A miraculous day2




小さなバッグに、貴重品を入れて玄関から出ようとした静の携帯が鳴る。
誰だろうと思って、静は携帯の着信に視線を走らせる。
(美和子さんだ)
通話ボタンをオフにして、耳をすませる。
「もしもしー? 静さん?」
「美和子さん」
「奏司から電話あったのよー。今日検診だから付き合ってってね」
「すみません。奏司だけですよ、今日はなんだか特に心配って……美和子さんにまで連絡入れるなんて、申し訳ありません」
「いいのよーわたしも今日は暇なの。クリスマスイブなのに暇なの! なんで一緒に病院に行ってもいい? そのあとランチして、ベビー用品見に行かない?」
「いいんですか?」
「いいのよー病院いくと小さな赤ちゃんも見られるしー」
電話の主は奏司の叔母で養母でもある美和子からだった。
年齢よりも若く見え、明るくて気さくな人柄だ。
子煩悩な人なんだなと以前から思っていた。
事故で両親を亡くした奏司を引き取って育てた人だ。
彼女は結婚して数年、子供に恵まれなくて悩んでいたようだが、そんな折に、奏司を引き取ることになって、その悩みは解消されたのよと云う。
ことあるごとに、「でももっと赤ちゃんのころの奏司と遊びたかったな」というのだ。その話を聞くたびに「遊ぶって……」と奏司は口ごもる。
「じゃあ、お言葉に甘えて、病院で待ち合わせしましょう。たくさん待ちますよ?」
年の瀬だし、受診する妊婦は多いかもしれないと、静は予想している。
「うん、大丈夫。わたしの家の方がそこの病院より距離があるから、もし、終わってたら待合室で待っててね」
「はい」
「じゃあねー」
電源ボタンをオフにすると、奏司のあの人懐っこいところは、美和子の影響が大きいのかもしれないと、静は思った。
 
バスに揺られて、病院前で降り立つ。
最初、産院をどこにするかで悩んだ。
結局奏司のマンションから一番近い総合病院に決めた。
とにかく奏司がいろいろ最後まで悩んでいた。
初産だし、生まれた子供がかかりつけられる小児科がある方がいいのか。
専門的なところでも、やはり小児科としてもやってる個人産院もある。
静自身は、どちらでもよかった。
その態度に奏司は驚きを隠さなかった。
(どうして、そんなに無関心なの?)
(無関心じゃないよ、病院よりも自分にプレッシャーを感じてるだけ)
そういうと、奏司は静の手を握る。
(じゃ、総合病院にするね)
そして決まったのはこの病院だった。
担当は40代の女医さんなので、そこも奏司が病院を決めた理由の一つだ。
総合案内でカルテを貰って、産婦人科の階に移動する。
産まれてくる赤ちゃんをイメージしてか、ソファーの色もパステルカラーの暖色系。
待合コーナーの周りにディスプレイされている可愛いパイル生地のマスコットはもう、静の目にはなじみのものになっていた。
ソファに座ると、人知れず溜息が洩れた。
いつもなら、設置してあるマガジンラックのベビー雑誌に手を伸ばすところだが、今日はそんな気になれなかった。
奏司のライブが今日だというのもある。
一年前は、忙しかった。
今年はもっと奏司の方は忙しいに違だろう。
いや、忙しかったのは今日までか。
ライブ当日。
つまり本日。
シングルCDが発売される。
せっかくだから、クリスマスソングなんだよと、先日マンションに遊びにきていた石渡が云ってた。
今はリハの真っ最中だろうか……そんなことを考えてると、腹部の方に妙な感触がある。
確かに、今朝からおかしいといえばおかしかった。
初産なのでおなかの張りというのがどういうものか最初はピンとかなかったが、最近になって、コレが張りなのかというのを良く感じる。
その張り具合は今日はひときわ強く感じたのだ。
だから奏司が気にしすぎるとは、強く否定もできなかったし、出かけ前にかかってきたの美和子の電話にも、遠慮する言葉はでてこなかった。
――――不安なのかな。
静がぼんやりと思っていたら声がかけられる。
「静さん」
「美和子さん」
「検診終わった?」
「いえ、そろそろ声をかけられます」
「あ、そうなんだーナイスタイミングだわー」
美和子の明るさが、静をほっとさせる。
「奏司には、云ったの? 産まれてくる子の性別」
「それが……検診の時にエコーでわかっちゃったんです」
「え?」
28週頃だったろうか、その日、偶然時間の空いていた奏司も付き添って検診をしてた時に、担当医から、「ご主人はお子さんの性別知りたいですか?」と問われ、静が答えるよりも早くエコー画像には、男の子の赤ちゃんだとはっきりとわかる印が映しだされていた。
その話を美和子にすると、彼女はケラケラと笑う。
「あらあら、じゃあ、もうわかってるんだ。産まれてくるのは王子様なんだって」
「王子様……」
「パパは王子様系だから、ベビーも王子様よー。薄いブルーのカバーオール見ようね」
「はい」
やはり、奏司は美和子の影響大だなと静は改めて思った。
「神野さーん、第二診察室へどうぞー」
結婚して自分の姓が高遠から、神野になったんだと実感するのは、こういう病院や銀行の待合室で名前を呼ばれる時だ。
美和子に会釈して、云われるまま、診察室へと入る。
あいさつを交わして、どうですかーと尋ねられて「少し、おなかが張りますと」と云うと、担当医は小刻みに頷く。
体重とメジャーでおなか周りのサイズ、血圧、そして赤ちゃんの心音も確認する。
それと一緒になにがしかのデータをとった細長い紙……波形が記載されているそれも出てくる。
くぐもったカサカサという音のむこうで、バクンバクンという早い心音が聞こえてくる。赤ちゃんの心音を最初に訊いた時は、驚いた。奏司も驚いていた。規則的だが、かなり速いテンポだった。こうして何度か心音を聞く回数が増えてきているけれど、どきどきする。
診察室内の引き戸から、内診台に移動して、そして内診を受ける。座ったすぐ横にあるエコー画像を映し出すモニタは、角度を変え胎児が映る。
その診察を終えて、また最初の血圧を測った診察室へ戻ると椅子に座った担当の女医さんは静に向き直る。
「神野さん」
「はい」
「神野さんは、立ち合い出産希望ですよね」
「……はい……」
「本日ご主人とご連絡とれますか?」
――――これはもしかして。
医師の前振りに、静は次の言葉を予測していた。
静が次にどんな言葉をくるか待っているのが、担当医にもわかる。
担当医は頷く。
静が予測しているとおりの言葉を、担当医は云う。
「赤ちゃんね、産まれそうです。今日、出産しましょう」