極上マリッジ 17






純平君は何も云わなかった。ドアを開けて住居へ戻るときに、「疲れてるだろうから、ゆっくり休んで下さい」とだけ云い残してくれた。
純平君も呆れてるよねきっと……。
あたしはのろのろと緩慢な動きでバスルームに入ってシャワーだけ浴びて、ルームウェアに着替えて自分のベッドへもぐりこんだ。
明日も休みだけど……、いろいろと試作品を作らないと……そうやって仕事をしてればこの体調の悪さとか、イライラしたり鬱々したりする気分がきっと晴れるに違いないから……。




翌朝、目が覚めて、身支度をし厨房に入ろうとするところで、莉紗姉に呼び止められた。
「あ。莉紗姉……おはよ……」
「おはよう。あんた何する気?」
「何って厨房で試作品……作ろうかと……」
「その前に話がある」
手招きされてダイニングテーブルに対面で座った。
結局、昨日はこっちの住居の方へ戻って電池が切れたように眠っちゃったから、莉紗姉が鳴海氏と何を話したのかは、わからなかった。
多分、話とはそのことだ。てか、それしかないだろう。
ダイニングテーブルに向かい合って座ると、あたしは気不味そうに視線を泳がす。

「今日、鳴海さんがこっちに来るから」

「なんで?」
「あんたとあんたの荷物を引き取りによ」
「……はい?」
なにそれ、あたしとあたしの荷物って……。
「試作品はどうでもいいから荷物を纏めなさい」
きっぱりと云い切られてあたしは椅子から立ち上がる。
「ちょ、姉ちゃん!! あたし、云ったよね!? 結婚しないって!」
「子供が出来て、相手がわかってるのにか? しかも相手はウチより資産家で、事業もあるなら、出来た子供は当然後継ぎでしょうが。親として鳴海氏は権利を主張するでしょうよ、あんたが意固地になって結婚しないでいたらそのうち親権争いで裁判沙汰」
「裁判って……あたしの子よ」
「莉佳」
莉紗姉の落ち着いた声が響く。
「正直、びっくりしてんのよ、これでも。だってあんたは、人に対して臆病だから。通り一遍の付き合いはするけれど、自分の懐に入り込ませる人間なんて数少ない。死んだオカンだってそこは心配してた。警戒を解いて自分のテリトリーに踏み込ませたら、例え相手がロクでもない人間であろうと心を許すだろうし、いいように利用されるだろうって。アンタ自身もその自覚があるのか、友人は少ないし踏み込んだ付き合いをしたがらなかった。そんな莉佳なら、恋愛したらもっと懊悩してる様をあたしに見せてるだろうなと予想していた。それが、初対面で一足飛びにセックスに至るとはね」
「だからこれは恋愛じゃないでしょ? ヤっただけじゃん。その結果じゃん。30にもなって、ヤったことないコトに失敗しただけよ。責任はあたしにあるんだから」
そう思うとまた泣き出しそうになる。

