「たーだーいまー」
その日、珍しく遅い帰宅に、真咲の母親は驚いたようだ。
「……どうしたの?」
「お腹すいた〜」
「すぐにご飯できるけど、あんたこの時間まで一体ナニをやってたのよ」
真咲の母もパートづとめで夕方に帰宅するのだが、それよりもやや遅い娘の帰宅に驚きを隠せなかった。
いつもなら母の帰宅の方が遅い。
今日は制服のままでどこへふらふらしていたんだろうといぶかしむ。
時刻はもうすぐ夜の7時だ。
真咲はダイニングの時計を見て――――わあ、いつもより遅い、宿題の時間やばい! と思った。
「どこでなにしてたのよ」
母の言葉に真咲は答える。
「幼稚園〜」
「はあ?」
急いで制服から室内用のジャージに着替えて、食卓の前に座る。
夕飯を食べながら、今日の顛末を母親に報告する。
学校では我関せず、傍観者タイプにもかかわらず、いやだからこそか、学校であった記憶を言葉に出して反芻する。
この年の子にしては珍しいと言われるが、真咲の母親がそういう雰囲気を持つからだろう。
いわゆる友達親子なのかもしれない。。
もちろんコレといったイベントやアクションがなかった場合はこんなに報告はしないが、今日は話題満載だった。
食べ終わる頃には、今日の出来事をあらかた話し終えてた。
「というわけで、そのガンちゃんって子に協力して遅くなったのね?」
「うん、ガンちゃんすごいっしょ?……」
「ふうん」
母親はニヤニヤ〜と笑いながら真咲を見つめる。
「好きなんだ〜ガンちゃんのこと〜」
母親の言葉に真咲は慌てる。
「ばっ、ち、ち、ちがうよっ! 別に、そんなんじゃないよっ!」
「えー、あんた入学当初から結構、ガンちゃんの話題は口にしてたよお」
「……そ、そうかな……」
確かにガンちゃんには注目していた。
学校のイベントがあるたびに、何かしら目立っていたのだ。
「いやいや、でも好きとかじゃないし! 顔なら飯野君の方が断然タイプだし!」
「ああ。飯野君ね……飯野君もすごいねえ、お母さん入院して一人で妹の面倒見てるなんてね」
「そうだよ! あたしなんて制服のシャツのアイロンがけも気分でしかやらないのにさ」
「自覚あんだ」
「……あるよっ。ごめんねっ」
「じゃあ、食った茶碗ぐらい洗え」
「へーい」
そう云われて、真咲は素直に食べ終えた食器を流しにおいて、スポンジに洗剤をつけて洗いはじめる。
洗いながら、飯野君は、毎日これをしているのだと思うと、ちょっと切なくなった。
女の子たちから騒がれるほど、綺麗な顔をしているけれど、その綺麗な顔に出ない苦労がたくさんあるに違いない。
苦労が顔に出ないのか……。
朝ごはんも、妹がいるから作ってるって云ってた。
「簡単だけどね、トーストに玉子焼きとか目玉焼きとかそれぐらいで」
幼稚園児の妹の手を引きながら、そう答えていた。
学校のアイドルが、そんな苦労人だったとは真咲は驚きだった。
「おにいちゃんねっ、ぱんとね、たまごとね、よーぐるともね、つけてくれるのっ!」
「そっかあ、桃菜ちゃんのお兄ちゃんは、優しいなあ」
ガンちゃんは桃菜ちゃんの話し相手になってやっている。
「うん! おべんとうもね、つくってくれるの!」
「マジ? 飯野君お弁当作るの!?」
真咲は声を上げると、飯野君は慌てる。
「そんなたいしたもんじゃないよ、お弁当日は週に一回だし。毎日じゃないし、主食もおかずもマジで冷凍食品を全部つめてチンしてやるだけだから! 幼稚園児は俺達とは食べる量が断然違うからさ!」
飯野君は耳まで真っ赤にしてパタパタと手を仰ぐようにして云う。
「ええ〜すごい〜、ソンケー。これを知ったらますます飯野君の株はあがるよね」
「おい鎌田、女子でいねえのか、そういうの買ってでてくれそうなヤツは」
瀬田の言葉に真咲は唸る。
「うーん……」
いや、飯野君本人が、実は困ってるぐらい云えば、挙手する女子はたくさんいるだろうけどさ。ただ……プライベートに他人を介入させるってことだから……それによって、飯野君が迷惑にならなければいいのだが……。
「鎌田さんそんな真剣に思い巡らさなくても……」
「うーん、ごめん、あんまりネットワーク広くない人だから、思い当たる人物がないわー」
「だよな、お前が今回のことに首突っ込むのが珍しいぐらいだ」
瀬田の突っ込みに真咲は眉間に皺を寄せる。
「いや、ごめん、だって飯野君が困ってるって言えば、女子の何人かは協力してくれるっしょ? 今回の衣装作りだってそうだし。飯野君本人が、家事手伝ってとか云えば、やるやるって子もいるだろうけど、限度をわきまえて、完璧で、迷惑かけず、家の理解があってなどなど、そう云う条件があるじゃん? それを考慮してこの人でって、そう云う人物が思い当たらないから推薦できないのよ」
