HAPPY END は 二度 訪れる 29




痛みに誘われて、眠りが浅くなる。
――――今、何時ぐらいだろう……。
自分の額にかかる髪が、誰かの指で払われている。
そう思った。
目を開けると、アルフォンスが珠貴の顔を覗き込んでいた。
――――アルフォンス……。
さっき、園田にアルフォンスがくると云われた時、どんな顔をしていいかわからなかった。もちろん頭から包帯えぐるぐるの状態なのだから表情は固まってしまって、他人にはそれとわからないだろう。
ただでさえ、感情が伝わりにくいと思われがちだから。
しかし、アルフォンスは違う。
彼は珠貴の気持ちをよく理解してる小さな表情の変化も、見逃さない。
それが時折とても照れくさくて、逃げ出したくなる。
「珠貴……どこか痛む?」
珠貴は大丈夫だよという視線を送るが、伝わらなかもしれないので、手を振る。
アルフォンスは珠貴の手をとるが、彼の手を見て少し赤くなっているのがわかった。彼が吉野を殴ったために出来たのだろう。珠貴はそっとその赤くなってる部分を指で撫でる。
「吉野はいま留置所だって、多分送検されるよ。彼の親から連絡があって、示談にしてほしいと云われた。キミにその旨を伝えたいと面会を申し入れてきたが、キミはこの状態だからと断った」
「……」
盲目的に吉野を愛してる母親のことを思い出す。
あの人物なら示談は持ちかけるだろうとは思っていた。
だが、珠貴は示談にする気はなかった。
「示談にするかい?」
おぼつかない筆談で、はっきりとNOと書くと、アルフォンスは目を見開く。
自分を傷つけても、おじいさまの血縁だから……そんな理由で示談を受けるかもしれないと、思っていたが彼女はNOと書き記した。
彼女は話せないけれど、珠貴の瞳を見ていれば、なんとなくわかる。
あの、優しく高潔で誇り高い重倉祥造の血縁ならば、なおさら、罪は罪として認め贖えと、そう云いたいのだ。
(WORK?)
そう書くと、アルフォンスは苦笑する。
ここで、そんなことを書きだすなんて彼女らしい。
「僕が暫く日本にいるから」
「……」
「珠貴、『シゲクラ』はまだ、僕の会社、正式に手続きをしていないからね珠貴は一従業員、大丈夫、前例を作ってくれ」
(Precedent?)
「そうだよ、珠貴は云ったじゃないか。女性でも働きやすい環境の会社に変えていきたいって。女性が出産や育児の為に会社に携わることができなくて、退職しなくてすむような状況にしたいんだろ?」
小さいけれど、珠貴は頷いた。
「珠貴が職場を休むことで、モデルケースになればいいじゃないか」
しぶしぶだが、珠貴はわかったと手を広げた。
彼が日本に残っていてくれるのはいい。
だけど、本来ならアルフォンスがいなくても、自分が処理しなければならないことだった。
オフィスで吉野を追い出した時は、自分でもう独りでも大丈夫だと思っていたのに……。
彼の亡くなった奥さんの命日はいつだったろう。
暫く海外に行くと云っていたのに、昨日、どうしてあの場にかけつけてくれたんだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、鎮痛剤の効果が現れたらしく、珠貴はまた睡眠に陥った。
ドアノックがして、アルフォンスが答えると、園田が紙袋を提げて入ってくる。
「お嬢様、お休みになられてますね」
「うん」
アルフォンスは愛おしそうに、彼女の前髪を指で払う。
こんなになっても、珠貴はアルフォンスを気遣っている。 
亡くなった妻が入院していた時は病院に足を運ぶことが苦しかった。
日に日に弱っていく妻の顔を見るのがいたたまれなくて、逃げるように仕事に戻っていたけれど……。
珠貴はここに来るなとアルフォンスを追いたてる。
そこはやはりなくなった妻もそうだったけれど、彼女と珠貴の違いは、病院に足を運ぶたびに、珠貴は本来の元気さを取り戻しているのがはっきりとわかるところだ。
病室にパソコンを持ち込んで、新作のデザインに集中して、会社の人間とやりとりしてる。
