優莉のテルテル坊主が効いたのか、土曜日は快晴だった。
あの見合いの日、もう二度と金輪際逢わないってぐらいの勢いでホテルの部屋から出たはずなのに、なんの因果であの男と半日一緒にいなきゃならんのよ。
それもこれも可愛い姪っ子である優莉の為だ。
だけど優莉、叔母ちゃんからの忠告だよ! 勝手に、見知らぬおじさんに懐いちゃダメだよ!
「優莉のために弁当までこさえて、おまけに今日のケーキまでこの時間にほとんど……あんた普段はどんくさいし不器用だけど、料理はやっぱいい仕事するわ」
感嘆の溜息をつきながら、あたしが作ったランチBOXに収まってるお弁当を見つめ、ショーケースに並ぶケーキに視線を走らせ姉が云った。
「褒めてんのかけなしてんのかどっちかにしてよ」
「褒めてるんですって」
そう云ってくれたのは純平君。
彼はあたしの作ったケーキをショーケースに並べる。
「デニッシュがいつもよりも数多くできてるし、オレから仕事を取る気ですか?」
「土曜日だから客足は早いと思うし、デニッシュは捌けるでしょ、今日の材料で追加で作れるケーキ系はベリーのタルト。これなら純平君も追加で作れるハズ。はいレシピ」
「ありがとうございます」
「ママー」
「あら優莉、厨房に入ってきちゃダメよ」
「はいらないよ、あのね、あのね、おべんとつくった?」
「莉佳が作ったよ、かなり気合入ってるよー朝ごはんにするからお顔洗ってきな」
姉が厨房を出て、優莉の支度をさせに二階へと向かう。
デニッシュをバットに並べながら純平君が云う。
「鳴海さんとのデートにはしぶしぶな感じなことを云ってたのに、お弁当は気合入ってるんですね」
「あんた、相手もプロなのよ」
「はい?」
「飲食店を何店舗も手掛けてんのよ、ここでヘタな弁当は出せないっしょ」
プライドの問題だ。
姉の云うように、あたしは不器用だし要領は悪い、顔も頭もたいしたもんじゃない。
そのあたしが唯一、人よりまともに出来るのはこれぐらいだ。
「なんだ、イケメンとデートだからかと思った」
「あたしも、莉紗姉と優莉で行ってこいって云えるほど、ここの店には長い時間勤めてないからね」
チクリとやり返す。
「優莉だって母親と一緒の方がいいだろうし?」
あたしの言葉に、純平はさっと顔色を変える。
……お前、そんっなに気にすんなら、とっとと告ってこいや。
とは思うものの、なかなか行動には移せないのが片想いってヤツか。
告白してもあの姉ならば付き合うって状態にはならんだろうし。それを考えると告白にも踏み切れないか。まあ、こいつの場合告白しなくても気持ちはダダ漏れだけどさ。
男として意識してもらえなくても、ずっと一緒の職場で近い位置にいたいってところか。
「相手の気持ちは?」
「は? 何?」
「鳴海さんでしたっけ? 彼は莉佳さんのことが気に入ったんでしょ? だから莉佳さんだけをほんとは誘いたかったんだけど、莉佳さんのガードが堅いから、優莉ちゃんをダシにしたんじゃないの? って、莉紗さんは云ってたよ」
その『気に入った』って言葉はあたしの神経に触る。
好きだから『気に入った』ってわけじゃないでしょ、あの男は。
からかってみて、ちょっかいだして、それが面白そうだから。まるで、いままでやったことのないゲームソフトをゲットした小学生のそれだろう?
しかも性質が悪いのはヤツは子供ではなく大人の男だということだ。
それでもって『ゲームソフト』ではなく『あたし』が対象ってところがもうムカツク。
あの男を前にすると、本来の、『あたしらしさ』がなくなってしまう気がするのよ。
実際、調子崩されっぱなしの状態だもん。
優莉が、優莉さえ懐かなければっ。
「純平君」
「はい?」
「もしさ、莉紗姉が、『純平君のことが、好きなの』とか云ったら本気にする?」
「……」
「あの性格でよ? あり得ると思う?」
「……」
「あたしと影で何か賭けてんじゃね? とか思ったりしない?」
「……」
「ど?」
「うーん……」
純平君は腕を組んで俯いて考えていたようだが、こう云った。
「真相はどうあれ、それはチャンスだから、やっちゃいますね」
え? そ、そうなのかっ!!
