Fruit of 3years11




――――仕事は辞める。
 
多分ここにいるメンバーは、高遠静は結婚しても仕事は続けるだろうと思ってた。
静を仕事で知る人物も、きっとそう思っているだろう。
だが、静は……奏司のプロポーズを受けて、決断したことは仕事を辞めることだった。
「な、な、なんで、や、辞めるって……。高遠さんは結婚するなら家庭に入るってタイプじゃないでしょ?」
確かに神野奏司が結婚相手なら、経済面では問題はない。むしろ稼ぎに稼いでいるから仕事に嫌気が差して結婚するならばこれ以上はないだろう。
だがしかし、静がそういうタイプの女性でないということは、周囲の誰もが認めている。
結婚するから仕事を辞めるというのは、この目の前の人物に限ってはありえない……。
「タイプ云々じゃない同じ業界にいるわけにはいかない。相手が相手なんだから」
「……そりゃ……若手大物ですけど……でも、高遠さんぐらいのキャリアがあれば会社も……」
「私のキャリアよりも神野のこれからでしょ。結婚となるとガクンと売り上げが下がるかもしれない。アレがもう十歳年いってれば問題ないけど、まだ22。結婚しましたなんて大々的に公表することはしない。売り上げに響く。なるだけ極秘にして時間経過後にバレるなら仕方ないという状態にまでもっていきたい。だから結婚したら仕事は辞めます、チョロチョロして動き回ってどこでどう漏れるかわからない。よってコレはオフレコです。誰にも漏らさないように」
眼鏡越しに訴えられて三人は無言で首を縦に振らずにはいられなかった。
「となると、おれらのマネージャーは……」
「人事の決定権はないからなんとも云えないけれど、多分井原さんに一人でやってもらうことになるでしょうね」
『ぶるうべりー』の三人はものすごく不安な表情を浮かべた。
「な、なによ、あんたたちその顔は」
不安な顔を見せる彼らに井原はむっとする。
「『クルス・マリア』と『神野奏司』を担当した高遠マネージャーの後任が井原さん……」
「新人のおれら的には、大船に乗っていたはずが、いきなりの難破船に……」
「いかだじゃねえか……」
「おいっ!」
修と圭介、そして井原の漫才めいたやりとりに割り込むように。
「そ、それより、その、あの」
千帆が両手をぶんぶん振って、静に詰め寄る。
「?」
「その、おめでとうございます」
「……」
「……」
修も圭介も井原もその言葉を一番先にかけてあげるべきだったのではと思い直して、はっとする。
静は千帆の顔を見つめて表情を変える。
柔らかく穏やかに笑って静は「ありがとう」と呟いた。
とにかく打ち合わせや仕事の受付、スケージュールの整理も綿密にナオに教え込むというよりもはや引き継ぎの域に達している。
「s社のデジカメCMをとってるって、高遠さん、これ、神野君の仕事だったはずじゃ……」
「契約期間切れるし、新人をプッシュしたいから代理店の知り合いに頼んでみたら変更できたから」
「撮影もこんなに! いいんですか? そんな神野君の仕事……」
「これは私がとってきた仕事。神野は契約対象。それを変更しただけ」
ナオがごくりと咽喉を鳴らす。
「鬼ですね」
仕事になると恋人の仕事の契約も何もないのだろうかとナオは引く。
「神野はね、もう黙っててもCMオファーが向こうからやってくるまでになったの。こっちはこれから売ってくの」
わかる? と静は首を傾げる。
そんな忙しさは相変わらずで、あっという間に一週間が過ぎた。
 
「それでコレですかあ〜、張り込みましたね、あの僕ちゃん」
ようやく休みが取れたある日、歌恋が静のマンションを訪ねてきた。
張り込みましたねとは、当然、静の左の薬指にある指輪を差している。
「で、結婚するんだ?」
「そう」
「まあ、照れたり否定したりしないってことは、あんたも腹くくったってコトよね?」
静は荷物整理を一旦止めて、歌恋にコーヒーを淹れる。
部屋の中には、ダンボール箱があちこちに点在していっる有様だ。
「実家にも連絡いれるんでしょ?」
「まだちょっと迷ってるけど……でもいれないとね……」
「どうした?」
「体調良くないし」
「あら、メンタルでやられた?」
「いいやフィジカルでやられてる。多分……」
「なに?」
「まだはっきりしないんだけど」
「うん?」
 
「できたかもね」
 
ゴフッと歌恋がコーヒーを気管に詰まらせる。
こぼさないようにといいながら、静は歌恋にタオルを差し出す。
「な、な、な……」
「予定はニ、三日前だったから、単に遅れてるだけかもしれないって思ってた。けど、なんか変なんだよね、今朝きたかなって思ったんだけど」
出血量が全然違うのだ。だからもしかして思ってはいる。
「まあ、身に覚えはある」
奏司が海外レコーディングから帰国してきて一ヶ月近く。その間週一には逢って、関係をもっていた。
奏司は、わざと多分、避妊をしてなかったと思う。
「調べろ! 今すぐ、妊娠検査薬買って来い! それで、荷物整理は重いの持つなー!」
「あとで買ってみる。それに……様子をみたい。ぬか喜びさせたら、がっかりする、かわいそうでしょ」
「かわいそうって……神野?」
「うん。子供の頃の強烈な事故で、いきなり家族を失った奏司は、早く家庭を持ちたがっていたからね」
「……そういうプロフィールはきいたことあるけど」
「手の甲の傷はそれの名残」
体中に大小さまざまな傷跡を残しているのに、奏司と身体を重ねて思うことは、彼の身体は綺麗だいうこと。
歌うことは、スポーツ選手ほどではないにしろ身体がやはり資本なのだ。
ライブステージで、若い女性を虜にする彼の映像を思い出す。
自分を魅せることを、彼は無意識にやっていた。
二時間を歌って踊ってのパフォーマンスをする為には身体を鍛えてるらしい。
鍛えられてる若い青年の身体はたとえその表面に傷があっても、静には眩しいものだった。
「そっか、あいつの傷ってその時のものか」
「傷自体に関しては、本人は気にしてないみたいだけどね。ただね、その傷があるとさ、記憶は風化しないでしょ。その事故も、事故が起きる前、奏司を大事に育てていたご両親のことも。家族に思い入れがあるのも、当然だわ」
 
――――家族。
 
奏司がいきなり無残に失ったもの。
そして、静が自分でここ15年近く、遠くにおいてきたもの。
「それで若いクセに結婚願望が強いんだ、あの子」
「男はいつまでも遊んでいたいんだろうなと、あの子に会うまではそういう風に思ってたな。個人で差があるなんて思わなかった」
「そういう男が周囲には多かったってところよね。女は仕事や環境に行き詰っての『結婚したい〜』とか逃避的な思考に陥りやすいし……で、それで仕事はどうすんの?」
「辞めるわよ」
「あんたが辞めるのは……仕事からの逃避じゃないわよね? やっぱり子供? 子供が大きくなったら再就職とか?」
「年齢的に求人は難しいでしょ」
「じゃあ専業主婦? うわ〜似合わなーい。 再就職できなかったらウチ事務所にきてよ〜」
歌恋の容赦ない言葉に、静は苦笑しながら答える。
 
「私にとって、家族を持つことは仕事よりも、難しいことかもしれない」