Fly by the invisible wing1




東蓬学園は中等部から大学部までの一貫私立校。
中等部は文武両道をモットーに、高等部は、大学、社会への進路の選択を広く持つ進学校として有名だ。

職員室から一人の生徒が出て来る。
篠塚智嗣。
東蓬学園高等部バスケ部主将。
ノーフレームの眼鏡が、周囲に冷たい印象を与える。
制服でなく、スーツを着ていれば、20代若手会社員に見えてしまうだろう。
バスケ部の連中からは、老け顔とからかわれることもしばしば。
その容貌に比例して、やはり性格も老成した感じは否めない。
バスケ部の顧問を頼みに職員室まででむき、顧問が即決したのはいいけれど、不満はある。
教師達が、篠塚率いるバスケ部に関わりたくないのがみえみえの人選だった。各部員それぞれ個性はあるものの、成績は優秀。優等生スタンスは崩していない。
普通の学生ならば、別に問題ないが、去年あれだけのことはやってのけてきたのだから、一筋縄ではいかないだろうし、そこを纏めるのかと、及び腰になっていたようだ。

東蓬学園高等部のバスケ部は昨年、彼等によって変えられてしまった。
体育会系は縦社会。
上の者には絶対であるべき新入生がバスケ部を離脱、同好会を作り、果ては正規のバスケ部に取って代わったのだ。
その時……同好会の時点では、顧問は必要なかったが、この春、正規の運動部として活動するには顧問は必要だ。
年度前に顧問を受けてくれそうな教師がいないこともなかったが、年齢的(体力的?)に無理があったらしい。結局体裁上はウィンターカップには同行してくれたものの、それ以降は入院されてしまった。
ウィンターカップ出場というお土産を持たなければ、この春、正規のバスケ部としては活動できなかっただろう。

彼等も、入学当時はこんな大それた謀反を企てる気はさらさらなかったが、当時バスケ部の先輩や活動事体に首を傾げずにはいられなかった。
中等部からの進学組みの2年が主体で活動していたクラブに新入部員が対立。
対立したきっかけは、運動部の単位目的での入部していた2年生がきちんとした活動をしていなかったため、新入生が反旗を翻した。
他校との練習試合を多く組んでいく同好会、ゆるーく活動する正規のクラブ。
当然対外的には、練習試合の申し込みは正規のクラブ宛でくるけれど、試合すれば、全然選手が違うしで、相手校は不満たらたら。
新入生が作った同好会の方が、インターハイ出場クラスとまでやりあう実力をつけている。
もちろん同好会としての活動だから文句も言えない。
そんなこんなで結局クラブを明渡し、同好会は正規のクラブへ昇格。
旧体制は、運動部所属の単位がとれればいい。ゆるくやっていきたい。そういう黙認をする部へ撤退していったという……。
まさに、東蓬学園高等部の近年クラブ活動で、もっともセンセーショナルなクーデターだと、1年経過した今でも時々校内で語られている。



「あの、篠塚先輩……」
廊下で声をかけられて、篠塚は立ち止まる。
「あたし、1年の沢渡陽菜です、お話があって。今いいですか?」
「これから部活なんで、手短に」
「あの、そのバスケ部なんですけれど、男子バスケ部のマネージャーになりたいんです」
「……」
これで何人目だろう。
後輩だけでなく同学年の女子からも、『バスケ部のマネージャー』になりたいと希望をきかされるのは……。
多分、篠塚だけでなく、他の部員もこうした声をきいているのだろう。
だけど。
こうして声をかけてくれる女子の大半はバスケに興味はなくて、バスケ部のメンバーの誰かに興味があるのだ。
別に部員が誰と付き合おうが、篠塚は全然興味はない。
それぞれみんな彼女だって欲しいだろうから、男女交際禁止なんて野暮なことは、口にださない。
ただ、活動に邪魔なモノは排除していく。
篠塚達は去年、同好会を作る時点で決めていたことがある。
今年のうちにWCに出場して優勝しようと。
その為のクラブだし、それができないならやめていけと、言い渡している。
あれだけのことをやっていて、自分が同好会の会長(現在、部長)というフロントに立っているのだから、他のヤツ等にもそれ相応のことをしてもらう。
それは部員にも公言している。

「スコアのつけ方は?」
「わかりません」
「じゃあ話にならない」
「覚えますから!」
「即戦力でなければ、意味はない。他をあたってくれ」

「……厳しいね、相変わらず」

目の前にいるマネージャー志望の彼女の傍にある柱の影から声がする。
聞覚えのある声だった。
というか……忘れたくても忘れられない声。篠塚にとって特別な声だった。
篠塚はその柱の影まで近づく。
そこにいたのは……色白で華奢な女子生徒だった。
色素の薄い茶色の髪と同様、篠塚を見上げる瞳は薄茶色。

