが、練習試合でお前がピッチャーライナーくらって、突き指でもしたら意味ねーだろうが」
そんなヘマはしないよと顔面に出しているエースを見下ろす。
「マウンドなんてみんな立ちてえだろ。普段お前譲らねえんだから、たまには譲れ」
審判に声をかけて、現在グラウンドにいるバッテリーを呼び戻す。
「三倉は限界だろ、ピッチャー交代だ」
云われた三倉は頷く。
これがエースだったら、ごねにごねてマウンドから引きずり下ろすのがまた大変なのだが、それがエースなのだからとみんなは思っている。
「で、ダレガナゲルンデスカー」
この投げやりな口調のエースにキャッチャーマスクをかぶっていた荻島秀晴がマスクを外す。
「……拗ねるな、藤吉、お前も試合に出ていいから」
「ピッチャーじゃないのに?」
「キャッチャーで」
「は?」
「おい、ヒデ、お前、それ外して、藤吉に渡せ」
監督はヒデの身につけているプロテクターを指差す。
「えー、なまあったかいのつけんの?」
「そういう時だけ女子感覚かよお前っ!」
プロテクターとレガースを外しながらヒデがトーキチにツッコミを入れる。
監督といい、このキャッチャーといい、このエース、藤吉透子を女子扱いしてないところが受け取れる。
「ファブリースとかリセッシュないのー?」
「皮製品にはききませんからっ!! トーキチ!」
「アルコールは?」
「バイキンか!? オレはバイキンかっ!?」
正規バッテリーの会話の応酬に、監督は頭を抱える。
「あーもーウルセー、藤吉、嫌なら4年にやらせるぞ」
「やる」
即答して素早くレガースやプロテクターを身につけ始める。
「そんで、ヒデ、お前、ピッチャーやれ」
「オレ!?」
自分で自分の指をさし、あとはマスクをかぶるばかりになった、本来のエースと顔を見合わせる。
試合は中盤。
控えのピッチャー三倉はここ連投していた。
かといって、大会を控えたエースに投げさせる気はないようだ。
――――て、練習試合の時に、なんかいろいろ試したいのかな、監督。
「藤吉」
「はい」
「相手のデータは入ってるか?」
「ヒデよりは」
「だろうな」
ガーンと口に出してヒデが呟く。
「もともと、楽勝相手なんだよ、でかい声じゃいえないけどさ」
「え? 問題はオレのリードなの? そこなの?」
「そこなの、三倉がいっぱいいっぱいだろーが、ねえ三倉」
辛口なトーキチに三倉は苦笑する。
「で、でもでも、オレがピッチャーって……」
「ピッチャーやりたいとか前云ってたじゃんよ、それとも何? あたしのリードが不安だとでも?」
「いえ、そこは大船に乗ったつもりです! トーキチセンパイ」
「だろ」
「あと、三回、抑えてこい」
「はい」
「頼むぞ、藤吉」
監督の意図はなんとなく、理解できた。
いままでバッテリーとして二人でやってきたけれど、ヒデのリードというか、ほとんどトーキチがデータを予め把握して配球をしていた。
二人はそれでいいと思っていたし、勝率も悪くなかった。
もし、逆になったらどうだろう。
配球とピッチングを考えなくて済むなら、ポジションを逆にした方がいいんじゃないかと監督は思ってるのかもしれない。
――――でも、マウンドを譲るつもりはないんだけどな。
女子で野球なんて期間限定なんだから、最後まで投げさせろとトーキチは思う。
でも。
自分が野球をやめても、ここにいるメンバーはみんな野球を続けるだろう。将来、甲子園にだって行くヤツが出てくるかもしれない。
隣で、慣れないポジションにつく幼馴染の顔を横眼で見る。
――――こいつが甲子園にとかは……ないよなあ。
「ヒデ」
「おう」
「いつもどおりに、キャッチボールの要領で」
「あ、ああ。うん」
「なんだ、緊張してんの?」
「お前は緊張してねえの? キャッチャーなんて試合でやったことないじゃん」
「ないよ、けど、アンタがヘンな投球するなら監督だって、あたしがマウンドに上がるのに最終的には頷くデショ」
マスクをかぶる幼馴染の発言に、相変わらずの自信だなと、ヒデは思う。
実際やるだろう。このエースなら。
「『とーこちゃん、おれもぴっちゃーやりたい〜』の発言から何年目だよ。いい機会っしょ」
「おめ、云うなよ!」
顔を真っ赤ににしてトーキチの背を叩くと、トーキチも、バンとグラブでヒデの背中を叩いて、マウンドへ送り出した。
その様子を見た野手陣は。
――――ヒデが投げるのか。
――――よくトーキチがごねなかったな。
――――ヒデの投球次第ではトーキチがマウンドにいって、ヒデを引きずり下ろすよな。
ベンチでの交代の会話を概ね予想してマウンドにいるヒデに注目する。
「ヒデ!」
キャッチの位置についたトーキチが、何球か投げろと合図を送った。