極上マリッジ 18






鳴海氏は、お昼前に家に来た。
莉紗姉があたしの荷物……といっても旅行バッグ2つ分ぐらいの荷物を玄関に置いた。
ちょっと少なすぎるかなと莉紗姉に云われたけれど、季節物の衣類はおいおい送ってと伝える。
はたして送ってもらえるまでこの男との生活が続くかは甚だ疑問だが。
そう思えば逆に、このぐらいのコンパクトな荷物の方がいい。
玄関先に立つ彼を見て、どきりと心臓が跳ねる。
休日仕様のシャンブレーシャツにブランドのブラックジーンズといったいでたちで、スーツ姿の時よりも、若く見える。




「じゃ、しっかりやんなさい」
そんなことを云われても、普段とは違うのよ〜、しっかり度合いもグダグダですから。
あたしは返事をするにも困った様子を見せる。

「鳴海さん、よろしくお願いしますね」

「はい」
莉紗姉の言葉に、いつもの低く響く声で鳴海氏は応えた。
ベンツのトランクにあたしの荷物を納める。
いつもの見慣れた場所、普通は嫁に行くなら、結婚式当日まで家にいるもんなのに、結婚前に、相手と一緒に暮らすってどうなのさ。
ああ、結婚前に出来ちゃったっていうのが問題か。
相手のご家族様には、いい年の女がこんな結婚前に赤ちゃんこさえて、常識外れも甚だしいとか思われてるって絶対。


「お姉さんが、莉佳を説得するとは云ってたけれど、本当に説得するとはね、操縦法を教えてもらいたいもんだ」
「莉紗姉は特別なの」
「そう莉佳の特別なんていいポジションだな」
「家族だから」
「俺も、莉佳の家族になる。ちなみに両親にはもう総て伝えてある」
「え?」
「莉佳の事も。もちろんおなかの子供の事もね」
「……それを訊いて、ご両親が卒倒されたんじゃないの? 逢って数時間で酔った勢いでベッドに入って子供を作ったなんて事実は、鳴海さんのおうちでは考えられないことでしょうに」
どんなアバズレの性悪女に引っかかったんだと云われたに5000点。
「とにかく早く結婚しろと云われたよ、式も挙げろってね」
「結婚式……」
「おなかが目立つ前がいいと母は云ってる」
そりゃー体裁が悪いでしょうよ。
「莉佳は何か希望ある?」
「希望?」
「結婚式の」
そんなものはない。
だいたい結婚する気がなかったのだし、今だってピンとこない。
お互いの生活感覚が相容れなくてあたしが逃げ帰る。
そんな想像だけはやけに具体的に思い描ける。
「希望ってさー、云ったら訊いてくれるの?」
「もちろん」


「今すぐに家に引き返して、鳴海さんはあたしに一生関わらない。休み明けには病院に行って、中絶の日程を組む」


最後のは嘘。
産みますよ、当然。
だってあたしの赤ちゃんだもん。
この人の力なんか借りないで、独りでなんとかする。
母子家庭、シングルマザーなんて今どき珍しくもないでしょ?
莉紗姉には迷惑かけられないから家は出て、出産ギリギリまで働いて、独りで育てる。
そう云う発想ができるのは自分に手に職があるからだ。
あたしの道筋をたててくれたオカンに感謝だな。
この人の事が嫌いなわけじゃない。
むしろすごく惹かれるし好きなんだと思う。
じゃあいいじゃない、好きな相手が自分と結婚するって云うんだからって、何もそんなに意固地にならなくてもって誰もが思うだろう。
しかも相手は金持ちで社会的地位もありそうで、しかもイケメンで。
何不自由ない条件じゃないって思うだろうけど……。
そういうので、うはうはしちゃうタイプじゃないのよ悪いけど。
自分がそう云うタイプだったらどんだけ今の状況を軽く乗り切れたことか。
理想はあったよ。
そう強いて言えば、荻島と日和ちゃんみたいな夫婦。
荻島にくっついて、ヤツに保護されてるようでいて、日和はきちんと自立してる。お互いを認め合うみたいな。
この人の場合なんでも持ってるからな。
別にあたしの力を必要としないだろ。
そもそもこの手のタイプを支えられるような内助の功的な人じゃないから、あたし。
そんな力もってないし、自分。
こんな一方通行の状態な結婚生活ってどうなのさ。
出来ちゃったから責任をとっての結婚……でも結婚後に、好きな女が出来たらどうするのさ、責任とって結婚したんだ、自分の事業の跡取りを産んでくれたらもう自由気ままにやっても問題ないだろうと、そう思うかもしれないじゃんよ。
いくらあたしがこの人を好きでも、盲目的に、この人はそんなことするような人じゃないってあたしは云い切れない。
この人をそれだけ知ってるわけじゃない。