「葛城……?」
「ただいま、篠塚」

少し照れたように、だけどはっきりと彼女は云う。

「何やってんだよ、篠塚、また女子から告白タイムかー?」

バスケ部のメンバーである桜庭が声をかける。
桜庭の隣には同じくメンバーの藤咲もいる。

「桜庭も……相変わらず、元気いいね」

彼女が少し低めの声で云う。
桜庭と藤咲が篠塚の傍に走り寄り、彼女の声を訊いた瞬間、立ち止まり、彼女を見つめる。

「雪緒……」
「まじで?」

桜庭も藤咲も、葛城に注目して、動作が止まってしまった。
バスケ部のメンバーに注目されている彼女は、篠塚に声をかけた女子を手招きする。
「沢渡さん、とりあえず、時間だからいい?」
「う……うん……じゃあ、篠塚先輩、失礼しました」
篠塚に一礼して、陽菜は葛城と呼ばれた女子の隣に立って彼女を見る。
彼女がバスケ部のメンバーと顔見知りだったのを知らなかった様子だ。
説明を求めるような視線に気がついているものの、雪緒自身にはこれからの予定がある。
雪緒は軽く手を振って、ロッカーに向う。

「葛城」
「まてまてまて!」

篠塚を押しのけて、桜庭が葛城雪緒の肩を掴む。

「いつ戻ってきた! てか、挨拶なしかよ!」

明るく陽気でマイペースな桜庭の言動に、肩を掴れた雪緒は困ったように笑う。

「ただいま」
「違うでしょ! 戻ってきていたなら、即、オレらのところに連絡は!?」
「なんか忙しそうだし、こっちもなんとか馴染まないといけないし」
「そりゃそうだけど……」
「今から病院の時間なんだ」

雪緒の言葉に、桜庭は藤咲と篠塚に振り返る。

「治ったの?」

藤咲が一番尋ねたい質問を投げた。

「……」

雪緒は肩越しに振りかえる。

「通常の生活には支障は無い程度には、治ったよ。でも検査は受けないとだめなんだ」
「傍に置いている子は、伊澤のようにはならないよな?」
桜庭の言葉に雪緒は苦笑する。
そして陽菜に頭を下げる。
「ごめんね、沢渡さん、本当にバスに乗り遅れるから」
雪緒は陽菜をその場に残して、靴を履きかえる。
「ちょ、ちょっと葛城さん?」
陽菜の声を訊かず、足早に、雪緒は校舎から離れていった。

取り残された陽菜は、男子バスケ部のレギュラーである桜庭、藤咲、篠塚の3人と、校舎を出ていく雪緒をおろおろと交互に見ているだけで、どう行動しようか逡巡していると、桜庭の声が陽菜を捉える。

「そこのキミ」
桜庭は陽菜に指を指す。
「雪緒に危害を加えたら、許さないよ」
「……はあ? ちょ、何、何のコトです? 葛城さんは……あの、あたし」

取り残された陽菜は、気まずい空気を感じつつも、それ以上に好奇心の方が勝った。
バスケ部メンバーの方に振り返る。
「あの」
「キミ」
「1―Fの沢渡陽菜です」
「沢渡さん」
「なんで先輩達は葛城さんを知ってるんですか?」
「どうして沢渡さんは雪緒と一緒にいるの?」
「同じクラスだからです!」
藤咲と桜庭は、陽菜の言葉を聞いて、背後に立っている篠塚を見る。
「今日、あたしのクラスに入ってきたんです。病気で1年遅れたって云ってました。席も近いんで、今日話して……親しくなったから、それで、バスケ部のマネになりたいから申請するんで付き合ってもらったんです」
「……桜庭、藤咲、時間がなくなる、いくぞ」
スタスタと踵を返し、中庭の中央のバスケコートへと篠塚は歩き出す。
「戻ってきているなら、明日、連絡とれるだろう」
桜庭は篠塚のあっさりした態度にイラつき、陽菜に釘をさすように、言い渡す。
「沢渡さん、オレ等の中で雪緒は特別なの。もし、それが面白くないと感じるなら、離れてくれ」
「はあ?」
「できるなら、イイ友達になってくれることを祈るけどさ」

そう言い捨てて、桜庭は中庭のコートへと走り出した。
陽菜はその場に立ち尽くして、「何がどうなってんのよ」と呟いた。