「鎌田さんすげえ、そういうこと考えてんだ」
ガンちゃんが振り返って、そう云う。
「いや、普通考えるよ! 違う? 誰でもいいなら、ガンちゃん……岩崎君がやったみたいに、教卓前で大募集すりゃいい話でさ」
「ガンちゃんでいいよ。オレは鎌田さん参加は嬉しかったけどな」
ガンちゃんの言葉に、真咲はドキンとした。
「鎌田さん、真面目だしさ、責任感あるし、すっげーやるときゃやるさの人だと思うから、あ、真咲って呼び捨てにしていい?」
真咲は耳の付け根まで真っ赤になるのがわかった。
男の子に呼び捨てにされるのは、幼稚園以来だ。
「いいよ」
「ももなもよびすてにしていい?」
ももなちゃんが小首を傾げて、真咲に云う。
「うん! いいよ!!」
「桃、真咲ちゃんていいなよ、お姉さんなんだから」
「うん! まさきちゃん!!」
「真咲ちゃんは、さ、結構あれだよ、先生受けいいしさ、女子にだって割と人気あるから」
「……あーうー」
「グループ超えて声かけられるタイプじゃん」
「ああ、確かに、そうかもな、鎌田って、あれだよな派手系女子にも地味系女子にも声かかるじゃん」
「でも、どっちかっていえば、地味系だから」
「十字グラフだと真ん中よりだって」
光一が云う。
「真ん中より……」
「まとめて下さい、オレ等と一緒に、みんなをさ」
日が沈んだ薄いブルーの空の下で、そう云って笑ったガンちゃんの言葉に、真咲は黙って頷いたのだった。
そして、その真咲の出番が、次の日にくるとは思わなかった。
「鎌田!」
社会科の授業が終った時、中澤先生に呼ばれた。
「はい」
「ちょっと」
終業チャイムと共に給食準備が始まる中、移動を始める椅子や机を上手い具合によけて、教卓へと歩き出す。
社会科の先生は手招きしながら、教室の外へ、真咲を呼び出した。
「なんでしょう」
「お前、岩崎と今回ナニかやらかすんだって?」
「……はあ、まあ、先生のクラスの飯野君のお手伝いですよ」
だから飯野君に直接きけばいいのになあと真咲は思う。
「ああ、飯野からは聞いたよ、そこでお前に頼みあんだよ」
「あたしに?」
「そうそう、ウチのクラスの菊池な、それに加えてやってくれねえかな?」
「菊池……」
「菊池愛衣だよ」
真咲も名前だけは知っている。
夏休み過ぎからクラスじゃなくて、保健室で自習している保健室教室の子だ。顔までは思い出せない。
「はあ、まあ、多分人手はあった方がいいとは思うんですけど……」
本人はどうなんだろうと真咲は思う。
「けど、ウチ等、強制参加とは違うんですよ、自主的に手伝いたい人が手伝うって感じですから……本人が嫌がっていたら無理かと」
先生は出席簿で後頭部を掻く。
「いやー家庭科の佐々木先生がなー菊池を保健室から出す切欠になるんじゃないかって云うもんだからさー」
「佐々木先生が? ……あ、あー……菊池さん、ああそうか」
真咲は一ヶ月前にあった文化祭の作品展示を思い出す。
生徒が日常やっている教科の作品を展示するコーナーがあり、クラスの女子の大半がヒーコラ云いながら作製したパジャマも、展示されたのだが、その中でひときわ、「え、コレ既製服だろ? 手作りじゃないだろ?」的な素晴らしい出来栄えの作品が展示されてあったのだ。
その製作者が菊池愛衣。
「佐々木先生は、多分、菊池のヤツに自信をつけることができるんじゃないかなっていうわけ、先生もまあそう思うわけよ」
真咲は逡巡する。
白衣を着て、給食を配っている……みんなの中心にいるガンちゃんの姿を見る。
「わかりました、ちょっと声かけしてみます」
「そうか! 頼まれてくれるか!!」
「で、えーと菊池さん給食、保健室でとってるでんすか?」
「となりの会議室でとってる」
「……わかりました、時間ないんで、給食一緒に食べながら、菊池さんに声かけしていいですか?」
「おう、いいぞ」
真咲は頷いて、配膳台の方へ歩き出した。
メラミン製のトレイと食器を受け取って、給食を持ってもらう。
「ガンちゃん、写真あるかなあ? 昨日借りてきたヤツ」
「あるよ、机の中だけど」
「ちょっと借りる、5時間目には戻ってくる」
「うん、どした? 先生と話し込んでいたみたいだけど」
「戦力になりそうな人をスカウトしてくる」
真咲がそういうとガンちゃんは目を大きく見開いて、キラキラさせる。
「裁縫の腕は多分いいかもしれない」
アノ作品が、親に作ってもらったものでなければ。
「オレも! オレも! 会う」
「じゃ、給食食べ終わったら、写真持って会議室にきてよ。先に参加してもらえるかどうか打診してるから」
「イエッサー」
軍人さんみたいにガンちゃんは敬礼した。
真咲もピっと敬礼して、給食を手にすると会議室へと歩き始めた。