Fruit of 3years14




ピンポーンとドアチャイムが鳴る。
静はモニターを覗いて、エントランスのドアロックを解除した。
二分後に、もう一度。ドアチャイムが鳴るので、静は玄関に出てドアを開ける。
「こんばんは」
ドアの外には彼が立っている。
静はにっこりと笑う。
その笑顔にちょっと驚いた表情をする彼。
「ご機嫌?」
「何が?」
「今の笑顔、チョー可愛いかったんですけど? チューしていい?」
奏司の言葉に、静はクスクス笑う。
「退職願い出したわ」
「うん、佐野さんがメールで連絡受けたみたいで、びっくりしてた」
「なんで? 私が奏司のプロポーズを受けたのは知ってるのに?」
「いや、実はオレもびっくり。だって静は結婚しても仕事はするもんだと思ってたし?」
「あれ? 辞めちゃ駄目だったの?」
「そうじゃなくて、静が、オレと結婚するっていうだけで仕事辞めるような人じゃないって思ってたんで、そこが意外っていうか……」
「意外じゃないでしょ。子供ができれば、30越えて初産なのに、大事はとりたいでしょう?」
奏司は静の両肩を掴んで、正面に回り込み、彼女の顔を見つめる。
「……奏司、狙ってたんでしょ?」
奏司は息を詰めた。
「知って……たの?」
いつだったか云われた言葉。
―――――――オレ手段を選ばないことにした
その意味はこれだったのだと、静は理解していた。
「わかるわ、だから避妊してくれなかった」
「ごめん、ごめんね。でも、オレ、もうこれしか方法ないかなって、いつまでも静はオレのこと考えてくれないし、決定的な既成事実をつくちゃえば、逃げられないと思って、そりゃ、かなり乱暴だけど……でも……」
「うん、最初はね、わからなかったけれど、この間……その……シタ時にそうかなって」
「怒ってる?」
恐る恐る、奏司は静の顔を覗きこむ。
「そうね、結婚してくれなかったら、怒ってやる」
静の一言で、またぱあっと表情を一変させた。
「それはオレの台詞でしょ!」
ぎゅうっと彼女を抱きすくめる。
二人で感じる体温が心地よくて、静は奏司の胸に顔を埋める。
猫を撫でるように、奏司は静の頭を撫でる。
「静は、その、嬉しい?」
躊躇いがちに、いつもの彼らしくない消極的な口調。
「うん?」
「オレと静の赤ちゃん、嬉しい?」
奏司にしてみれば、一か八かの賭けだった。
こんな相手に負担をかけるようなやり方で、自分の気持ちを押し通して、静の性格なら、逃げ出すんじゃないかと思っていた。
逃げ出すか、何事も無く、言葉は悪いけれど、子供のことをなかったことにして、仕事を続けることもありえた。
だけど、そうしなかった。
こうして、奏司に向き合って、ちゃんと報告してくれる。
それだけで十分幸せだけど、この奏司が望むものを強引なやりかたで付き合わせたんじゃないだろうかとそういう不安がある。
もちろん静も、この事実は、確かに身に覚えはあるけれど、やはり結果がわかるとそれなりに動揺はした。
だけど、この存在が、自分には必要だったのだと、はっきりわかった。
だから、決断したのだ。
仕事をやめることも、この彼との未来を。
「うん」
「よかった……ごめん、もうこんなことはしない、今後の家族計画はきちんとするから!」
彼の云う『今後の家族計画』の言葉に、静は噴き出す。
静は奏司を促して、ソファに座る。
「うん……そうして。それでね、病院は、まだ行ってないの、ちょっと出血もあったから気になってる。もう止まってるけどねだか最初は違うかなとも思ったんだけど、やけに胸が張って……それで検査薬では陽性だったから多分間違いないんだけど」
退職願いを書こうと思ったのも、そういうところからだと伝えると、奏司の顔色が変わる。
「明日! 明日行こう! 朝イチで! なんだよ! どうしてそういうの云ってくれないの!?」
「今、云ってる」
「引越しの支度も自分でするな! 業者に任せろ!!」
部屋に点在するダンボール箱を見回して、慌てて叫ぶ。
「明日、オレも一緒に病院付き添うからね」
「奏司……一緒に病院って……産婦人科なのよ?」
「うん、全然平気」
「……そうなんだ」
「あ、病院決めた? ここの近くの病院にする? 大きい病院あったよね、産婦人科もよさげな……でも、オレのマンションを新居にするから、そっちの方の病院がよくない? 何かあった時、近い方がいいと思うんだ」
「そうね、奏司の云うように、近い方がいいのかも……」
「じゃ、お泊りセットを用意して。オレのマンションに移ろう。ここの引越しは本当に後日、業者に頼むこと」
「そうする。大物家具家電は、このままでいいって、家主が云ってたわ。残るのは本当に私物、PCと本と服と……。単身パックで済みそうだわ」
静は頷いて、服や化粧品、貴重品をバッグに詰め込んだ。
「夕飯は食べた?」
「まだ」
「だめじゃん! 食べなきゃ! あっ……もしかしたら、その、つわり?」
「ううん。まだ全然そんなんじゃないと思うけど、でも、そうなのかな? ……奏司は? ごはんは?」
「オレもまだ。マンションに戻ったらピザのデリバリーでも頼もう。車には平気? 酔わない?」
「多分平気だと思う。」
「よし、出発」
奏司は右手で静の荷物を持つと、左手に静をの手を握り、ドアへ歩き始めた。
 