「責任と云うならまた、相手に対しても背負うべきだ。そのおなかの子供だけにかかるものじゃない」

グサリとくる。
「あんたが男で鳴海さんが女でこの状況だったらどうなのよ」
……た、確かに……逆の立場だったら、あたしは責任とりたいし……。
責任って言葉で、好きな人といられるならそれでもいいなって思うけど……。でも、あたしはそう思ってるけど、鳴海さんもそうだとは限らない……。
あたしはまた椅子に腰を下ろした。
「莉佳」
「……」
「そういう行為に至るまでの数時間とか数分とか、多分、あんたの中でもの凄い悩んだりしたと思う。でも、そういった大胆な行動に移したいと思わせる何かが相手になければ、受動的なあんたがそこまで踏み込まない」
「……」
「ということは、莉佳は鳴海さんが好きなのよ」
「……」
「あんた頑固だから、認めたくないだろうけれど」
「……う……っ」
ダメだ。姉ちゃん朝から説教して妹を泣かすな!!
「ぶつかって傷つくのは、怖いけれど、例え傷ついてもその傷は、棺桶に入るまで引きずるほどかと云われたら、そうでもなかったりするわけよ、意外とね、そんなもんなの」
ポケットからシガーケースを取り出して、それからタバコを一本引き抜こうとするが、姉はあたしを見て、タバコをしまう。
……朝起きて一服する人なのに……。
それってやっぱりあたしの身体を思ってくれてるからだ……。
「……姉ちゃん……」
「とりあえず、結果が出ちゃったんだから、もう一度アクションしてみな。びびって逃げてたらきっと一生知ることのない世界を見るチャンスを逃すよ。実際に手を突っ込んで足を踏み入れてみたら、実はそれが莉佳を今よりも滅茶苦茶幸せにしてくれる可能性が待ってるかもしれない。莉佳が作るスイーツみたいに甘くて極上な日々がね」
そんな可能性だってあるんだって、あたし思えない、臆病すぎて、度胸が無さ過ぎ。
口ばっか気が強くて、実は蚤の心臓って、莉紗姉にはバレバレ。
「もちろん、そうなるには自分の努力も必要だけど、努力の果てに幸せも得られないようだったら戻ってきてもいいしね」
「……戻ってきていいの……?」
「いいよ。だってここはアンタの実家で、あたしはあんたの姉ちゃんなんだから」
莉紗姉はにっこりと笑う。
「人生立ち直れないほど、傷つけられて、それが元であんたが棺桶に入ったら、あたしが親父の形見の猟銃引っ張り出して相手先に乗り込んでやるから、安心して行ってきなさい」
笑顔でそんなこと云っちゃうんだ莉紗姉、いや、わかっていたけど、そういう人だってことは。
「ぐずぐずしてると、純平君呼び出して、あんたの荷物、纏めさせるよ」
「姉ちゃん、最近、純平君を顎で使いすぎ」
「いいのよ、あいつそれで幸せそうだから」
「姉ちゃん……どんだけ俺様……てか女王様……」
「ほら、早くする。莉紗姉ちゃんが、朝ごはん作っちゃるから」
莉紗姉はそう云って、住居キッチンに向かって、朝食の支度にとりかかり始める。
あたしはその後ろ姿を見て、立ち上がった。自分の荷物を纏める為に……。




朝ごはんは完全和食だった。鮭の塩焼きに卵焼き、納豆に味のりと、豆腐とわかめのお味噌汁。
莉紗姉の和食は美味い……。料理はあたしに叶わないと、莉紗姉は云うけれど、ちゃんと死んだオカンが作る味と似ている……。
ゴールデンウィークの5月5日までは、この店は休みだ。
純平君はこない……。優莉と莉紗とで朝ごはんを食べたんだけど……結局30分もしないうちに吐いてしまった。
トイレに駆け込んだあたしを見て、莉紗はダメだこりゃと云いたげな表情をしていた。
「あたしも優莉の時はけっこうきつかったけど、あんたも相当ね」
「……」
「鳴海さんの所へ行っても、定期的にメールなり電話なりしてよ」
そんなんじゃ心配だわーとか云うけど、あんた追い出す雰囲気満々じゃないですか……。
「うん……」
「水分もとれなくなったらアウトだからね」
「あたし、ここ数日で痩せた気がするんだけど、気のせい?」
「体重は初期は落ちるもんだよ、問題は……産んだ後よね、元に戻すの苦労するよ」
「それは……やっぱり……」
「産んで減るって人もいるけど、増える人もいる」
「デブるってことか?」
「YES」
ひー! 
「あたし出産後ワンサイズ上ったもん」
「ギャー」
あたしは両手で耳をふさぐ。訊きたくなかった〜っ!!
姉! あんたこれから出産するとかそういう妹にそのプレッシャーですか!?
優莉はそんな様子を見てケラケラ楽しそうに笑ってる。
笑いごとじゃないのよ優莉! あんたもいつか通る道なのよっ!
「でも、莉紗姉……あたし……こんな状態で、鳴海さんと一緒に暮らすって云われても、何もできないよ……」
「向こうはそれも承知でしょうよ。懐深い男よね〜、あんたいい物件見つけてきたじゃないのよ」
そんなことを云いますがー……。
「あたし、いつもよりも使い物にならないのに、負担ばっかりかけそうなのに、それでも鳴海さんと暮らさなきゃならないの?」
「向こうがいいって云ってんだ、いいだろ。こっちはいつだって返品可なんだよ」

……男前過ぎる……。

「向こうで生活が落ち着いて、体調がよけりゃー店の厨房に来てホールケーキぐらい作ってよ」
「作るよ」
「タダでね」
莉紗姉……鬼ですかアンタ。