「騙された〜な目に合っても!?」
「うん。それに見合う報酬はキッチリいただきますから」
意外だ。草食系と思いきや……。いやはや、こいつも男なんだな……。
昭和のアイドル二人組の名曲のワンフレーズがあたしの頭によぎる。
結局男はみんなオオカミか……。
「けど莉紗さんは、そんなことはしない人でしょ」
「まあね」
「莉佳さんもね」
「そ、そうね……」
どっちかって云えば、騙されて弄られてポイされる方よね。
わかってるわかってるから……だからあいつと逢うのはイヤなのよ〜。
「けど、あの男はそいうことしそうなんだもん、だからイヤ〜。ねえ、純平君、偽装であたしと付き合わない?」
「えっ!?」
「あいつがいる前だけでいいから」
純平君は呆れたように質問する。
「莉佳さんー、鳴海さんはカッコイイらしいし、金持ちらしいし、優莉ちゃんを水族館に連れて行ってくれるくらい子供も好きそうだし、結婚相手としては何不足無い相手だと思うんだけど?」
そう、スペックはいいのよ、スペックは。
でもなんていうのかな相性がよくないと思うのよ。
大きない声では言えない別の相性はいいらしんだけど、その、なんて云うかなー。
「そのなんでもできる。なんでも持ってるところが胡散臭い。タルトに使うならリンゴとオレンジどっちが? みたいな? どっちも同じぐらい使いたいけど無意識に選ぶのはオレンジで、ヤツはリンゴ〜みたいな?」
「どっちでもいいならリンゴでいいだろっ!」
背後から姉の声がする。
「くっだらねえことをツラツラ云ってんな」
……江戸っ子……べらんめえ調で云うあたりが、やっぱあたしの姉……。
下町には稀なお洒落なカフェって見出し付きでタウン誌に載っちゃう美人オーナーらしからぬその口調……。
「だって、菓子作りにはいいとされるリンゴだと、グラニースミスと紅玉が並んでればあたしは手軽に入手しやすい紅玉使うし〜」
「その例え、よくわかんないけど高価な方から転がりこんできてるって事? なら、ありがたく使えばいいだろうが」
純平が姉の後ろで『莉紗さん……カッコイイ』と呟いている。いや、カッコイイっすよ、姉は。
あんたが惚れなくても誰もが惚れるだろうさ。
「純平を偽装の恋人に使うってなんじゃそりゃ」
いつも君づけなのに、呼び捨てにするあたりが怒ってる〜?
「……そこから訊いてたんだ……」
「聴こえたのよ。純平の云うとおり、どこが不足なんだっつーのさ」
「だからーそのー、スペック高すぎて使いこなせないって云うの?」
「じゃあ、お前がつ・か・わ・れ・ろ」
「あたしもあんたも使われる性格か!? 無理でしょ!? それができたらパティシェじゃなくてOLになってたわ。てか、実は純平君が好きでやきもちか!?」
「そんなわけあるか!」
姉よ……そこは『そ、そ、そんなこと、あるわけないじゃないっ!』とかいって顔を真っ赤にしてくれたらツンデレだったのに……。
そんなお笑い芸人並みの恐ろしいツッコミをしなくてもいいじゃん。
あんたの背後にいる純情青年の百面相に気付いてあげなよ。
もしかして自分のことを少なからず好きなのかと期待を持ったにもかかわらず、一瞬にして全力否定されたそこの青年の顔をさ。
「大丈夫、あの男ならあんたを扱うのは容易いでしょ。ほらとっとと、化粧でもしてきなよ」
『もーめんどくさい。そんなにいいと思うなら、あんたに譲る』
その一言が云えない。冗談でもタンカ切れない。
何故かって?
あたしにも常識がある。
一回、ヤッちゃった事実があるからだよ……ちっくしょう……。