魔女との出会い






「なんだい、誰かと思えば迷子かね」
 
 アレクは声の主の姿を探した。
 どれぐらい時間がたったのか、アレクにはさっぱりわからなかった。
 寝て起きて泣きを、どれぐらい繰り返していたのだろうと考えた。
 アレクの背後には、黒いローブを纏い、黒い髪と黒い瞳、唇の紅が白い肌によく映える妙齢の美女が立っていた。手には長い銀色の煙管を持っている。

 「まあまあ、子供のくせに、人の森を三日三晩魔術で焼こうなんて、よくも魔術がもつもんだ」
 「……誰……?」
 「おやおや、人に名前を聞く前に、自分から名乗るものだろう」

 その女は煙管を口に咥えて紫煙を軽く吐き出す。
 森を焼く炎が消えて空は曇り、辺りの空気がシンっと冷えたと感じた。
 燃えた煙に混ざって白い小さな粒が周囲に降り積もってくる。
 いまは冬じゃないはずなのに、この冷え込みと雪は魔女の魔法だとアレクは思う。

 ―――だけど……燃やさないと……あいつ等、お父さんもお母さんも殺したんだ、メリッサだって死んでしまった……あいつ等を生かしてていいものか。この魔女だってそうかもしれない、わたしを殺して貴族からお金をもらって……。
 そういう人しかいないんだ……もう……。

 空気の冷えたその周囲に再び炎を上げようとする。
 金に変わったアレクの瞳を見て、魔女は長い煙管を口につける。
 アレクの炎が発現した一瞬、魔女は再び紫煙を吐き出した。
 紫煙は白い雪の粒にかわりアレクの炎を消し、その周辺を凍らせていく。
 圧倒的な魔術の差を直に感じて、アレクは唇をかみ締める。

 「そんなに唇噛んじゃ、血がでるだろ」
 「どうせ殺すくせに! お父さんとお母さんを殺したように、殺すくせに!!」
 「アタシはアンタの両親なんて知らんわ、この森はアタシの庭みたいなもんだからねぇ、勝手に入ってきて放火なんてされちゃ迷惑なんだよ」

 言葉は荒いものの、口調はひどくのんびりとして穏やかだった。この目の前の魔女には、アレクの殺気も子猫がじゃれてるようにしかみえないようだ。
 怒鳴り返すことなく淡々としている。
 

 「アタシはこの森の魔女・ルビィローズ・ブラッド」

 ―――深淵の黒き森に、魔女がいるのは聞いた事があるけど、この人なのか……。

 「その抱えてる女はもう魂が離れてしまっているよ、そのまま腐って森の魔瘴でアンデッドになってしまう。そうしたいのなら別にかまわないんだが」
 「やだ、メリッサは傍にいるの」
 「無理だよ、馬鹿だねえ……なんでそこに転がってる馬と人間の骨みたいに焼いてあげなかったのかい? 大切な人なら真っ先にそうするべきだったんだよ」

 つまりどうでもいい男共を焼いて、魂の離れたメリッサの遺体をそのままにすることはよくないことなのだと言われたアレクはメリッサを抱きしめた。そしてメリッサの身体がアレクの放つ炎によって焼かれていく。
 骨も残らないほどに、燃えた灰が雪に混ざるように空へと立ち上っていった。

 「メリッサ……天国にいけるかな……」

 手に残った灰の最後が無くなるまでアレクは見つめていた。
 アレクの頭にふと暖かいものが置かれる魔女の掌だった。
 その優しい指先の仕草に、好戦的だったアレクの力がぬけて、小さく呟く。

 「……森を焼いて……ごめんなさい」
 
 アレクがそう呟くと魔女はアレクの頭をくしゃくしゃと混ぜる。

 「いい子だね」
 「わたし……アレクサンドライト・クォーツっていいます……」
 「ずいぶん大げさで豪華な名前だね、見た感じ町の子のようなのに」

 それはアレク自身も思っていた。
 この名前にも両親は何かを思ってつけたのだと、これまでの経緯でアレクも察する。
 アレクは空を見上げ手の甲で両目をこする。
 散々追手から逃げ、今まで使えるとは思わなかった魔術を展開させたことでアレクの疲労は限界だった。

