Fly by the invisible wing2




「葛城雪緒です」

そう教壇の上に立って、自己紹介する葛城雪緒の第一印象は、色白で華奢で、触ったら消えそうで儚い……どこか頼りないものだった。
病気で1年、学生生活を遅らせての東蓬学園高等部入学だということも、この時、彼女はクラスに伝えている。
クラスの大半は「ああ、なるほど」と納得していた。
沢渡陽菜は、この東蓬学園高等部には外部から受験したクチだ。
中等部から進学してきた生徒の割合が大半を占める中、陽菜は、まだクラスの女子とは、なかなか馴染めない少数派だった。
席も近いことだし、雪緒に声をかけると、彼女は物怖じすることなくにっこりと笑って頷く。
新しい学校生活、新しい友人になるとこの時は思った。
東蓬学園の男子バスケ部に興味があり、マネージャーになりたいことを話した時、少し、表情が暗かったなと、今なら思い出して納得できる。
マネージャーになりたいから、申請するのにつきあって欲しいと陽菜が雪緒に頼んだ時、明らかに雪緒は乗り気ではなかった。
だが、すぐに済むからと、付き合わせたのだ。

そして昨日の放課後の一件。

葛城雪緒は、現男子バスケ部のレギュラー達とは、面識があり、なおかつ親しい……。
以前、彼等と彼女の間に何があったのだろう。



「葛城さん、おはよう」
陽菜が雪緒に話しかける。
席についた雪緒は、陽菜を見上げる。
「うん……あの、昨日はなんか、云われた?」
「え?」
「桜庭と藤咲、なんか云ってた?」
一学年とはいえ、上級生を呼び捨てにする雪緒に、違和感を感じる。
彼女は自分と同じ学年という認識で接していこうと思っていたからだろう。
彼女が彼等を呼び捨てにすると、改めて一学年差はあったのだと認識させられる。
「一緒にいるなって云われた。危害を加えたら、許さないって」
雪緒は困ったような表情で、こめかみを指先で撫でている。
「葛城さんは……あの……バスケ部のレギュラーの人達とは知り合い?」
「……まあ知り合いっちゃ知り合い?」
こっそりと呟くように云う。
「おおっぴらに言うと、煩いでしょ?」
陽菜はコクコクと小さく首を縦に振る。
「人気者だからね……中等部でもそうだったけど」
「どういう知り合いだったの?」
「バスケ仲間」
「バスケ……」
「初等部からつるんでたの。初等部だと男女混合ミニバスとかもあって一緒にチームくんだり、中等部では部活外でのストリートの3on3の大会なんかにもエントリーして出場してみたりね」
「そうなんだ……じゃあ、葛城さんは、バスケやっていたんだ……」
「うん、病気になるまでは……」
「……そうなんだ……」

昨日、藤咲が雪緒に云った、「治ったの?」という言葉は彼女の身体を思いやってのことだったと、陽菜は改めて思う。
そして、雪緒を見て、はっとする。

「あ、今日、体育あるけれど、大丈夫?」
「多分、大丈夫、薬も持ってきているし」

雪緒はありがとうと小さく呟く。
そんな雪緒を見て、陽菜は、この頼りなさげな彼女が、あのバスケ部のメンバーと一緒にゲームをしていたとを想像できなかった。



そして体育。
バスケ尽くしだと陽菜は思う。
女子は数チームに分かれて、体育館の横2面を使ってバスケをはじめる。
雪緒の横顔を見ると、なんだか面白くなさそうだ。
「どうしたの?」
「ルールが全然なってないから」
「へ?」
「さっきのなんて5秒ルールだよ」
「5秒ルールって……?」
「相手からのディフェンスを受けて、5秒以上留まってパスもドリブルもできない場合はバイオレーションとなる。スローインとかもそう」
「へー、やっぱり詳しいね……」
「詳しくても……身体はあんまりいうこときいてくれないから……意味ないかも」
「そんなことないよ」

「沢渡さん、葛城さん入って」

ワンゲームが終って陽菜と雪緒がコートに入る。
ルールのわかってないバスケの試合は格闘技に近いなと雪緒は思う。
自分のチームのゴールポスト前に佇んで、遠くから試合の流れを見ている。
陽菜は、クラスメイトの女子につられてひたすらボールを追う。
ゴール前が混戦状態だ。
相手チームが上手くリバウンド。ガラ空きの中盤にひとりいるそこへロングパスを投げた。
投げた方も受ける相手も絶対パスが通ると核心していた。
が、雪緒はこのロングパスをカットする。
混戦しているゴール前の人間がボールを持つ雪緒に集中する。