アルフォンスが会議に出た時、「新シリーズのデザインについて、重倉さんから提案があって」等と云われた日には、アルフォンスは会議室の椅子から思いっ切り立ち上がり、その雰囲気に社員が怖気づいてしまうこともあった。
無茶をするなと、会社を退勤したあと、病院に立ち寄ると、けろっとして、別に何もしてないわと、両手を広げて見せる。
怪我の状態も順調に回復しているようだった。
ただ、時折見せる暗い表情には、心にも傷が入ってる証拠だと、彼は思った。
 

「今日から、少しずつ固形のものを食べるようにって」
「そう。会話をしていて痛みはない?」
「うん、もう問題ないと思う」
そう云いつつ、やっぱり固定してたので違和感は感じるようだ。
「自己診断をしない」
「アルフォンスは過保護すぎです。なんだかまるで小さな子供の面倒を見るみたいなんだもの」
珠貴は不満そうに、口を尖らす。
「小さい子供はいうことをきいてくれるが、珠貴はいうこときかないからね」
「まさか、こんなに素直に医者のいうことを我慢強く聞く患者はいないって思われてるわ。だからこんなに治りが早いんだと思うの」
「……」
「何?」
「いつもよりおしゃべりだね」
アルフォンスにそう云われて、珠貴は照れたようにアルフォンスから視線を外す。
「げ、元気になったの」
「うん」
珠貴はもともとそんなにおしゃべりな子ではないけれど、やっぱり会話ができなかったのはつらかったらしい。
一生懸命筆談で、会話をしようとする様子もアルフォンスには可愛いと思わせる。日本語じゃなくて、英語の方がいいだろうと、必死で英語を使ってるけれど、文法が少し違っていたりして、それを指摘すると、ビジネス英文書類は必要だよねとアルフォンスにそう伝えて一生懸命、英文で筆談をしていた。
そして、珠貴はようやく流動食から、柔らかい固形物に食事が変更して、会話もできるようになった。
「アルフォンス」
彼女にそう名前を呼ばれた時は、胸が熱くなったが、彼女はずっと沈黙していた時間の中で考えていたことを口にした。
「奥さんのお墓参り行ってきた?」
「……いや」
「ごめんね、命日、過ぎちゃったでしょ?」
「リナは心が広いから怒らないよ」
「素敵な奥さんだ」
「珠貴も、おじいさまのお墓参り、いけなかっただろ?」
珠貴が祥月命日には、かならず祖父の墓前に行っていたことは知っている。
報告したいことがたくさんあるだろうに。
「おじいさまは、優しいから、許してくれる」
「素敵なおじいさまだね」
「うん」
「それに、第一声が、僕の名前だったのは嬉しかった。でも、欲しかった言葉はまだもらってないな君の身体の状態はもちろん必要だけど、リナのことじゃなくてね」
「なんて云えばよかったの?」
「好きとか、愛してるとか、傍にいてとか」
珠貴は苦笑する。
そんなことはもうずっと思っていた。
声が出なかった時も、その前も。彼を呼んでいた。
ちょこんと珠貴の唇に、アルフォンスは自分の唇を重ねる。
「ずっと、キスしたかった……とか」
「そういうところが、アメリカ人って感じがする」
「?」
「日本にキスの習慣はないから」
「僕は挨拶のキスは唇にはしないよ」
「知ってる」
珠貴が挑戦的な瞳でそう云うと、彼は、もう一度、珠貴の唇に自分の唇を重ねた。
アルフォンスはそのまま珠貴をベッドへゆっくりと押し倒しながら、キスを繰り返す。
キスだけで、意識が飛びそうになる。
「アル……」
「なんだか、ここが病院のベッドでも構わない気がしてきた」
アルフォンスが云うと、カーテン越しに咳払いが聞こえる。
「それは困ります、お嬢様の退院が送れます」
園田の声だった。
びっくりしたように、アルフォンスはキスをやめて、珠貴を見つめる。
「……」
「……」
「なんていうの、こういうの、ブスイっていうの?」
拗ねたようなアルフォンスの顔が、まるで少年のようだ。
「園田さんは正しいよ、アルフォンス」
甘くて蕩けそうになるキスの呪縛から逃れて、珠貴はなんとかそう呟いた。