ドラッグストアから鳴海さんの別宅に戻って検査薬を使った。
あれって、説明書よりも結果反応の時間が早いような気がする。
陽性の判定窓に記しが浮き上がるのを目にして息をのむ。
車の中の出来事もそうだったけれど、陽性の判定窓に浮き出るラインはあたしの身体の変化を決定づけるものだった。
10ヶ月後には、出産するんだ……。
今、ここに赤ちゃんがいるんだ……。
あの日の快楽と情熱だけを求めたその結果が……。
身体の変化とか、この先どうしようっていう不安や、この先、生まれてくる命に対しての責任とか、そんなプレッシャーが一気にのしかかる。
普通は、こういう結果に至るまでに相手と相思相愛になって、お互いを支えようねとか、一生一緒に暮らしていこうとか、そういう意思の疎通があってしかるべきだよね。
あたしと鳴海氏にの間に、そんなことありましたっけ?
鳴海氏は、そろそろ結婚しておきたいんだよねって、相手は誰でもOK的な投げやりな言葉をかけただけでしょ。
悔しいけれど鳴海氏はいい男だし、やったことに関しての結果について動揺はあるものの工程に関しての後悔はない。
そんな男と、こっちがいくら好きだって、相手は責任感だけ感じてる結婚なんてやっぱり出来ませんよ。
バカだと罵られてもいい。
でも、そうやって突っぱねるにしては、あたしの今の体調と心理状況はかなり不安定だ。
それを見越したように、なんでよ……なんでそんなに傍にいるの!
バーベキューの場に戻っても、煙の風向きとかがかわると、さりげなくあたしの手を引いて、煙が来ない場所に連れてきたり、ビールを勧められても受け取ると、さりげなくお茶に取り換えたりマメだ。
泣き出しそうになるのを、堪えるだけで精一杯。
早く家に帰って、自分の部屋でぼんやりしたい。
優莉達の歓声が聞こえる。
あたしは優莉と鳴海氏の双子の甥っ子達に視線を向ける。
純平君と鳴海氏のお兄さんは一緒にバーベキューを焼いて、料理の話題に夢中になってる。
「本当に、優莉ちゃん可愛いわあ。ママに似たのね」
鳴海氏のお義姉さんが子供たちを見ながら云う。
そう、優莉は莉紗姉にそっくりのミニチュア。
大人になったら別嬪さんになるに違いない。
ママと同様ヘンな男にひっかかって泣いてるの見たら、叔母ちゃんその男殴ってやるからねっ。
けど、今、あたしの方が太刀打ち出来そうもない男にひっかかって涙目ですよ!
一見見た目は文句なし。ああ、それって莉紗姉の前夫もそうだった。ヤツは本性をすぐ見せたけど。この男はさらに上手っぽいよ。しっぽなんて誰が掴めるのさ。
「ありがとうございます。優莉は一人っ子だから、少し甘えん坊のところがあって困るんですけれど。でも、男の子の双子なんて、大変でしたでしょ?」
「まあねえ、でも、おなか切らなかったしー、わりとすんなり生まれてくれてよかったわ」
「えー。双子ちゃんって、妊娠中もそうだけど、出産なんかは大変だって、伺いますよ」
「まあ、でも双子でなくても大変な人はいますからね」
……そうなんだ……そうだよね。
いまいちピンとこないけど……。
あたしもそういう経験を踏むんだ……これから。
気分がダウンしていくと、鳴海氏に手を握られる。
指を絡めて、恋人にするみたいに……。大丈夫だよ、なんて無言で諭されてるみたいで。
そんなあたしの様子を見てる莉紗姉の視線とぶつかった。
莉紗姉は体調によってアルコールの分解酵素の働きが違うみたいで、350ミリリットル缶を半分飲んだだけで酔っぱらう時もあれば、3本飲んでもケロリとしているときもある。
今日は後者だ。
あたしは鳴海氏を見上げる。
「家に帰ったら、お姉さんに伝えよう」
小さい声で囁かれて、あたしは目を見開く。
こっちが何を伝えたいの、かわかっているのか……。
「鳴海さんは……なんでわかったの?」
あたしポーカーフェイス出来てないのかしら、そんなに考えてることとか伝えたいこと、ダダ漏れなの?