「本気で云ってるとは思えないから、まあ訊く必要ないだろ」


なんでそう思うんだよ! 
その自信たっぷりな断定的な発言はどこからくる!?
「本気だって云ったら?」
「きけないね。いつまでも独りでフラフラしている次男坊が身を固めて家族持ちになる。しかも子供まで出来るとなれば、親はさっさと結婚しろというだけだろ?」
「母は莉佳を気に入ってるしね」
「はい?」
「お料理上手なお嫁さんが嬉しいってね、母も義理の姉も料理はダメ、兄貴は上手いが」
確かに……先日のバーベキューでは義兄さんが頑張ってた気がする……。






車は、鳴海氏の住居である都内の高級マンションの駐車場に滑り込んだ。
もちろんオートロックで、鍵はカードキーだった。
予想通り最上階ですよ。
カードキーで部屋を開けた。玄関広い……床、大理石だ!
シューズインクロークと備え付けの姿見の鏡のせいで、玄関さらに広く見える。なんかもー金持ちだとは思ってたけど、こういう場所にくると、お宅探訪の気持ちになってきた。
廊下の両サイドにドアがあり、トイレと浴室。使ってない部屋が2つ。
突き当りのリビングダイニングのドアを開けると全面ガラスから都内の景観が一望できる。
しかもリビングダイニングに白い螺旋階段。メゾネットで吹き抜けですか!
天井高何メートルあんのここ。
わーこんなところで納豆ご飯はくえねーな。
姉ちゃんこのマンションのゴージャス具合を見越して今日の朝ごはんを庶民の味方的な完全和食にしたんじゃね? なんて思ったね。
キッチンも対面カウンター。
冷蔵庫もでかい。
突撃となりの晩御飯的なノリで冷蔵庫を開けると、ギョっとした。
「……」
無言でバタンとドアを閉じる。
「な、鳴海さん」
「何?」
「あんた、普段何食ってる?」
「外食」
「……」

冷蔵庫の中は、ビールとワインの瓶だけだった。

聞けばクリーンサービスも月一で頼んでいるらしい。
書斎も案内してもらったけれど、机の上は雑然としてた。いかにもお仕事してますよ的な?
この男、家事はダメなのか?
そりゃ、これで冷蔵庫や食品庫に食材たっぷりだったら、逆に、そこまで完璧すぎるのも嫌味だ。
何店舗も飲食店を経営してれば、自社製品の新メニューとか接待とかお付き合いで外食も自然と多くなってるのかな? そんな不規則な食生活だろうに、この人、スタイルいいよな……ジムとかに行って鍛えているんだろうけどさ。
ふーん。
でもさー、このぐらいのギャップがいいとか思う女子はいそうだよな。


――――あたしが、食事作ってあ・げ・る。


とか云われちゃって、このキッチンであたし家事できるわよ的なアピールは何度かされてんじゃね?
「ここには、本家の家政婦さんしかこないよ」
またかよ……。
あたし、なんか云いました? 心の中ダダ漏れですか?
「莉佳が好きなようにキッチンの家電は買い替えてもいいぞ」
「いいよ、とりあえず使う、オーブンもあるし」
キッチンに戻って、お茶を淹れる。
莉紗姉が餞別にってくれたいろいろなフレーバーティーから、アールグレイを淹れた。 
莉紗姉みたいに美味く淹れられるか不安だったけれど、まあおいしい。茶葉がいいのよね多分。
「食材の買い物はしたいから、近くの商店街かスーパーに案内して」
「いいけど、今日はさっき話に出た家政婦さんが来る日なんだ。彼女に案内してもらおうか」
このキッチンの主導権をしっかり握ってそうな人物の案内のほうが、鳴海氏の案内よりはましかもしれないので、反論することなくあたしは頷いたのだった。