極上マリッジ 25






「結婚しただって!?」

渡部オーナーは、最初『何を冗談を……』と思っていたみたいだけど、慧悟が「今日入籍してきた」と告げると呆れたように慧悟を見上げた。
「小野崎ちゃーん……いいのかよ、こいつでー、そりゃー金もあるしイケメンだけど気持ちストーカーチックな奴よ?」
……そうなの?
「小野崎ちゃんがここに勤めてた頃から目えつけてたんだよー」
「ああ、仕事的に?」
あたしはオーナーから視線を慧悟に移して、彼を見上げる。
「そうじゃなくてーその頃、こいつが女連れでここに来て、その連れの女がロクすっぽ料理食べなかったんだよー、片岡さんや笹野さん渾身のクリスマスディナー」

あたしは記憶を探る。
そういえば、いたわ。そういう客。
年末、クリスマスのシーズンはこの店はかきいれ時だし、シェフの二人は何ヶ月も前からメニュー考案と試作を繰り返していてその結果、予約客は満員御礼だったのよね。
けどクリスマスイブに、個室予約をしたにもかかわらず、料理を残しやがった女がいたのよ。

「慧悟、あの女と付き合ってたの?」
「やきもちか? 安心しろ精算済みだ」
「違う!」

当時の記憶が甦ってきた。
あたしのドルチェも残しやがったのよね。
まあ、具合が悪いのかと思ったんだけど、「ダイエットしてるのよねーコース料理なんて食べれなーい」なんてでかい声で抜かしやがったのよ、その女。

「小野崎ちゃんが、その女が店を出た瞬間、塩まいてさー」
撒きましたけれど、でも睨みつけたらすぐに厨房に戻ったよ。
あたしが塩を撒いて背を向けた瞬間、女がぎゃあぎゃあ喚いていたけど聞く耳なんか持ちません。
あのくそ忙しい状況下であたしが厨房から抜け出して塩撒くぐらいよ? かなりな態度の女でしたよ。
「気がつかなかったんですかあー? あたしイケメンは覚えてますー」
柿山ちゃんが云う。
「いや、ごめん、女の顔の方がキョーレツな印象だったんで」
服もメイクもばっちり決めて、あんたモデルですかって顔でさ。
結局男に奢ってもらうだけなのに、ほんと何様よって思った。
その女の連れが慧悟で……。
ああ……そこが初対面なのか、あたし、憶えてなかったよ。
やたら整った美人だったしスタイルもよかったし……。
男が連れ歩くには文句なしの美女でしたが、でも性格悪いって感じだったのよね。
「……莉佳?」
「そんな美人と別れた理由がわからない」
男が10人いたら、見た目あたしじゃなくて、あっちを選ぶでしょうよ。
性格は悪そうだけど、あたしだって、気は強いよ? 扱いづらいよ? 性格の悪い美女と、性格の悪いブス(というか、標準の顔立ち)なら前者を選ぶわよね。
あたしが男なら、きっとなんでも云うこときいちゃうかも。
そんな女を侍らせながら、何故あたしを選ぶかな。
「だから、こいつは後日一人でランチに来て、ひとしきり食って、小野崎ちゃんのドルチェにやられたんじゃね? それでさ『俺のところに良いパティシエよこせって』って台詞を抜かして、厨房の小野崎ちゃんにラブでした」
「……」
「渡部のところはいいスタッフがいるし、俺も店舗一件増やしたんで、パテシィエが欲しいとは思ってたのもある」 
「そこでずっと注目よ。うちのパティシエが結婚するって云ったら、『女か!?』って胸倉掴まれて迫られたけど、ホールの田端とパティシエ荻島だって云ったら、めちゃくちゃ安心してやんの。こりゃ、仕事がらみだけじゃない、小野崎ちゃんのことマジなんだなとは思ってた。そこでさっそくのチャンス到来で小野崎ちゃんを捕獲に行くあたり、手が早いっていうか仕事早いっていうか……」
「……そうなんだ」
「まあランチ食ってけや、柿山ちゃんの進歩もみてやってよ、小野崎ちゃん」
あたしはオーナーに云われて、はあ、と相槌を打って、木下君に席を勧められてランチを食べることになった。
みんな相変わらず、元気で嬉しかったけれど……。
「慧悟」
「うん?」
「それでその、モトカノって慧悟と別れたの納得してるの?」
「俺は終わらせた」
……わー……この人にそう云われて、はいそうですかって引き下がる女でもなさそうでしたよ!?
「莉佳は何も心配するな」
そうはおっしゃいますが、「慧悟はあたしのものよー!」とか云いながら怒鳴りこんで来る可能性がまったくないとは云い切れない……。
どーするあたし!?
そんな話を訊いてなんだか尻込みしそうになる……。
さっき買ってもらった薬指に嵌ってるリングを見つめる。
昨日までは、慧悟に、特別な恋人がいて、慧悟があたしじゃなくて、そっちを選んでくれたらどんなにいいかって思ってた。
あたし一人で、この子を産む気持ちがすごく強くて、慧悟に対して惹かれるもののすごく反発してた。
あたし早まっちゃったかな……。
でも、結婚しちゃったし……。
後悔先に立たずって、この事ー!?
「まーた余計な事をグルグル考えているだろ、莉佳」
渡部のおしゃべりめと小さい声で慧悟は悪態をついている。
慧悟はあたしの左手の薬指に光るリングをなぞる。
「これは、莉佳に買ったんだ」
「……」
「よかったよ、日付やネームを後に刻印してもらうように云って、嵌めてきて。コレを見て結婚したって、実感してもらおうと思ってたからな」
ドキリとする。
さっきこれを購入したとき、ネームと日付の刻印を訊かれたんだけど、それを断って嵌めてきたんだよね。
コレを見る度に、慧悟との結婚を自覚しろってこと?
「莉佳が不安に想うことは、何もない」
そう云って、あたしの左手を持ち上げて、リングの嵌っている指にキスをした。
ギャー!!
ここ、元職場ー!! 元仕事仲間のいる目の前でっ!! 欧米か!? ってお笑い芸人のツッコミが咽喉までこみあげてきた。
抗議の視線を慧悟に向けると、慧悟はあたしを睨み返す。
初めての夜を過ごした翌朝のように、逃げたら許さないって、目が云ってるよ!!
逃げないよ、逃げてもこの人、あたしを探し出すのわけなさそうだもん。
あのお見合いをセッティングしたみたいに。

