Extra ラスト・ゲーム 5回裏




「すっげーな今ので5球目だろ」

フェンス越しの声に三倉は振り返った。
そこに立っていたのは先月まで梅の木ファイターズに在籍していた澤田だった。
澤田は先月この梅の木団地を離れて隣県へと引っ越して行った。小学校の方はあと残すところ卒業まで一か月となっているので学校側に許可をもらって電車通勤していた。駅からは離れているのでこの一か月の通学は彼にとって難儀だったけれど、なによりも、卒団を待たずしてユニホームを返却してしまったのが、残念でならなかったようだ。
だからだろう。こうしてこの最後の試合、参加しなくともこうして足を運んできたのだろう。

「澤田……」
「なんだってこんなに苦戦してんだよ」

監督の「こっちに来ていいぞ」の手まねきに応じてグラウンドの端をそろそろと歩いて梅の木ファイターズ側のベンチに入り、三倉の隣に腰を下した。

「目がいいんだ。と思う相手」

三倉が云う。

「トーキチはなんかもう持てる変化球めいっぱい投げてる。だからさっきまでの下位打線は三球三振に打ち取ることができた」

5回裏のバッターは8番からだった。
それまで変化球とストレートを半々に混ぜて投げてきていたが、ここにきて、トーキチは今まであまり投げてこなかった変化球をなげている。
それをきちんと捕球できるヒデがまたすごい。
二人がどれだけキャッチボールをしてきたかが伺える。

「でもスピードがちょっと落ちているかもしれない」
「あいつどれだけ変化球持ってたっけ?」
「カーブだろ、スライダー、チェンジアップと」
「フォークだっけ?」
「パームだったと思うけどフォークもいけるんじないか?」
「パームなんてまたマニアックな」
「難しそうな球種に挑戦するのがトーキチらしいってゆーか」

三倉と澤田はマウンドにいるトーキチを見る。

「おまけに気は強えーし」

澤田の言葉に三倉はうんうんと頷く。

「俺のかーさんのイヤミにも無表情で対応してるし」
「ああ、おっかねーのにな、オレだってあれにはびびっちまうぜ」
「俺自身もおっかねえもん」
「それだけじゃねーし、俺さー、あいつとヒデのことを冷やかしたことあんだよ」
「いつ?」
「二年ぐらい前かな。小4頃で、ぶっ飛ばされた」
「うわあ」

しかしトーキチならやるだろう。
去年の今頃、6年のちょっとつっぱった連中に、因縁つけられても、返り打ちにしたのはこの学年では知らない者はいない。

「つくづく、女にしておくのは惜しいよなー」
「うん」

現在打順は一番打者に回ってツーストライク。
そこからカキン、カキンと音をたてて、ボールはファールになっている。
ここでファール三つ目だ。
カキンと音がするたびに、相手チームのベンチは盛り上がる。
5回裏。
砂町アローズび8番と9番はトーキチがスパンスパンと切ってさっさとツーアウトにまで持っていったのだ。
しかし、ここにきて打順が一番になると、こうして追い詰められている。
ここで大きく当たればヒット。
そして得点のチャンスにつながる。

ヒデはマスク越しにバッターを見上げる。

―――粘るな。待球狙ってんのか?

トーキチのボールを捕球しているヒデも、スピードがなくなってきてるように感じている。
さっさと、ここを切ってトーキチを楽にさせてやりたい。
しかし。ここでマウンドにかけよろうなら、そんなことを気を使うなぐらいは云いそうだ。

――――無表情のトーキチよりも、感情むき出しにされるとそっちの方が、おっかねえしな。

そんなヒデが思うその近くの彼、砂町アローズの一番打者もプレッシャーを抱えていた。
ここはツーアウト、ツーストライク。
そしてファール続き。
ツーストライクの時点でなんとかしようと振り出したバットが偶然当たった。
それがファールになって、今ファール三つ目だ。
偶然とはいえ、スピードに慣れた感じがする。

――――けど、ここでヤツのカーブがきたら、俺は打てるのか?

砂川町アローズの4番を空振りさせる、梅の木ファイターズエースのカーブ。
この地域でトーキチのカーブは定評がある。
リトルの大きな大会とかでは必ず誰かが、口にする。
梅の木のピッチャーが投げるカーブは凄いと。
スピードも変化も素晴らしいと大人たちは評する。

「タイム」

バッターボックスを出て軽く素振りをする。

――――ヤツはカーブで俺を打ち取る気だろう。

深呼吸をして、もう一度バッターボックスに入る。

――――何度か見た。大丈夫、バットの当たる。インパクトの瞬間にボールを内側に運べ。

トーキチがワインドアップから投げてきたのはやはりカーブだった。

――――キタ!

バッドのスイングのタイミングもあっている。

カキン!

ボールはライン上をころがっていく。
「フェア!」
一番打者は一塁ベースに向って走りこんで審判は両手を広げる。
「セーフ!」
その声を聞いてアローズのベンチが沸き立つ。
「筒井! よくやった!」
「ナイバッチ!」
コーチャーボックスにいる選手に声をかけられて嬉しそうだ。



「トーキチ! 頑張れ!」
澤田がベンチから叫ぶと、マウンドにいるトーキチが気がついたらしい。
一瞬笑ったような気がした。
応援の声が励みになったのだとは思う。
トーキチは二番打者を三球三振に打ち取った。

「やっぱ、すげえピッチャーだよ、あいつ」

澤田はため息交じりに呟く。
梅の木ファイターズの選手が交代の声を聞いて、ベンチに走り寄ってくるのを見て、澤田は両手を大きく振って飛び跳ねていた。