「莉佳はわかりやすいよ」
「……うそ」
あたし、莉紗姉みたいに、人づきあいよくないし、感情とか見えないとか表情冷たいとか愛想ないとかよく言われるんだけどな……。
だから、あたし自身も普通のOLには向かないなって思っていたし、死んだオカンが「資格さえあれば食っていけるから」って口酸っぱく云ってたのもあって、こういった職についたんだけどな……。
バーベキューは夕方にお開きになって、また逢いましょうねなんてお互いの家族が挨拶をして鳴海氏はあたしの家族と純平君を連れて車で送ってくれた。
チャイルドシートに座った優莉は、可愛いシール帳とか髪留めのゴムとかをお土産にもらったらしくご機嫌だった。
「だいちくんも、つばさくんも、おにいちゃんみたいだったー」
「よかったね」
「うん。きらきらしーるくれたんだよ」
「じゃあ、今日はありがとうのお手紙書こうか?」
「かくーきらきらしーるはっていい?」
「いいよ」
そんな調子で車の中でご機嫌で、ひとしきり興奮気味に話すと、疲れたのかスヤスヤとまたいつぞやの水族館の帰りのように眠ってしまったらしい。
家に着くと、純平君が優莉をチャイルドシートから抱き上げて、優莉を子供部屋に運んでくれた。
その様子を見て、鳴海氏が口火を切る。
「お姉さんに、お話があるんです」
鳴海氏のその言葉に、心臓がドキンと跳ね上がる。
「何かな? 長くなりそう? 改まったところを見たら……じゃあとりあえず、車をコインパーキングに停めてきて下さい」
鳴海氏が車を止めてる間、店のカウンターに入って、コーヒーの支度をする。
「莉佳、純平君にもコーヒー淹れてるから、帰ろうとしていたら、呼んであげて」
「う、うん」
莉紗姉は……気がついてるのかな……。鳴海氏が云いだすこと……。
あたしが妊娠してるってこと……。
だけど、それってあたしが莉紗姉に云うべきことだよね!? 鳴海氏が云うべきことじゃないよね!?
「あ、純平君……莉紗姉が、コーヒーどうぞって、店にいるから」
「え? いいのかなー」
店の前で純平君を呼び止めてると、鳴海氏がきて、あたしの肩を抱く。
三人で『Closing』の札がかかってる店に入る。
カウンターの中で、コーヒーを淹れてる莉紗姉に、みんなでカウンターに座る。純平君はただならぬ空気を察したらしい。莉紗姉に視線を走らせて、黙ってしまった。
「で、話って?」
カウンターに入ってる莉紗姉は、女なのに、一国一城の主ですって感じだった。そりゃウチは両親がもういないから、姉である莉紗があたしにとっては保護者になるかもだけど、30と33じゃ、やっぱりそんな変わらないのに……。
「莉佳さんと僕のことで……」
「待って、あたしが、あたしが云うからっ」
鳴海氏の言葉を遮る。
「莉紗姉、あたし、あの、あのね……その……あかちゃんが……出来たの」
純平君がびっくりしたような顔をする。
そしてカレンダーを見る。
莉紗姉もカレンダーに視線を走らせる。
そうだよね、おかしよね、莉紗姉と純平君が知る限りじゃあたし達は二週間前にお見合いしたばかりだもんね。
「莉佳」
莉紗姉の落ち着いた声。
「はい」
「で、相手は鳴海さんなわけ?」
「……う……うん……」
「本当でしょうね」
「本当です、莉佳さんとは、実は、一か月前に逢ってました」
鳴海氏がきっぱりと言い切る。
「一ヶ月前にね……それ以前から付き合いがあったというわけ?」
「違うのっそれは、その……あの……実は後輩の結婚式がきっかけで……ごめん……逢ったその日にそういうコトに及んだというか……」
あたしは正直に話した。
鳴海さんが前に勤めていたオーナーからあたしのことを訊いてお見合いをセッティングしたことも話した。
「それで、どうするの?」
「……」
「あんた達は結婚するのね?」
「結婚します」
鳴海氏がキッパリ云うものの、あたしは首を横に振る。
「結婚しない! 一人で産む!」
あたしの発言に莉紗姉が即座に切り返す。
「……莉佳、あんた自分が何云ってるのかわかってるの!?」
「わかってるわよ! あたしがバカなんです!! でも結婚したくないの!」
「はあ!? やることやってデキちゃったんだろ!?」
「そうよ!! 相手のことをよく知りもしないでヤッちゃったんだから、これは自業自得なの! 自己責任です!!」
「鳴海さん!」
莉紗姉が鳴海氏に尋ねる。
「あんたはうちの莉佳をどうする気なの!?」
「もちろん、責任をとって結婚するつもりです」
それが嫌だっつーの!!
責任って言葉だけで他人と人生やっていくのか!?
そんなに責任云うなら、あたし一人で責任取るっていうの!
莉紗姉はあたし見つめる。
多分、莉紗姉は普通にあたしに視線を向けてるつもりなんだろうけれど、あたし自身の体調のせいか思い込みのせいか心なしか迫力が違うように感じる。
「愛情もないのに結婚する気なんかない!」
あたしはそういうとボロボロ涙をこぼした。
「莉佳、鳴海さんと少し話をするから、あんた、部屋に戻りなさい」
莉紗姉は純平君に、あたしを店から連れ出す様にアイコンタクトで指示を出すと、純平君は、委細承知というように無言であたしを店から連れ出したのだった。