翌朝。静と奏司は軽い朝食を摂ると、病院へいく支度をした。
「どうしたの、奏司、その服」
リクルートスーツに伊達眼鏡。若手ビジネスマン仕様の格好に静は驚く。
「変装。普段のカッコで病院付き添ったら、注目の的でしょ、いい加減、オレも自分が売れてるのわかってるって。静はヤでしょ、フォーカスされるの」
「だから、独りでも行けるわよ、病院ぐらい」
「いや、オレが付き添いたいの。お父さんだから」
そういって、静の腹部に手をあてる。
ロングフレアのスカートにカットソーという普段よりもラフな服装の静。
これじゃいつもと正反対だと思う。
「今日だけよ、あとは控えてね」
「えー」
不満そうな声を上げる奏司に、静は溜息をつく。
「奏司、お父さんは我慢しないと」
そういうと、奏司は嬉しそうな顔で、静を後ろから抱きしめる。
「もう、じゃれてないで、病院行こう」
奏司の腕を軽く叩いた。
 
診察を待つ間、妊婦さんが行き交う待合室でも、奏司は備え付けの育児雑誌を広げていた。静もその横で、雑誌を覗き込む。
小さい赤ちゃんが掲載されているページを繰りながら、赤ちゃんグッズにこんなものがあるのかなんて二人で呟きながら診察の順番を待った。だから長い待合時間を過ごしていても苦ではなかった。
そして幸いなことに、顔を雑誌にむけていたので、奏司は注目されなかった。そこがまず、静をほっとさせていた。
静が呼ばれて、奏司も診察室に入る。
今までの経過を静は医師に伝える。
「生理はいつも決まった周期でした。ですから多少の出血があったので、生理かと思ったのですが、量も少なく、胸の張りもつづいてて一週間ほどおいて検査薬を使用したら、陽性でした」
「うん、待合の時に、採尿してもらったのを調べたら陽性でしたよ。ご主人はそこで待っててください。奥さんはそちらのドアへ。内診しましょう」
静と同年代ぐらいの女医がはきはきと指示を出す。
内診を終えると、静は診察室に戻って、椅子を勧められた。
「おめでとうございます。今、6週ですね、出血は着床出血でしょう。子宮内に確認できました。お腹の張りや痛みは?」
「少し」
「少しでしたら大丈夫です、でも無理をなさらないで……あ、ご出産する方向の診察でよろしいですよね?」
「はい」
静よりも早く、奏司が答えたので、静は困ったように、そして照れたように笑顔で頷いた。