 「アンタ、行くとこあるの?」
 「……迷宮都市」
 「行ってどうするの?」
 「……」
 
 わからない……そう答えようとしたがアレクの意識はそこまでだった。
 




 ―――あったかあい……お母さんの作るスープの匂いがする……。毛布もある……。
学校に言って、勉強してナナリと一緒に刺繍をするの、お母さんのハンカチをつくるんだ。お父さんとお母さんのお仕事のお手伝いをしてから、メリッサに宿題を教えてもらって……それから……。
 
 寝返りを打つと、アレクは眼をあける。

 ―――……そんなことはない。お父さんもお母さんもメリッサも……。ここは……どこ?

 ガバっと上半身を起こす。
 周囲を見回す見慣れない部屋。


 「起きたかい?」
 
 魔女は大きなデスクの前で何やらペンを走らせていた。

 「ここは……どこ……」
 「深淵の黒き森の中、アタシの仮託」
 「魔女様の家……」

 そう呟くとぐ〜〜とアレクのおなかが泣き声をあげる。

 「まあ、あれだけ魔力だせば腹もすくだろうよ。おいで」

 魔女は椅子から立ち上がりアレクに手を差し伸べる。
 アレクは一人でも立てると思ったけれど、差し出された掌と魔女の顔を交互に見つめる。
 噂に聞く魔女の人為りとは印象が違っていた。
 深淵の黒き森の魔女は、美しいけれど、とてつもない魔力をもっていて、その昔は戦争に参加し、魔女の行く道には草すら残らぬ荒地になるとか。人を人とも思わない虐殺すらも退屈そうにこなして、その様子を見ていた軍隊から恐怖の象徴と囁かれた存在。
 いま大陸は平和(?)だけど人嫌いで偏屈で、魔女におもねる貴族も王族でさえ無視を決め込んで、この深淵の黒き森に居を構えて日々怪しげな魔術の研究をしているとか。
 
 ―――でも、貴族が嫌いなら、大丈夫なのかも。
  
 アレクが目の前の魔女の手を握りしめると、魔女は優しげに微笑む。
 扉をあけて廊下を通り階段をおりるとダイニングらしい部屋に連れて行かれた。
 ダイニングチェアにアレクを座らせて、目の前にパンとスープを運んでくれた。

 「お食べ」

 きゅるきゅると可愛い音をたてるおなかに、魔女はくすくすと笑ってた。
 アレクは両手の指を組み合わせて、「今日の糧に感謝を」と呟く。
 そしてスプーンを握り、スープを口にする。
 何日かぶりの暖かなスープというのもあるけれど、いままでに食べたことのない味だった。口に手をあててもだもだする。
 
 「おいしい!」
 
 魔女は向かいに座って、一心不乱にスープとパンを口にするアレクを頬杖ついてみつめている。
 スープとパンを食べおえると、アレクは食器を重ね、洗い場に向かう。
 洗い場には洗い桶があるが水がない。水甕も見当たらない。

 「魔女様、お水は魔法で出してるの?」
 「いいや。目の前にある細いパイプの横に色石があるだろ、そこに触れてごらん」

 言われたとおりにすると細いパイプから水が流れてきた。

 「すごぉい」
 「みたいだねえ……王都の連中もそう言うね。アタシのもとの世界には当たり前にあったものなんだけどね。水を止めるときはその石にもう一度触れてごらん。止まるから」