――――どうしてこんなに混戦するんだろう? 女子のバスケって……。

雪緒は呆れ気味にボールを持った腕を振る。
指先から離れ、制限区域外からのロングシュート。
入るわけないと、相手チームは思った。
でも条件反射的に、雪緒に集まっていたプレイヤー達はまたボールを追ってリングへと戻っていく。

――――ポジションもなにもあったもんじゃない……。

ボールはリングの回りを回転してネットに吸い込まれた。
陽菜はリングを離れて遠くに佇んだ雪緒を見る。

――――すごい……上手い……。

陽菜は、入学して、すぐに注目した男子バスケの練習風景を思い出した。
その時の彼等はシュート練習していただけなのだが、陽菜の心を釘付けにする何かがあった。
そして雪緒も……。
今のシュートでわかった。
彼等と同じだと……。
ドリブルの一つ、パスの出し方一つ、全然違う。
女子バスケ部に入ってるクラスメイトは、雪緒のコトを知っているようで、

「葛城さんは……やっぱり上手いよ、篠塚先輩達とストリートにだって出てたしね」

そう呟いたので、それを耳にした女子は奇声を上げて、体育教師に注意を受けていた。



「葛城さん、大丈夫?」
「……」
女子トイレから雪緒が出て来る。
「気持ち悪……吐いた……」
「だ、大丈夫?」
心配そうな陽菜を見ても「大丈夫」とはいえない。
鏡に映る雪緒自身の顔色が真っ青だ。
「保健室にいく……次の授業の先生にそう云っておいて」
「や、付き添うよ」
そういう陽菜に雪緒は首を横に振る。
雪緒は身体を壁づたいに、寄りかかるようにして歩く。
あのあと、みんなが雪緒を頼ってボールを回し、雪緒もペース配分を考えずに身体を動かしてしまい、そのツケがこうして、体育の授業終了直後にやってきている。
「ねえ、頼ってよ! クラスメイトじゃん……!!」
雪緒は真っ青な顔で陽菜を見上げる。
その雪緒は陽菜から陽菜の後方に視線を向けて、硬直した。
陽菜は、雪緒が自分の背後に、視線を向けているのに気が付いて、振り向く。
そして陽菜の背後に数メートル後方に、階段を降りてくる篠塚を見て、陽菜は戸惑う。
先日の桜庭の言葉を思い出す。

―――――雪緒に危害を加えるなら……。

篠塚は雪緒に気が付いて、彼女の傍に走り寄る。
「葛城……」
「……」
篠塚は壁に寄りかかる雪緒を抱き上げる。
いわゆるお姫様だっこというやつだ。
陽菜はその行動にまた戸惑う。
「篠塚……」
「薬は持ってきてるか?」
「鞄の……」
「キミ」
「沢渡です」
「沢渡さん、葛城の鞄に薬があるらしいから、もってきてくれ、俺はこいつを保健室につれていくから」
篠塚のクラスは次が体育の時間、体育館への移動なのだと、陽菜は察した。
「葛城……」
篠塚の背後にいる同じバスケ部メンバーの大野が、篠塚の行動に驚くが、それよりも篠塚の腕の中にいる人物の方に注目したらしい。
「大野」
「わかってるよ、体育の荻野先生には伝えておくから、早く連れていってやれ」
「ああ」
「篠塚……歩けるから……降ろして」
「……」
雪緒の声を無視して、篠塚は雪緒を抱き上げたまま保健室へいく。
その様子を見て、陽菜は慌てて教室に駆け戻っていった。
篠塚に抱きかかえられたまま保健室に入ると、養護教諭が驚いて雪緒の傍に寄る。
「葛城さん、どうしたの?」
「体育の授業を普通に受けただけです」
「……無茶して」
養護の教諭には雪緒の病気について申し送りがあるらしく、篠塚にあいているベッドに寝かせるように指示を出す。
「今、彼女のクラスの女子が薬を持ってきます」
「そう、よかったわ」
そういうと、保健室のドアがガラっと開いて、陽菜が飛び込んでくる。
「鞄の中、勝手に見ちゃだめかなって、思って、鞄ごともってきちゃいました!」
陽菜がそう叫ぶと、雪緒は青ざめた顔で、苦笑したようだ。
「ありがと……沢渡さん……」
雪緒は鞄から薬を取り出して、養護教諭が用意した水と一緒にそれを飲み込む。
「それから……篠塚……ありがとう……」
篠塚は雪緒の髪をクシャっとその掌でかき混ぜて、保健室を出ていった。