「莉佳は嘘つきじゃないだろ?」
「な、何?」
「俺のことを愛してるって云っただろ?」
それは確かに……云いました。云いましたけど……。
「元カノの話でぐらつく程度の『愛してる』なのか?」

そうは云うけどさあ、具体的にどんな女と付き合っていたかを知るのと知らないのじゃ差が出てくるし。
そりゃ漠然と思ってたよ、過去の恋愛はしてきたんだろうって。
でも、こう相手のビジュアルが外見だけでも、明確になると、あたし自信ないのよ。
今ここで、慧悟に「俺は莉佳を愛してるよ」なんて云われたとしても、なんかこう「で、どの辺が愛してるのさ、付き合ってた美人の彼女を凌ぐあたしのいいところって、具体的にどこよって」とツッコミたいわけよ。
でも慧悟は、とんでもなく、あたしのみっともないところを――――気が強いとか、融通がきかないとか頑固とか――――あたしにとってはマイナス要素を「愛してる」って云いそう。
欠点まで愛されてるのねってひやかされたら落ち込みそう、じゃあ、あたしの美点ってなにもないのかよって……。



「式はまだだから、出席してくれるか?」
ランチを食べ終わって精算を済ませると、慧悟はオーナーに尋ねる。
「うちの従業員もか?」
「莉佳の為にはその方がいいな」
渡部オーナーは顎に指を当ててあたしを見下ろす。
「小野崎ちゃんの為ねえ……ほんと、惚れられてるなあ小野崎ちゃん」
ほ、惚れられてるですと!?
「いいよ、店、臨時休業にするから、式が決まったら即、連絡しろ」
「わかった」
「小野崎ちゃん」
「?」
「鳴海は多少口ベタだし、強引だが、いいヤツだよ」
「……はあ」
それはわかってます。
「小野崎ちゃんをきっと幸せにしてくれるだろうから、俺からお願いがある」
「はい?」
「鳴海も幸せにしてやって」
「……」
あたしはオーナーと慧悟を交互に見て頷く。
「できるかどうかわからないけれど、努力します」
「そこは『はい』って云うところじゃね? 控え目なヤツだな」
オーナー呆れたように云う。
「だって、ずっと独身でいるつもりだったから、誰かを幸せになんて難しい出来ないって思ってたんですよ」
「それって、実は意外と単純なんだぜ」
「単純?」

「傍にいてキミが幸せなら、コイツも幸せなんだよ」

簡単とか単純とか云われるものって実は難しいんですよ、オーナー。