 アレクは食器を洗い、籠に食器を伏せた。そして色石に触れると水は止まった。

 「さて、アレクサンドライト」

 アレクは名前をよばれて、魔女をみつめる。

 「うん、いい名前だけど長い名前だねえ、アレクでいいかい?」
 「はい」

 さきほどまで座ってた椅子に座るように促されて、アレクはこしかける。

 「で、迷宮都市に行くところだったんだ?」
 「はい」
 「アンタ、記憶持ち? それとも迷い人かい?」
 「きおくもち……? まよいびと……?」

 きょとんと小首を傾げるアレクに魔女は頬杖ついたままアレクを見つめる。

 「その魔量ならばそうかと思ったんだけどね、その年齢で森を三日三晩焼くなんてね、ここの世界の人間には、そうそういないから」
 「それってなんですか?」
 「記憶持ちっていうのは、前世の記憶を持ったまま生まれてくる者で、迷い人っていうのは、こことは別の世界から呼び寄せられた者のこと。魔術だったり知恵だったり力だったりいろいろと余分に力を持っている者。ちなみに、アタシは前者。ここ数年、そういった奴等は迷宮都市に集ってるからね、てっきりそうかと思ったんだけど」
 「お父さんの故郷が辺境伯爵領みたいで、そこに行く予定でした」
 「そう……で、その両親は? 殺されたと」
 「はい……殺されたんだと思います……わたし、見てないし、ただメリッサがそう言ってました」
 「で、迷宮都市に行く気かい? 誰か宛はあるのかい?」
 「……お父さんの故郷だから……でも……宛ては……」
 
 アレクの父親は辺境伯爵の後継の一人とメリッサは言ってはいたが、なぜそれがラース子爵領で普通の暮らしをしていたのかはわからない。

 「わからないことばかりなんです……」
 「いいよ、アレクのわかる限りで話してくれないかい?」

 アレクは頷いて、自分の生い立ちからこれまでのことを魔女に語った。
 魔女は頬杖をついて、アレクの話に耳をかたむけていた。
 アレクが話終えると、立ち上がって、カップにお茶を注いでアレクに渡す。
 アレクはお礼を言って、カップに口をつける。
 香りがよくて、爽やかなのにほの甘いお茶に、気持ちが落ち着いた。

 「アンタのその魔術、まだ不安定だし、そのまま迷宮都市に行かすのは、なんだか怖いんだよねえ……あそこはほら、いろいろ違うから」
 「迷宮都市だから……?」
 「そう。大陸のイレギュラーというか、別次元というか、貴族だったら一度ぐらいは足を踏み入れてるだろうけどさ、この森を抜けたり、もしくは海路でいくとしても、迷宮都市に出入りできるのは名前が通ってる商人ぐらいだね」
 「……薬を売ってたの……それで商人にまぎれて海路から目指そうとしてたけど、メリッサが森を抜けるほうが追っ手をかわしやすいからって……海路を使う商人は金を詰まれたらわたし達を殺すだろうからって……」
 「ああ……そうかもね、それはあるねえ」
 「魔女様」
 「うん?」
 「庶子ってなに?」
 「……」
 「お父さんは、辺境伯爵の庶子だって……メリッサがいってた」
 「ああ〜そうか〜それでか〜」
 「だからラース子爵はお父さんを殺したんだって……」
 「あのガキ誰に似たんだろうね、がめつい奴だ」
 魔女はラース子爵と面識があるのか、呆れたように毒づいた。
 「アレク、お父さんとお母さんの仇をうちたいかい?」 
 「魔女様に……敵わないから、無理なの……わかってる……。多分貴族って、たくさん騎士や魔術師をかかえてるんでしょ? 仇をうってお父さんとお母さんがもどるなら、仇もうつけど、できれば……仇っていうよりも、返してほしい……お父さんとお母さんとメリッサを」
 「思ったより、聡い子だね。感情のままに森をやきつくそうとしたわりには」
 「あの時は……魔術なんて初めてで……なんかもう、全部焼きつくそうって思ってました」
 魔女はよしよしと、アレクの頭をくしゃくしゃと撫でる。 
 「反魂の術はねえ……研究してるけど、まだ無理。なんかいろいろ条件厳しいし、魂の入ってた身体がないからなあ……アレクのご両親は、ごめんね。あれは神の術の領域だからね」
 
 まだ無理、研究してるという言葉にアレクは眼を見開く。 
 多分、死者蘇生が今の段階では無理だけど、研究してるし、いつかは可能だと、この目の前にいる魔女は言うのだ。
 いくら魔術師でもそんなことができるなんて話はきいたことがなかった。

 「ところで、アレクは何歳だい?」
 「10歳です」
 「……アレク」
 「はい」
 「アンタ。しばらくここにいない?」
 「え?」
 「いろいろ事情は把握した。アンタのその魔力も気になるし、それにアンタ、なんか癒されるのよ。アタシも年かしらねえ」

 そういうと、魔女は銀の煙管を口に咥え紫煙を吐き出した。